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法務DDでの必須ポイント!③(カネ・情報編)

経営資源別の法務DDでのチェックポイント

今回は,前回に引き続き,いわゆる経営資源(ヒト・モノ・カネ・情報)のうち,法務DDの際に注意すべき「カネ」・「情報」についてお伝えしたいと思います。(なお,前回と同様に,以下に述べること以外にも注意すべき点は多数存在します。ご注意ください)

 

「カネ」に関する法務DD①:期限の利益喪失事由

財務DDをきちんとしていれば,「カネ」に関するDDは万全であると考えがちです。しかし,財務DDだけでは確認できないリスクがたくさんあります。

例えば,金融機関から融資を受けているケースでは,期限の利益を失うのはどのような場合かについて確認する必要があります。例えば,株主の交代が期限の利益の喪失事由となっているのであれば,M&Aをしたことがきっかけで,金融機関が一括返済を求めてくるかもしれません。

また,M&Aを検討している段階で既に期限の利益の喪失事由が生じており,少なくとも法的には金融機関が一括して返済を求めることができる状態になっていないかも確認しておく必要があります。なぜならば,返済の遅滞により現時点では金融機関から一括返済を求められていなかったとしても,それは事実上宥恕されているに過ぎないことがあるからです。このような場合は,M&Aで株主が変わったことにより返済が期待できると考えた金融機関が突然返済を迫ってくることも考えられます。

 

「カネ」に関する法務DD②:保証・担保

中小企業においては,会社の信用を補完するため,代表者個人が会社の保証人となっていたり(経営者保証),会社の債務について代表者個人の保有する土地建物について抵当権が設定されていたりすることがしばしばあります。

M&Aが行われれば,代表者が交代することが通例ですので,この保証人や抵当権設定者(物上保証人)を交代できるかが重要になります。保証人や抵当権設定者(物上保証人)の交代は,基本的には金融機関の了解が必要になりますので,了解が得られる見込みがあるかどうかを確認する必要があります(なお,経営者保証については,当職の『「経営者保証に関するガイドライン」を活用して事業承継をスムーズに!』もご参照ください)。

また,経営者ではなく,会社が第三者の債務の保証人になっていたり,自社の土地や建物を担保に供していたりする場合もありえます。土地や建物を担保に供しているかどうかは登記を確認すれば容易に確認できます。その一方で,会社が保証人になっていることについて,は気づかないことがありえます。なぜならば,主たる債務者が返済をしている限り,保証人が金銭を支払うことがないため,キャッシュフローを見ているだけでは気づけないからです。

会社が第三者の債務について保証人となっている場合は,債権者からいつ保証債務の履行を求められてもおかしくない状態であることを認識すべきです。M&Aの価格を決定する際もこのことを念頭に置くべきです。(もちろん,債権者と協議して保証を外してもらうのが一番良いのですが,難しい場合が多いでしょう。)

 

情報に関する法務DD:知的財産

M&Aの対象となる企業が特許権,商標権,著作権,営業秘密などの知的財産権を保有していることがあります。これらの知的財産の本質は,特殊な技術やノウハウ,キャラクターなどといった情報であり,その企業の重要な財産であることもあります。

まず,知的財産をその企業が保有しているのかどうかを把握する必要があります。特許権や商標権は登録されて初めて発生する権利ですので,登録の有無を確認します。他方,著作権の場合は,登録等を要しない無方式主義であるため,著作物に関する資料や作成者への聞き取りなどによって確認するほかありません。

また,他の企業の知的財産権を使用している場合,その使用が権利者の承諾を得ているかどうかについても確認する必要があります。仮に権利者の承諾を得ることなく他の企業の知的財産権を使用している場合は,多額の損害賠償請求をされるリスクを抱えることになるからです。

このほか,職務発明や職務著作について適切な権利処理のルールが整備されているかなども,従業員との間で紛争が生じるリスクを避けるために確認する必要があります。

 

その他の法務DDでの確認ポイント

ヒト・モノ・カネ・情報といった観点以外でも,法務DDの際に注意すべき事項はあります。

例えば,許認可を必要とする事業を営んでいる場合は,許認可の期限が切れていないかといったことや,取消・停止の行政処分が行われていないかなどは確認する必要があるでしょう。

また,その企業に対し,多額の金銭の支払いなどを求める訴訟が提起されていないか,仮に訴訟が係属している場合は,敗訴の可能性や敗訴した場合の対応にはどのようなものが必要なのかも確認しておくべきポイントであると考えます。

これまで2回にわたり,法務DDの必須ポイントについて説明してきました。スモールM&Aでは財務DDが中心になりがちです。しかし,法務的観点を無視してしまうと,M&A後に,大きなトラブルに巻き込まれかねません。

そのようなことを避けるために本稿が少しでも参考になれば幸いです。

 

弁護士・中小企業診断士 武田 宗久

スモールM&Aを成功させる新しいリスクヘッジ手法 ~「M&A表明保証保険」に注目

2020年下半期、中小企業のM&A(以下、スモールM&A)の世界に新たな動きがありました。国内保険各社がスモールM&Aを対象にした「表明保証保険」の販売に関するリリースを行ったのです。

今回は、どうしてこのような動きがあったのか、そしてどのように活用できるのかについて考察します。

 

国内大手保険会社の動き

2020年10月21日「小規模M&A向け表明保証保険の販売開始」(東京海上日動火災保険)、同年12月25日「国内M&A向け表明保証保険の販売を開始」(あいおいニッセイ同和損害保険)、同年12月25日「~国内M&A取引を「保険」で支援~表明保証保険の引き受け対象範囲の拡大について」(三井住友火災海上保険)など、スモールM&Aを支援する保険商品が大手損保から続々と販売されました。

国内の事業承継ニーズの高まりを背景として、スモールM&Aが増加傾向にあることに対応した動きであるが、「表明保証保険」は古くから保険業界で取り扱われていたものであり、保険商品自体に目新しさがあるわけではありません。

それでは、なぜ各社がこぞってプレスリリースするような状況になったのでしょう。

 

そもそも表明保証とは

M&Aでは、一般的に「表明保証条項」が規定されます。表明保証条項とは、契約の一方当事者が他方当事者に対し、一定の時点における一定の事項が真実であり正確であることを「表明」し、かつその内容を「保証」する条項をいいます。(注)

これによって、買主にとっては、M&A取引を行うことのリスクヘッジになり、また、売主にとっても過重な買収監査を回避しM&Aを円滑にクロージングすることができるメリットがあるといわれています。

しかし、表明保証は万能ではありません。特に国内でスモールM&Aが増加することにともなって、M&A後の未払い給与や未払い税金などの簿外債務発覚による表明保証違反が判明し、裁判などで責任が認められても売主の資力が十分ではないため損害賠償の回収ができず、買主が泣き寝入りせざるを得ない事例も増加しています。

こうした表明保証違反によるリスクをヘッジするのが「表明保証保険」なのです。

 

これまでの「表明保証保険」

「表明保証保険」は、表明保証違反が判明したときに、被保険者(買主または売主)が被る損害を補償する保険です。

もともと、海外企業がM&Aの際に活用していたものですが、国内と海外の企業間で行われるクロスボーダーM&Aや大企業間のM&Aにも次第に普及してきたという経緯があります。

こうした背景で活用が広がったため、契約書が英文雛型、オーダーメイドのため保険料負担が大きい、保険会社によるデューデリジェンス(DD)が必要など、スモールM&Aにはなじみにくい状況だったのです。

ところが、国内中小企業の事業承継や大企業によるベンチャー企業の買収などが急増したことにより、スモールM&A向けの「表明保証保険」ニーズが増大しており、ここに注目した大手保険会社が保険商品の開発・販売に乗り出すことになったのです。

 

スモールM&A向けの「表明保証保険」とは

スモールM&A向けの保険には次のような特徴があります。

【特徴】

保険契約・約款が和文表記

中小規模のM&A取引が対象

レディメードで迅速な契約締結ができる

売主による保険手配も可能

 

保険会社によっても商品設計にバラつきはありますが、概ね上記のような内容となっており、国内のスモールM&Aにおけるリスクヘッジ目的で活用可能な内容になっています。

こうしたスモールM&Aを対象とした「表明保証保険」には次のようなメリットがあります。

 

【買主のメリット】

①売主が中小零細企業で財政状態に不安がある場合、売主の信用力を補完することができる

②売主に対する表明保証違反に伴う責任追及を限定的にすることにより買収交渉を円滑化することができる

③売主-買主間で、表明保証違反があった場合の補償上限額や補償期間に関する条件の隔たりに関する調整ツールをして活用できる

④売主が経営参画する場合など、クロージング後も売主との良好な関係を維持する必要がある場合、表明保証違反に伴う損害賠償請求により険悪な関係になることを防ぐことができる

 

【売主のメリット】

①売主自身の信用力を補完することができる

②将来における表明保証違反に基づく損害賠償リスクを遮断することができる

 

スモールM&A向けの「表明保証保険」を活用する際の留意点

メリットの多い「表明保証保険」ですが、リリースされたばかりのため利用者側にとっては不慣れな面も多々あります。次の点には十分注意した上で活用しましょう。

 

①M&AにおけるDDを実施しなくてよい訳ではない

DDが十分に実施されていない場合、表明保証違反により買主に損害が生じたとしても、それは買主の重大な過失により生じたものであるため免責事由となる。したがって、「表明保証保険」はDDを適切に実施した上でも避けられないリスクを補完するものであるという点に注意する必要がある

②「表明保証保険」の免責事由に該当し保険金を受給できないこともある

クロージング時に既に買主(被保険者)やM&A仲介者が認識している表明保証違反は一般的に免責事由に該当します。

③保険の対象とするためにオプション料が必要なことも

オプション料を払わないと保険の対象にならないもの(例:年金・退職金の積立金不足など)もある

④保険料が割高なことも

保険料は補償限度額の1~3%程度であることが多いが、最低保険料が規定されている場合もあり、企業価値が低いスモールM&Aでは取引コストが割高となるケースもある

⑤損害金額が全額補償対象となるとは限らない

補償上限金額が設けられていたり、定額補償となっていたりする場合もあり確認が必要

⑥そもそも対象となるM&Aの取引規模がまだまだ大きい

小口化したとはいえ、保険の対象となるM&Aの取引規模が「億単位」のものもあり、スモールM&Aには適切ではない保険商品もある

 

<まとめ>

そのようななかで、民間でも今回取り上げたスモールM&Aを対象とした「表明保証保険」への取組みが拡充され、事業承継のためのM&Aを安心して行うことができる環境が整いつつあります。例えば、東京海上日動火災保険とM&A総合支援サイト「Batonz(バトンズ)」が連携し、バトンズの専門家が行うDDを利用する買手企業すべてに「表明保証保険」が自動適用されるサービスの提供が開始されました。

補償上限は一律300万円ではあるものの、非常に取引規模の小さな案件も対象となるため、今後、国内スモールM&A向けの「表明保証保険」が普及する契機となるものと思われます。

専門家としても、政府・民間の様々な支援策やサービスを賢く活用しながら、課題解決の支援を進めていきたいものです。

 

中小企業診断士 伊藤一彦

 

(注)関連コラム「本当はこわい表明保証条項」(弁護士・中小企業診断士 武田 宗久 著)より。

 

 

 

ぼくたちのM&A  ~アーンアウト条項

みなさま新年あけましておめでとうございます。といっても早いもので1月ももう半分以上が終わってしまいました。各地に緊急事態宣言が発出され、医療現場を中心に緊迫した雰囲気になっています。最近は、“免疫力アップ”というのがトレンドワードになっているそうです。そこまではともかくとしても、しっかり栄養とって、手洗い・うがいには特に気を配りましょう。 

今日は、スモールM&Aというよりも、大手企業によるベンチャー企業買収に関連するお話です。 いつ

ものように、M&Aで社長を目指す“ビジネスパーソン”ツナグの独り言からお聞きください。 

 

ツナグ:友達がマイホームを35年ローンで買おうかどうしようか悩んでいるらしいんだけど、マイホームを買うよりも大きな買い物になりそうなM&Aにも分割払いってないのかなぁ・・。 

 

買収代金の支払い方法は一括払いだけか? 

売り手にとっては、一般的なビジネスシーンと同じく、“一括譲渡、一括支払い”がもっともメリットが大きく、スタンダードな手法ではありますが、それ以外にもツナグの言う通り、分割支払いという手法も昨今増加しています。 

具体的には・・ 

  1. 株式譲渡対価の分割支払い 
  2. 株式譲渡自体の分割実行 
  3. アーンアウト”という手法。 

 

ひとつずつ見てみましょう。 

まずは、単なる分割支払いのケース通常の商取引でも行われる、支払い日の約束ごとです。株式譲渡は100%完了しており、譲渡対価の受け渡しだけが、未払金として処理されるケースです。 

考えられる場面としては、 

買主側が必要資金のすべてを一括で調達できず、分割でしか払えな 

「売主側のクロージングの前提条件一部不安な部分があり、買主側が分割払い条件を要請するなどがあります。 

 

このように売り手側には全くメリットがありませんので、買い手のリスク分散にほかなりません。もともと、信頼関係がしっかりできている間柄での事業承継など、双方納得のうえ行われることがほとんどです。 

 

ツナグ:なるほど・・契約書などで条件面をしっかり打ち合わせしておかないと後でもめたら大変なことになりそうだな。 

 

じっくり時間をかけて 

次に段階的な株式譲渡です。最初に発行済株式総数の51%を譲渡することで連結子会社て運営する。システムやコンプライアンス、組織間の交流などを行う。その後、議決権の3分の2超の取得をし特別決議を確保できるようにし、順調に統合ムードが高まってきたところで残りを取得して完全子会社とするケースです。過去の事例からみると、企業文化の違いなどの原因によって組織の統合がうまくいかないことが予測される場合全くの飛び地事業の買収で運営に不安がある場合などで利用する案件がありました。売り手側が、買い手側の事業運営をしっかりとコミットした状態で支援するために、少数の株式を一定期間ち続けます。 

売主は、いち早く譲渡代金を受け取って取引を完了させて、今回の新型コロナウイルス感染症拡大など、予測不可能なリスクを切り離したいはずですのでこちらも両社の関係性が重要です。 

 

ツナグ:なるほど。売り手に支援してもらえたら買い手は安心して売買できそうだね。その分、高く買うなんてことも検討できそう 

 

一緒に盛り上げつつ引き継ぐ 

 最後は、“アーンアウト条項”と言われる手法。分割支払いの一種といっても、これまで見てきたものとは別物です。簡単に言うと野球選手の出来高払い制度のようなものと理解してください。M&A取引完了買い手は、売り手の支援を受けつつ事業活動を行います。その際に双方で話し合い、事業成長目標を設定します。それを達成できたら買手企業側から売手企業に対して買収対価の出来高部分を支払いま 

目標には、一定期間後の売上高やEBITDAといった経営指標のほかにも、新商品の市場投入申請中の特許承認などさまざまです。一部には、会計処理などで操作できるものもあるため、設定の際には注意が必要です。 

 

ツナグ:株式の譲渡を段階的に進めるよりも、もっと共創を行うようなイメージだね。 

 

オープンイノベーションに近い 

売り手側のメリットとしては、出来高制度として買い手に提案することでより高く売れる可能性が高まります。特に、成長段階のベンチャー企業を売却する場合など、買い手がリスクをどうしても大きく考えてしまい、交渉が成立しないこともありますが、そのような場合にも有効です。つまり、買い手側にとっても低リスクになり、買いやすくなるというメリットと考えることができそうです。また、先述のように、買い手は、過大な投資リスクを分散することができますので、例えば、買収時には判明しなかったリスクが発生したときも、損害を最小限に抑えることができす。 

ではデメリットはないのでしょうか?売り手のデメリットは、目標に対して支援をしたにもかかわらず外部要因によって未達になり、出来高を受け取れなくなる可能性がある点。一方、買い手は、そもそも支払いの分割によってリスクの分散というメリットを受けているのでその範囲内のリスクに収まれば、特に大きなデメリットはないといえそうです。 

 

ツナグ:なるほど~株式譲渡代金の分割支払いというと、ネガティブな印象を持ってしまうけど、売り手と買い手の共創プロジェクトだと考えれば、オープンイノベーションの一種とも言えそうだ。 

 

まだまだ日本国内では、たくさんの事例があるわけではありませんが、アメリカでは増加傾向にある取引形態ですので、今後、ベンチャー企業の売買の場面から徐々に普及していくものとみられます。いろいろな共創が始まれば日本のM&A市場もさらに活況となることでしょう。本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。  

 

中小企業診断士 山本哲也 

 

 

法務DDでの必須ポイント!②(ヒト・モノ編)

法務DDにおける経営資源別のチェックポイント

先日,契約に関する法務DDで確認すべき点についてコラムを書かせていただきました。今回は,いわゆる経営資源(ヒト・モノ・カネ・情報)の観点から法務DDの際に注意すべき点についてお伝えしたいと思います。(なお,以下に述べる点以外にも注意すべき点は多数存在しますので,ご了解ください)

 

「ヒト」に関する法務DD①:未払いの賃金債務など

売り手の従業員など「ヒト」に関する法務においては,まず,未払の賃金債務がないかが重要なポイントになります。

未払の賃金債務とは,本来支払われるべき残業代が支払われていないことが典型的事例です。意外と思われるかもしれませんが,法的には支払われるべき残業代が支払われていないことは,,一般の企業でもままあります。例えば,法的には管理監督者(労働基準法第41条第2号)にあたらないのにこれにあたるとして,残業代を一切支払っていないケースや,支払っていても,残業時間にかかわらず固定額であるため不当に安い額しか払っていないケースが想定されます。個々の従業員の未払いの残業代が少額であっても,適切に支払われていない従業員が多数に上る場合は,買い手にとって,簿外債務という形で大きなリスクとなります。

未払い残業代を把握するためには,まずタイムカード等から労働時間を確認することが必要になります。中小企業では,十分な労働時間の管理が行われていないこともしばしばあります。そのような場合,パソコンのログや個々の従業員への聞き取りにより労働時間を把握することになるのですが,あまりに厳格に調査をすると,売り手との関係が悪化するおそれれもあるため,どこまで調査するかは悩ましい問題です。労働時間を把握する期間は3か月を一応のめどとしますが,季節により繁閑があるような業種であれば,期間を長くします。

次に就業規則や賃金規程等を確認し,何が残業代の算定の基礎となっているのかについて把握します。その後,本来支払われるべき残業代の額を計算していきます。なお,これまでは,未払残業代の消滅時効は2年でしたが,法改正があったため,令和2年4月1日以降に生じた残業代については,3年となりますので注意が必要です。

なお,アルバイトやパートの多い中小企業では,実労働時間をもとに計算した時給が最低賃金を下回っていないかどうかも注意しておく必要があります。

このほか,賃金債務ではないですが,社会保険料を滞納していないかどうかも必ず確認しておく必要があります。

仮に,未払いの債務が明らかになった場合は,売り手に対し,当該従業員と交渉し,解決させることを求めたり,未払賃金債務の額を譲渡価格に反映させたりするなどの方法が考えられます。また,未払いの賃金債務が確認できなかった場合でも,表明保証条項を入れておく方が無難でしょう。

 

ヒトに関する法務DD②:コンプライアンス

コンプライアンスも,ヒトに関する法務DDで重要な事項となります。

36協定の作成・届出がない。適切な休憩時間を付与していない。変形労働時間制を採用しているのに必要な手続を行っていない。など,労働時間に関する基本的な規律違反がないかといった点や,期間の定めのある従業員についての更新・無期転換の可能性があるかといった点は必ず確認しておく必要があります。また,業務委託先となっている者が偽装請負になっていないかどうかも気になるところです。これらは就業規則や契約書だけではなく,少なくとも人事担当者からの聞き取りをすることで確認をしていきます。

加えて,労働組合(合同労組含む)との間で紛争となっている事案はないか,労働基準監督署から指摘を受けたことがないかといった点も確認しておくとよいでしょう。

 

モノに関する法務DD①:不動産

売り手は事業を営んでいる以上,多数の不動産や動産を保有しているのが通常です。これらの不動産や動産について法的なリスクがないかを把握するのがモノに関する法務DDです。

不動産について,まずは登記簿謄本,固定資産課税台帳,売買契約書等の書面を検討します。そして,当該不動産が売り手の単独所有なのか共有なのか。共有の場合は共有者との関係はどのようなものか。M&A実行の際に単独所有にする余地があるか。建物の場合は使用権原は何か。担保権の設定はないか。各種の法令上の制限はないかなどを確認していきます。書面による確認だけではなく,現地調査もする必要があります。土地の境界に争いはないか。近隣の住民との間でトラブルはないか。建物に重大な瑕疵はないかなどの書面だけでは発見が困難な法的リスクの発見につながるからです。

中小企業の場合,自社ビルを社長や社長が経営する関連会社に使用貸借している場合もあります。そのような場合は,M&Aに際しては,使用貸借を賃貸借に切り替えるなどの措置を講じる必要があります。

このほか,売り手が賃借をしている場合は,賃貸借契約の違反がないか,賃料の滞納などにより賃貸人とトラブルになっていないかなどを確認します。

 

モノに関する法務DD②:動産

動産については,数が多い一方,それぞれの価値が低廉な場合も多いのでどこまで法務DDを行うかは悩ましいところです。少なくともリースや賃借をしている動産についてはその権利関係を確認すること。自社の製品に譲渡担保等の設定(対抗要件の具備を含む)がないかなどは確認しておく必要があるでしょう。

 

次回の予告

本稿では,ヒトとモノに関する法務DDで注意すべき点についてご紹介いたしました。次回は,カネと情報に関する法務DDで注意すべき点についてご紹介しますのでご期待ください。

 

弁護士・中小企業診断士 武田宗久

M&Aを活用した事業承継も経営者保証が不要に

今回は、事業承継の大きな阻害要因となっている「経営者保証」を不要とする新たな信用保証制度である「事業承継特別保証制度」と活用メリットについて取り上げたいと思います。

 

過去の融資の9割は経営者保証付きのまま

経営者保証ガイドライン策定後、経営者保証のない新規融資は徐々に増加しています。しかし、依然として融資全体の約9割は引き続き経営者保証付きのままです。

一方、中小企業庁によると2025年には国内の中小企業経営者381万人のうち245万人が70歳以上となり、その約半数の127万人が後継者未定と推定しています。ところが、その22.7%は後継者候補がいるにも関わらず事業承継を拒否しているのです。その最大の理由は個人保証であり、全体の59.8%にものぼります。

 

事業承継時に経営者保証が不要となる制度をご存知ですか?

政府は事業承継を円滑化するため、既存の経営者保証付き融資の水準を適正化するため、更に踏み込んだ対策に乗り出しました。

2019年6月に閣議決定された「成長戦略実行計画」において経営者保証を不要とする新たな信用保証制度が創設されたのです。

この信用保証制度を「事業承継特別保証制度」といい2020年4月より運用が開始されています。

 

「事業承継特別保証制度」3つの特徴

この保証制度には次のような特徴があります。

①事業承継時に経営者保証が不要

②専門家による確認を受けた場合、信用保証料率が大幅に軽減される

③経営者保証付きの既存の借入金であっても、この制度を活用して経営者保証不要の借入に借換が可能

 

この保証制度は、全国の信用保証協会で取り扱われていますが、原則、金融機関からの事前相談が必要になっている場合が多いようです。

一見すると、良いこと尽くめの制度のようですが、利用するためには、①資産超過、②返済緩和債権なし、③一定の返済能力(EBITDA有利子負債倍率10倍以内※)等の一定の要件を満たす企業が対象になります。

 

※EBITDA有利子負債倍率 =(借入金・社債-現預金) ÷(営業利益+減価償却費)であらわされ、実質的な借入金をキャッシュフローにより何年で返済できるのかを表す指標です。

 

専門家「経営者保証コーディネーター」を活用しよう

3つの特徴で触れた専門家のことを「経営者保証コーディネーター」といいます。経済産業省の委託またはその再委託を受けて事業の承継に対する支援を行う機関である「事業承継ネットワーク地域事務局」が雇用する専門家です。東京都事業承継ネットワーク事務局の場合、「経営者保証コーディネーター」は、中小企業診断士あるいは公認会計士資格の保有者が担当しています。

「経営者保証コーディネーター」は、所定のチェックシートを使用した3つの要件を満たしているかどうかを所定のチェックや、金融機関との面談に同席してチェックシートの充足について説明を行う等の支援を行っています。

融資を受けようとする企業が「経営者保証コーディネーター」による確認を受けた場合、保証料が最大でゼロになるまで軽減されるという特典もあり、政府は積極的な利用を期待しているようです。

 

金融機関も積極的に取組みうる現実的な施策

事業承継特別保証制度では、原則禁止されている金融機関の既往の融資を信用保証協会の保証付き融資に借換へすることを例外的に認められており、経営者保証解除に伴う金融機関のリスクを保証協会が分担することになっています。金融機関にも配慮した設計となっており、金融機関の現場でも取り組みやすい制度になっているのではないでしょうか。

 

 

「中小企業成長促進法」の施行でスモールM&Aも促進される?

2020年10月に「中小企業成長促進法」(中小企業の事業承継の促進のための中小企業における経営の承継の円滑化に関する法律等の一部を改正する法律)が施行され、既に運用が始まっている「事業承継特別保証制度」(保証限度額2億8,000万円)ではカバーできない融資に対して、さらに特別枠が創設されました。

これを受けて、全国信用保証協会連合会のHPでは経営者等のニーズに応じてきめ細かく細分化されたメニューを公表しています。

 

例)

「経営承継準備関連保証」

⇒ M&Aによる事業承継に必要な株式等や事業用資産の取得資金に利用できる

「特定経営承継関連保証」

⇒ 従業員をはじめとした事業を営んでいない個人による買収(EBO等)による

事業承継に必要な資金に利用できる

「経営承継借換関連保証」

⇒ 経営者保証付きの金融機関からの借入債務を経営者保証が不要とする融資に借り換えるために利用できる

 

<むすび>

2020年12月8日、政府は「国民の命とくらしを守る安心と希望のための総合経済対策」を閣議決定しました。コロナ禍による環境変化に対応しようとする中堅・中小企業による新規事業進出や事業転換等の取組に対する「事業再構築補助金」「税制優遇措置」等の創設などの支援策の策定が予定されています。これらの大型のコロナ禍対策も相俟って、新年は中小企業の「事業承継」だけでなく「事業転換」も進展しそうです。様々な支援制度を賢く活用して「事業転換」を進めたいですね。

 

中小企業診断士 伊藤一彦

ぼくたちのM&A

みなさまこんにちは。例年なら、「インフルエンザが本格的に流行する季節ですね。気を付けましょう」なんて時候のあいさつをしていましたが、今年の冬は例年以上の警戒が必要な状況です。繰り返し言われていて耳にタコですが、とにかく手洗いとうがいには特に気を配りたいですね。

いつものように、M&Aで社長を目指す“ビジネスパーソン”ツナグの独り言からお聞きください。

 

ツナグ:
M&Aは、大まかにいうと会社を売買することになるわけだけど、そういえば会社の値段っていったいどうやって決まるんだろう?
普段僕らがお客さんに買ってもらう商品やサービスだと、かかったコストに利益を上乗せしたり、競合の値段と比較したり、お客さんの懐事情を想像したりして決めているけど、それが会社となると想像もつかないや。

会社の値段はどうやって決まるのか?

 

会社の売買代金の決め方にはたくさんの計算方法があり、売買する会社の規模や内容、売買する当事者同士で話し合って決めています。ここでは、中小企業のM&Aで使われている代表的なものを紹介します。

●コストアプローチ

コストアプローチは、売買する会社の現在の純資産から売買金額を求める方法です。メリットは、財務諸表をもとに算出できる、客観的に会社買収金額を求められる点が挙げられます。

一方で、デメリットもあります。それは、将来予想される利益が加味されていない点です。将来的成長が期待できるようなベンチャー企業では、コストアプローチは敬遠されます。そして、コストアプローチは、その計算根拠によって2種類に分かれます。一つは、時価純資産法、もう一つは、簿価純資産法です。

 

【時価純資産法】

時価純資産法は、時価総資産から時価負債を差し引いたものを根拠(時価純資産)として利用します。この方法では、時価をもとに再調達原価法を用いたり正味売却価格を求めたりして、各資産の時価総額を算出する仕組みです。

 

【簿価純資産法】

一方で、簿価純資産法は、貸借対照表上の純資産をそのまま根拠として売買金額を算出する方法です。この計算方法があまり利用されていない理由は、将来予想される利益が加味していない以外にも理由があります。中小企業の場合には、帳簿を粉飾していたり、負債隠しをしていたりするケースもちょくちょくあります。そのため、この手法を利用するのであればデューデリジェンスを徹底的に行い、簿価がどの程度正しいのかについて調べる必要があります。

 

ツナグ:
粉飾決算!?えーっ!そんなことちょくちょくあるんですかっ!?テレビの中だけの出来事だと思ってたよ。

 

●インカムアプローチ

インカムアプローチは、将来の収益性を基準に売買金額を算出する方法です。つまりその会社、事業が将来どれだけのお金を生み出すか?ということが論点になります。

メリットは、将来の収益を想定し、それを根拠に検討しますので、直接的に現在のデータを使うことはありません。ですから先ほどのコストアプローチのようにデューデリジェンスに神経を使う必要がないことです。

一方、デメリットは、買い手と売り手の間で事業の将来性に関する価値観にズレがあると、価格交渉が難航し、M&Aに至らないケースも多くみられます。

売り手側は、「御社の事業と当社の事業には、○○なシナジーがあるので、将来××の利益が得られますよ」と主張しますし、買い手側は、安く買いたいので「おっしゃられていることは一理あると思います。」「しかし、それを実現するには、今後も相当の追加投資が必要だとの認識ですね・・・簡単に回収できる投資案件であるとは経営層に説明ができないです。」などとお互いの利害が一致できる価格を探る交渉事になることは容易に想像できます。

インカムアプローチもその計算根拠に使う数値によって、DCF法(ディスカウントキャッシュフロー法)と配当還元法に分かれています。

 

ツナグ:
将来の収益性って・・・。買い手と売り手の意見が分かれそう。うちの課長なんて、僕の将来性をあきらかに低く見すぎてるっていつも感じるよ。

 

【DCF法]

DCF法は売買金額の算出方法として広く用いられている方法です。おおよそ5年間のフリーキャッシュフローを想定して計算根拠とします。フリーキャッシュフローにもいくつかの計算方法がありますが、ここでは省略します。

簡単に言うと、会社が経営のために自由に使えるお金。といったイメージです。この数値を現在価値に割り引き加味して売買価格とします。

 

【配当還元法】

配当還元法とは、将来の予想配当金を根拠に売買金額を算出する方法です。多くの会社が業績と配当金を連動させていることが多いため会社売買の根拠として利用することができます。

しかし、難点もあります。配当金金額は経営サイドが決められるため、会社売却に向けて現在のオーナーが、多くの配当金を支払う事例が数多く報告されており、現在はあまり利用されていない方法です。

 

ツナグ:
やっぱりなかなかいい方法ってないんだね。だから、なかなかM&Aって進まないのかな・・中古車やネットオークションみたいに相場なんかがあればいいんだろうけど。

 

特に小規模事業者の場合、オーナー社長の能力イコール会社そのものであることが多く、M&A後の業績低迷を心配して交渉が難航するというケースが少なくありません。社外から客観的な評価を受ける為には、普段から仕組みや組織力で会社を動かすことが重要と言われるのはこのためです。

本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

中小企業診断士 山本哲也

 

11月18日開催「年10件以上の成約支援する専門家の秘訣大公開ウェビナー」に登壇します

こんにちは。ステラコンサルティング代表の木下です。

当社では平成30年からM&Aアドバイザリー業務をやらせていただいておりますが、日ごろよりお世話になっているバトンズ様主催のウェビナーに登壇することになりました。

スモールM&Aにご興味ある方、ぜひご参加ください。

 

【日時】2020年11月18日(水)18:00~19:30
【申込み】こちらからお申込みください。⇒https://batonz.jp/lp/202011webinar/

法務DDでの必須ポイント!①(契約編)

法務DDにより思わぬリスクが見つかることがある

M&Aの際に買い手が売り手の価値やリスクを知る方法としてデューデリジェンス(以下「DD」といいます。)があります。

DDといえば財務DDが思い浮かぶ方が多いと思いますが,法務DDによって発見された問題点によって,M&A自体が頓挫してしまうことがしばしばあります。

したがって,少なくともリスクの発見という意味では,法務DDは非常に重要といえます。そこで,法務DDの際に注意すべき点をピックアップして紹介したいと思います。

 

チェンジオブコントロール条項の有無

契約に関する法務DDを行う場合,まずは会社が保有しているすべての契約書を集め,一つ一つその内容を確認していきます。その際,まず気にしなければならないのがチェンジオブコントロール条項(以下「COC条項」といいます。)の有無です。

COC条項とは,株主構成や会社の支配権に変動等が生じた場合に,当該会社の期限の利益が喪失されたり,契約の相手方が当該契約を解除できたりする旨の条項をいいます。具体的には,以下のような条項です。

【条項例】

甲は,丙(注:乙の単独株主)が乙(注:売り手)の唯一の株主でなくなったときは,本契約を解除することができる。

COC条項によって,買い手が重視していた重要な契約が解除されてしまうのであれば,そもそもM&Aをした意味がなくなります。その意味で,COC条項があるかどうかは非常に重要になります。

ただし,COC条項があるとしても,契約の相手がCOC条項に基づく解除権を必ず行使するとは限りません。このため,仮に契約書にCOC条項があることが発見された場合でも,相手方が解除権を行使する可能性がどの程度かについて買い手が確認しなければなりません。また、相手方との交渉の余地があるかどうかについても確認する必要があります。

 

競業禁止条項の有無

COC条項のほか,競業禁止条項の有無も法務DDの際に気になる点です。

競業禁止条項とは,一定の期間,特定の地域において,契約相手が行っている特定の業務と競業する内容の業務等を行うことを禁止する条項を意味します。

【条項例】

乙(注:売り手)は,本契約有効期間中及び本契約が終了したときから3年間,日本国内において,甲と競合する事業を行ってはならない。

上記の条項によれば,例えば買い手が売り手(すなわち乙)を吸収合併する際に,既に甲と競業する事業を行っていたのであれば,吸収合併実施と同時に買い手はこの条項に違反し,契約を解除されたり債務不履行責任を追及されたりするリスクが生じることとなります。

また,買い手が,ある事業を展開させることを念頭に売り手の株式ないし支配権を取得した場合において,当該事業が甲の事業と競業してしまうと,上記の条項に違反することとなります。すなわち,買収後の売り手に当該事業を展開させることができなくなってしまい,M&Aをする意味がなくなってしまうのです。

そこで,仮に競業禁止条項が法務DDで発見された場合,COC条項と同様に,買い手としては,売り手と契約を締結している相手方に対して,事前に競業を行うことを承諾する余地があるか確認する必要があります。その結果を持って、M&Aを行うかどうかを判断する必要があります。

 

その他の契約書の注意点

上記のほかにも,法務DDにおいては,違約金・保証金条項や損害賠償額の制限条項等を確認し,売り手が契約上どのような責任を負うこととなっているのか,または契約の相手方にどのような責任を追及できるのかを確認します。

また,什器備品等の売買契約では,所有権留保に関する条項がないかどうかも見逃せないところです。売り手が所有する物のように見えても第三者に所有権がある場合もあり,売り手の企業価値の算定に影響が出るからです。

 

そもそも契約書がない場合

これまで,法務DDの際には契約書のどのような条項に注意すればよいかについて述べてきました。しかし,実際には,何らかの契約がされていることは分かるものの,そもそも契約書が存在しない場合も往々にしてあります(なお,民法第522条第2項では,「契約の成立には,法令に特別の定めがある場合を除き,書面の作成その他の方式を具備することを要しない。」と規定されており,口約束でも当事者間で合意があれば原則として契約は成立します。)。特に中小企業間の取引では契約書がなく,当事者である企業間ないし担当者間の信頼関係や慣習で取引が行われているという場合も散見されます。

だからといって、契約書がない取引について法務DDの際に検討の対象から外すことは非常にリスクがあります。なぜならば,契約書がない取引こそ取引の内容や規律が不明瞭なため,これまでは当事者間の信頼関係等で問題なく行われていたとしても,M&Aにより担当者が変わること等によって,トラブルが発生することが想定されるからです。

では,どのようにして契約書がない取引について法務DDを進めていくのでしょうか。基本的には,担当者からの聞き取りやメール,伝票などから取引の内容や規律を認定していくしかありません。そして,買い手としては,売り手に対し,遅くともM&Aを実施するまでには,契約書を作成することを求めるべきでしょう。

 

専門家によるDDを行うことが重要

契約に関する法務DDについては,まだまだ注意すべき点があります。費用がかかるからといって,十分な法務DDを行わないとM&A実施後に思わぬリスクと遭遇してしまうおそれがあります。

弁護士や中小企業診断士などの専門家に是非ご相談ください。

 

弁護士・中小企業診断士 武田宗久

スタートアップ起業家がM&Aで成功する処方箋

今回は、スタートアップ起業家の立場に立って、M&Aによる事業売却(=EXIT)を成功させるポイントについて考察していきたいと思います。

 

経営者の価値観の大転換 ― 連続起業家というステータス

「終身雇用」「社員は家族」という社会通念の中で育った昭和生まれの経営者は、「M&A」と聞けば「のっ取り」と感じ、「一国一城の主」である自分が追い出されるM&Aは選択肢ではありませんでした。

しかし、スタートアップの経営者は今や80年代後半(平成初期)生まれのいわゆるミレニアル世代や、その後の90年代後半から2000年頃に生まれたZ世代が主流です。ミレニアル世代は生まれたときからモバイル端末に囲まれて育ち、知らないことは検索エンジンで調べるのが当たり前の世代。Z世代はスマホやSNSが生活に欠かせない環境に生まれ育ったデジタルネイティブ世代です。IT系スタートアップはこうした世代の経営者に支えられています。

こうした世代の経営者にとって会社は「課題解決のための器」であり、会社が課題解決に有効に機能しなくなったら別の「器」を選択する、そんな素直で合理的な判断をする経営者も少なくないのです。

就職してもキャリアアップのための転職は当たり前であるように、起業しても自分の城を堅守するのではなく、著名な大企業にM&Aされてキャピタルゲイン(事業売却による利益)を得ることの方がステータスになることもあるのです。

こうした環境下で、連続起業家(=シリアルアントレプレナー)といって、M&Aで得たキャピタルゲインを元手に次の起業を行い、新たな価値創造に取組む経営者が脚光を浴びるようになったのです。

 

スタートアップの特性を踏まえた事前準備が成否を分ける

外部株主との意思疎通

スタートアップの特徴として株主構成をあげることができます。設立当初の会社は創業者(=経営者)と身内の株主だけであることが一般的です。しかし、スタートアップの場合は、成長していくにしたがって事業シナジーを目的として出資する大企業や投資収益を目的としたベンチャーキャピタルなどが外部株主として参画してきます。

外部株主の同意なしには、株式譲渡は不可能です。M&Aが俎上に上がる前から、外部株主の中で最も株式保有シェアが高くリーダーシップを発揮できる株主と意思疎通を密にして緊密な関係を築いておくことが、M&Aを成就させるポイントです。

 

従業員や金融機関などとの関係整理

スタートアップの従業員は、新卒採用が少なく、即戦力を期待されて採用された中途採用者がほとんどです。スタートアップの従業員は、一つの企業で長く勤務するという意識が強くないため、終身雇用型の企業の買収と比べ、業務内容や雇用条件で別の企業に留まるか別の会社に転職するかを合理的に判断する可能性が高いようです。注意すべきは従業員にインセンティブ目的でストックオプションや株式が付与されている場合です。従業員のなかには、自分の勤務先の会社がM&Aをするとの情報を得ると、自己が保有する株を高値で売りたいため、容易に株の売却に応じない方々が必ず出てくるものです。こうしたことが生じないよう、あらかじめインセンティブ付与の際に予約権の要綱や付与時に締結する契約に退職をトリガーとした売渡請求権を規定するなどの方法を用いて対策をしておくことが必要です。

金融機関対策も重要です。株主でもないのに関係があるのか疑問に思うかもしれませんが、スタートアップが金融機関から運転資金などを借入れる場合は、通常、経営者が銀行借入の連帯保証人となることがほとんどです。更に経営者の自宅に抵当権が設定されることもあります。M&Aの方法にもよりますが、経営者の連帯保証や自宅への抵当権が残ってしまわないよう、買手企業に保証を引き継いでもらったり、事業譲渡の代金で経営者が借入金を返済したりする等といった形であらかじめシナリオを練っておくことが必要なのです。

 

売却価格の算定の考え方

一般的に、事業承継に伴う株式譲渡の場合には、相続税が関係することが多いため類似業種比準方式や純資産価額方式などを中心にディスカウントキャッシュフロー法などとも折衷しながら算定することが少なくありません。しかし、スタートアップの場合はIPO等を目指して事業計画に基づいて資金調達するため、上場企業のPERなどを参照した類似会社比準法を採用していることが多いようです。一般的な非上場企業と異なり、第三者割当増資を頻繁に行っているため、直近の株式発行価格も有力な比較対象となります。

ただし、実際の株価は理論だけでなく売手(経営者)・買手間の綱引きにより決まります。オープンイノベーションのために新サービスを開発したい大企業など、事業を高く評価してくれる買手探しができるかどうかが成否を分けることになります。

外部株主は経営者同様に企業価値が高くなることを望んでいますから、経営者はネットワークを持っていて日頃より積極的に取引先紹介をしてくれるベンチャーキャピタルなどの外部株主と懇意にしておくことも高株価を実現するための1つの方策です。

 

M&Aシナリオを視野に入れた資本政策

スタートアップはIPOを目的に設立初期から明確な事業計画を策定しますが、事業計画だけでは、IPOは勿論、M&Aも成功させることはできません。資本政策が必要となります。

資本政策とはIPOやM&Aに向けて増資や株式譲渡を組合わせて狙いの株主構成を実現するシナリオ作りをすることです。

例えば、株主構成面については、M&Aをする際には株式譲渡により会社の支配権を手に入れる必要があります。しかし、経営者が過半数の株式を保有していなければ、全株式を経営者が譲渡しても買手は支配権を手に入れることはできないため、そもそも買収が成立しないのです。

そのため、M&Aをする時点で経営者が株式の過半数を保有しているように、事前に第三者割当増資や株式譲渡により経営者の株式保有比率が低下し過ぎないようにコントロールする必要があるわけです。

株価面では、一見、高い株価で第三者割当増資を行った方が少ない株式で多くの資金を調達できるので良いことばかりのような気がします。しかし、M&Aをする際に外部株主の保有株価を下回る株価で株式譲渡の提案をして株主の賛同を得ることができるでしょうか?高すぎる株価で増資をすると、経営者が株式売却益を得られるような譲渡株価でも外部株主にとっては売却損になってしまうため、株主間の対立を招いてしまい、M&Aをすることが困難になってしまうのです。。

したがって、高すぎず低すぎずの株価で増資を行う必要があるのです。

このようにM&Aを円滑に実行するためには事業計画に沿った資本政策の策定が不可欠なのです。

 

むすび

コロナ禍の影響でインバウンド関連や外食・アパレルなどの接触型サービスを展開するスタートアップは業績悪化で事業計画の変更のみならず、ビジネスモデルの転換を余儀なくされているところも少なくありません。これに伴い、成長性の高い新事業に乗り出すために業績の悪い既存事業を譲渡したり、経営資源を集中するために、本業と関係の薄い事業を会社分割で切り離したりするようなケースも増加しています。

バトンズには、取引先紹介のネットワークを持ち、M&Aを円滑に進めるための資本政策をご提案できる専門家が充実しています。事業譲渡が具体化する前に、専門家に自社の資本政策をチェックしてもらってはいかがでしょうか。

 

中小企業診断士 伊藤一彦

TOBについて考える

みなさんこんにちは!大阪府堺市でみなさまのちょっとした変化を応援しています。山本哲也です。今回は、スモールM&Aから少し外れて株式市場を騒がせたTOBの話題についてお話したいと思います。つい先日、コロワイドが仕掛けた敵対的TOBは、ゲーム終盤になって両社が手を打ち、大どんでん返しかと思われましたが、結果としては、コロワイドの敵対的TOBが成立しました。いったい何があったのでしょうか?

敵対的TOBとは、経営陣の賛同を得ずに行われる株式公開買付けを指します。経営陣は買収対抗策を講ずるとともに、株主に対して買付けに応じないように勧告します。現経営陣の買収対抗策としては、ホワイトナイトと呼ばれる第三の友好的な企業による合併や新株引受けにより、買収を避けることがあります。また、自社の重要資産を他企業に営業譲渡することで買収する側からみた「買付けする価値」自体を棄損し買収意欲を削ごうとするようなことまで行われるケースもあります。

 

TOB成立条件を引き下げ

大戸屋は、8月下旬にオイシックスと業務提携を発表しました。冷凍総菜やミールキットなどの共同開発を行うようです。オイシックスは、新型コロナウイルス感染拡大に伴う巣ごもり需要の影響で業績好調で、2020年4〜6月期決算は、売上高が前年同期比42.2%増の231億円、営業利益が約3.8倍の20億円と大幅な増収増益となっています。「このままホワイトナイトになるのか?!」とワクワクしましたが、単なる業務提携との発表のみで終わりました。当たり前ですね。

一方、コロワイド側は8月下旬、TOB成立条件の下限を45%から40%に引き下げた上にTOB期間を9月8日まで延長しました。大戸屋ファンである個人株主たちが、コロワイドの呼び掛けに乗らず、TOB成立に必要な株数が集まらなかったためです。しかし、これが、決勝弾となり、一気にTOB成立となりました。大戸屋ファン株主が一挙に心変わりしたのでしょうか?

 

コロワイド苦戦の理由

コロワイドのTOBが苦戦していた理由は、ファン株主によるTOB反対だけではなかったようです。

日経新聞などによると…
TOBの成立下限が40%に引き下げられたことで、「利にさとい最大14日間限定の株主が急増した」(証券会社関係者)。

つまり、利ザヤ稼ぎのために市場で株式を買い入れ、コロワイドのTOBに申込んだ、いわば、“にわか株主”が殺到したようです。目標の取得率を引き下げたことと、取得期間を伸ばしたことで、状況が大きく変わったようです。

 

どういうこと?

これにはTOBの仕組みを少し説明する必要があります。以前の条件だと、応募が殺到して取得上限の51.32%を超えてしまうと、応募した1,000株すべては買い取ってもらえず、その一部、例えば400株が手元に戻ってきてしまうかもしれません。

 

それによって何が起きるかというと…。

戻ってきた400株がTOB終了で暴落する可能性が相当高く、そうなると利ザヤを大きく下回りトータルすると損失となる可能性が高まっています。これらの株主は経営や大戸屋のポリシーに興味があるわけではなく、利ザヤにのみ興味があるのです。だからこのリスクを勘案することは、当然と言えば当然です。

 

ビッグチャンス?

コロワイドの条件変更の発表を受けて、TOBへの応募は下限にすら達しなかったことが明らかになりました。言い換えれば、「TOBに応募すればほぼ間違いなくすべて買い取ってもらえそう」(個人投資家)という見方が急速に広がりました。しかも大戸屋HDの株価は8月25日終値でTOB価格を400円近く下回る2700円。

そうです。これはおいしい!!稼げそうだ!! となったことは明らかです。実際に、26日の売買高は25日の9倍以上に膨れ上がった。9月3日までの7営業日の1日平均売買高を見ても、8月25日までの7営業日の2倍を超えている。こうした人たちにとっては、独立経営を訴える大戸屋や「大戸屋HDは我々が立て直せる!」と主張するコロワイドの戦略のどっちが正しいかになんて「そんなのカンケーねー」です。

テレビのニュースで女性株主が「みんなでがんばりましょう!と株主総会で話したのに・・・みんななんで裏切っちゃったのかしら。」と涙ながらに話していましたが。「たぶんみんなが裏切ったのではなく新しい登場人物が現れてドラマが急展開しただけですよ。」と彼女に伝えてあげたいです。このような急展開など起こらなければ、ホームドラマのようなハッピーエンドが待っていたのに。このようなマネーゲームに巻き込まれたことは本当に残念です。

 

狙い通り?

かくして最大14日間限定の新たな投資家の登場は、結果として大戸屋HDを苦しめることになりました。TOB期間延長を発表した後、コロワイド幹部がTOB成立に自信を見せていた裏には、このようなシナリオを描いていたとすれば「すごい。」と言わざるを得ないですが、もう少しスマートにできなかったのでしょうか。コロワイドの企業イメージにとってマイナスでしかないと思うのですが・・・

いよいよ最終回。
コロワイドが臨時株主総会の開催を迫り、経営陣が一新されるようです。役員人事、経営方針、反対派だった社員さん、顧客の動向。どれも目が離せませんね。

 

中小企業診断士 山本哲也