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令和5年税制改正は凄い!中小M&Aの後押し~オープンイノベーション促進税制と経営資源集約化税制の見直し

2023年4月に国内M&Aを後押しする2つの税制の見直しが行われました。

この2つの税制はどのように中小M&Aに活用できるのか、買い手もしくは仲介の立場からみてみましょう。

1.オープンイノベーション促進税制とは

オープンイノベーション促進税制は事業会社やCVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)からスタートアップ企業への出資を加速させる目的で、2020年(令和2年)税制に創設された制度です。

そもそもオープンイノベーションとは何でしょうか。2016年7月に公開された「オープンイノベーション白書(初版)」によると「組織内部のイノベーションを促進するために、意図的かつ積極的に内部と外部の技術やアイデアなどの資源の流出入を活用し、その結果組織内で創出したイノベーションを組織外に展開する市場機会を増やすこと」と定義されています。

つまり、自前主義から脱却し、外部資源の活用や外部組織との連携を通じてイノベーションの創出やビジネスモデル変革などの取り組みを加速することです。

オープンイノベーション促進税制の対象となるのは、主に国内の大企業・中堅企業やCVCです。これらの企業がオープンイノベーションを目的として、スタートアップ企業の株式を取得する場合に取得価額の25%を課税所得から控除できる制度です。

所得控除の上限額は、1件当たり12.5億円以下(対象法人1社・1年度当たり125億円以下)となっており、かなりの大型出資を想定した内容となっています。

なお、適用を受けるためには、次の3つの要件を満たすことが条件となります。

①1件当たりの出資金額下限として、大企業は1億円、中小企業は1千万円(海外企業への出資は一律5億円)

②資本金増加を伴う現金出資(発行済株式の取得は対象外)、なお純投資は対象外

③取得株式の3年以上(※4)の保有を予定していること

2.オープンイノベーション促進税制の2023年度(令和5年度)改正内容

従来のオープンイノベーション促進税制は、スタートアップ企業への「新規出資」のみが対象となっていました。そのため、追加出資を望むスタートアップ企業や、既存株式の買い取りによる資本提携を計画している大企業などにとっては使い勝手が悪いものでした。

今回の改正により、これらの点が改善され、スタートアップ企業・大企業の双方にとって柔軟に活用できるようになりました。

【主な改正点】

(1)新規出資型の見直し(拡充)

過去にオープンイノベーション促進税制が適用されたスタートアップ企業への追加出資の場合でも、追加出資により議決権の過半数を有することになる場合は、適用対象になりました。つまり、追加出資により大企業がスタートアップ企業の経営権を獲得するような資本提携に踏み込むならば、税制優遇するということです。

(2)M&A型の新設

スタートアップ企業の成長に資するM&Aを後押しするため、増資に伴う新規発行株式だけでなく、M&Aによる発行済株式の取得に対しても税制の対象とする拡充が行われました。株式取得額が5億円以上、かつ、M&Aにより過半数の議決権取得を行った場合が対象となります。所得控除額は、発行済株式の取得価額の25%と新規出資の場合と同様ですが、上限額は1件あたり50億円と、新規出資の場合に対して4倍の金額まで認められます。

これらの施策は、中小企業同士でのM&Aよりは、大企業やCVCが中小企業をM&Aする場合に効果を発揮する税制です。

特に、既に株式を保有しているスタートアップ企業に対するM&Aであっても、以下の2要件を満たす場合には対象になる可能性があるので、オープンイノベーションを進めている企業はチェックしておきたいポイントです。

【追加出資によりM&Aをした場合に税制適用対象となる条件】

①M&A時点で議決権の過半数を有していないスタートアップ企業が対象であること

②今回の税制改正後のオープンイノベーション促進税制(新規出資型)の適用を受けていないスタートアップ企業が対象であること

オープンイノベーション促進税制は、スタートアップ企業を売り手、大企業やCVCを買い手とするM&Aを対象としたものですが、次章でご説明する経営資源集約化税制は、中小企業同士のM&Aが対象となる点で、より幅広く一般の中小M&Aに活用可能な制度といえるでしょう。

 

3.経営資源集約化税制の延長

経営資源集約化税制は、ウィズコロナ・ポストコロナ社会に向けて、地域経済・雇用を担おうとする中小企業による経営資源の集約化等を支援するため、2021年(令和3年)8月に施行された税制です。2023年度(令和5年度)税制改正で、適用期間が2年間延長されました。

税制の主な内容は、経営資源の集約化(M&A)によって生産性向上等を目指す、経営力向上計画の認定を受けた中小企業が、計画に基づいてM&Aを実施した場合に、税制優遇が受けられる制度です。

具体的には、(1)設備投資減税(中小企業経営強化税制)、(2)損金算入可能な準備金の積立(中小企業事業再編投資損失準備金)の2つを柱とした内容です。

(1)設備投資減税(中小企業経営強化税制)

経営力向上計画に基づき、M&A後にM&Aの効果を高める設備を取得等した場合、投資額の10%を税額控除、または全額即時償却することができます。

申請に必要な経営力向上計画の認定対象期間:2025年(令和7年)3月31日まで。

(2)損金算入可能な準備金の積立(中小企業事業再編投資損失準備金)

事業承継等事前調査(財務・税務DD、法務DD等)に関する事項を記載した経営力向上計画の認定を受けた上で、計画に沿ってM&Aを実施した際に、M&A実施後に発生し得るリスク(簿外債務等)に備えるため、投資額の70%以下の金額を準備金として積み立て可能という制度です。積立金額は損金算入できます。

申請に必要な経営力向上計画の認定対象期間:2024年(令和6年)3月31日まで。

なお、経営力向上計画とは中小企業等が、人材育成やコスト管理のマネジメント、設備投資などの経営力を向上させるための事業計画のことです。中小企業等は事業所の所管大臣に申請し認定を受ける必要があります。

経営力向上計画にはA~Dの4つの類型がありますが、そのうちM&Aに関係するのはD類型です。D類型はM&A後に取得する設備のうちM&Aの効果を高める設備を取得するものですが、他に生産性向上に資する設備(A類型)、収益力強化に資する設備(B類型)、遠隔操作、可視化、自動制御化などのデジタル化を可能にする設備(C類型)があります。

経営力向上計画は、要件を充足した申請をすれば認定される比較的難易度が高くない計画ですが、M&Aを実施する事業年度内に認定を受ける必要があるため、社内リソースが十分でない中小企業が当事者であるため、専門家等の力を借りて実施することも検討する必要があるかもしれません。

 

まとめ

今回はM&Aの買い手・仲介者目線で、M&Aの背中を後押しする税制についてお伝えしました。

オープンイノベーション促進税制や経営資源集約化税制など、企業規模やM&Aの目的に応じて有効な税制を理解し、適切に活用していきましょう。

アナタの財務部長合同会社 代表社員 伊藤一彦(中小企業診断士)

デューデリジェンスへ進む前にやっておくべきこととは?

売り手と買い手の間で重要な論点について話がまとまったら、基本合意の締結へと進みます。基本合意とは、M&Aについて売り手と買い手とが基本的な合意をしたことを、最終契約の前に文書にしておくものです。つまり、「この先、大きな行き違いがない限り、これでM&Aを実行しましょう」と言う意味を持ちます。
本日は、M&Aの大きな節目となる”基本合意”について、いつものとおり、M&A新任担当者のツナグと一緒に学んでいきたいと思います。

 

基本合意とは?

ツナグ:基本合意?DD(デューデリジェンス)もまだだし、仮契約みたいな感じかな?
そうですね。仮契約とは違いますが「これから、M&Aの取引成立に向けて、売り手と買い手とでお互い誠実に、前向きに、交渉を進めていきましょうね。そのための前提条件はこれらですよね」という感じですね。

 

ツナグ:「ふーむ。一般的な営業現場ではあまりない交渉スタイルだね」

確かに、あまり頻繁にはないと思いますが、巨大建造物やビッグイベントなどの大きな案件でも同様に、仮契約を締結することはあると思います。おそらく、売り手側は準備や提案のコストの回収を確定させ、買い手側は、案件の実行に道筋をつけられる。という双方のメリットを実現することが目的ではないでしょうか?一方で、M&Aの基本合意は、特に買い手にとって大きな節目になり、いくつかのメリットが発生します。

ツナグ:M&Aでは、買い手側にメリットが大きいんだね。なんとなく、買い物する側は、いつでも交渉から降りられるから、常に強い立場にあるイメージだけど・・・どんなメリットがあるんだろう?

 

買い手側にとっての基本合意のメリット

まずは、大枠ながら合意形成を文書にするわけですので、それによって「この取引はおそらく成立する、成立させなくてはならない」といった心理的拘束力が双方に期待できます。そして、先述のとおり、基本合意書には、「何ごともなければこのまま進めましょう」と言う意味合いがありますので、買収価格や譲渡スキームなど重要な論点の合意を盛り込みます。
基本合意書締結後は、DDへと進むのですが、DD終了後に大きな問題がなければこの基本合意で仮約束された金額で取引することが一般的ですから、買い手側は、ここまでに知り得た情報に不確定要素や不安要素があるようであれば、買収価格ではなく価格レンジ幅を持ったものを提示して合意することでリスクを最小限にします。また、スケジュールを設定することになりますので、特に、売り手側の意思決定が遅いと感じている場合など、買い手にとっては大きなメリットとなるはずです。
そして、最大のメリットは、独占交渉権が得られることです。一般的には、買い手側に独占交渉権(排他的交渉権)が付与されます。これによって。買い手は競合の動きを気にせず交渉に専念できます。
補足になりますが、もし、双方いずれかが、上場企業の場合は、基本合意後に適時開示により公表されることが一般的です。つまり、もしこのM&Aが成立しなかった場合、「DDで何か大きな問題が発覚したのか?!」と言う様々な憶測が投資家の間に飛び交うことになります。そのため、双方ともに、なんとか交渉を進めて、無事に取引を成就させたいというインセンティブが働きます。

 

基本合意に盛り込まれる主な事項とは?

ツナグ:なるほど。基本合意ってすごい大きな意味があるんだね?!

基本合意では、大きく分けて二つのことについて合意します。一つは取引条件、そして、もう一つは当事者同士の義務など基本的な約束事です。

ツナグ:買い手としては、”金額”、”M&Aの形態”、”スケジュール”なんかが決まっていれば、動きやすそうだね。

そうですね。まず、もっとも大切なことは、買収スキームと取引価格についてです。取引価格については、これまでの交渉を通じておおむね合意していると思いますので、その金額を明示しておきます。一方で、スキームについては、株主などの同意が必要な場合も多いため、この段階で確定することはできませんが、少なくとも最低取得株式数あたりは明記しておきたいところです。また、先述のとおり買収金額に幅を持たせて合意する場合がありますが、売り手側は、どうしても上限金額に意識がいきがちです。安易に金額の幅を決定することはせず、しっかりと自社内のコンセンサスを得ている金額を上限金額とするようにしましょう。

そして、次に従業員や役員などの引き継ぎ条件についてです。具体的には、従業員の雇用条件の維持や、変更に関しては、重要な基本合意事項になります。一般的な労働者は、法律によって保護されていますが、それに加えて、通常1~2年程度は大きな変更をしないということを合意しておきましょう。一方で、役員については任期もあり、法的な保護はないため、退職慰労金などしっかりと合意しておくことが必要です。
また、M&A後の経営統合作業や、業績改善に集中したいため、許認可や重要な取引先との契約、人員整理や不採算事業からの撤退などは、クロージングの前提条件として売り手側の責任で対応を済ませてもらうことを基本合意にしておくことが重要です。

 

基本合意は守られてこそ

ツナグ:なるほど。買い手にとっては、大きな買い物だし、M&Aが成立してからが本番だっていうこともあるし、不確定要素はできるだけ排除しておきたいですよね!なんだかワクワクしてきた!

そうですね。そのためにも、具体的な基本合意の前提条件についても同意が必要です。
まずは、DDの実施日程や調査範囲などとともに基本合意後速やかに実施することへの合意を確認します。独占交渉権についても同様です。これは、売り手は買い手(当社)以外とM&Aについて交渉を行うことを禁止する条項です。ただし、売り手にとってさらに魅力的な買収提案を受けた場合のために別途協議すると言う項目を入れたり、反故にする場合の罰則規定等も決めることがあります。M&Aが盛んなアメリカでは、すでに違約金の相場もあるようです。
これら以外にも秘密保持や善管注意義務に関すること、有効期限、法的拘束力項目について明確にします。

 

▼まとめ

今回は、M&Aの大きな節目となる”基本合意”について、買い手側の視点に立ってツナグと一緒に学びました。しかしながら、売り手側にとっても「計画通りに譲渡を実現する」という点において、大きなメリットがあるフェーズです。一方で、このフェーズでもっとも大切なことは「対象企業を利用してくださっている顧客や、業務に従事している従業員・役員にとってのメリットをどのように実現するか?」でもあります。くれぐれも本来の目的を見失わないように留意ください。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。次は、あなたのビジネスにご一緒させてください。
中小企業診断士 山本哲也

企業の価値の見える化を実現する「ローカルベンチマーク」

M&A市場において売り手が不足しているもう一つの理由

前回のコラムでは、M&A市場において、売り手が不足していることをお伝えしました。その際、売り手が不足している理由として、そもそも自分がいままで手塩にかけて育ててきた企業を売却すること自体、相当に重い決断を強いられることをあげました。

しかし、仮に企業の経営者が自社についてM&Aで売却することについて積極的であったとしても、M&Aに至らないこともあるように思われます。実際、過去にM&Aで自社を売却したいという相談を受けたものの、結局は自己破産のやむなきに至った事例もありました。このような事例に共通するのは、当該企業において、買い手にアピールできるような点がなかなか見つからず、買い手が見つかる可能性を見出すことができないということでした。

自社にはこれといった「売り」はないと考える企業の経営者は、意外と少なくありません。ところが、実際には自社の企業価値がないのではなく、気付いていないだけの場合もまた少なくないように思われます。

自社の本当の価値に気付くためには、まずは自社の現状を知ることから始まります。そこで、今回は、中小企業におけるM&Aの準備段階に入る前から企業・事業の価値を向上させるべく「見える化」「磨き上げ」を行うためのツールのうち、経済産業省が作成したローカルベンチマークについて解説します。

 

ローカルベンチマークとは何か

ローカルベンチマーク(以下「ロカベン」といいます。)とは、企業の経営状態の把握、いわゆる「企業の健康診断」を行うツールで、簡易な事業性評価のための道具として活用されています。

ロカベンは、エクセルシートに所定の事項を入力していくことにより作成できます(エクセルシートは、経済産業省のウェブサイトからダウンロードすることが可能です。また、ミラサポplusでも、ローカルベンチマークを作成できます。

https://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/sangyokinyu/locaben/sheet.html)。

〇 ロカベンにはどのような内容を記載するのか

ロカルベンの記載事項は、財務指標と非財務情報に大別されます。このうち、財務情報は、

① 売上持続性(売上高増加率をもとに事業活動が成長・安定・衰退のどのステージにあるかを検討する。)

② 収益性(営業利益率をもとに効率的に利益生産しているか検討する。)

③ 労働生産性(付加価値(=営業利益)を従業員数で除した値で検討する。)

④ 健全性(EBITDA有利子負債倍率で債務返済能力を検討する。)

⑤ 効率性(営業運転資本回転期間で取引条件の変化や不良資産の可能性を確認する。)

⑥ 安全性(自己資本比率にて会社が負担している債務について弁済がで き るだけの資力があるかを検討する)

の6つの指標から構成されています。財務情報として挙げられている指標それ自体はいわゆる経営分析の際にも広く用いられているものです。

ロカベンの特徴はむしろ、非財務情報にあるといえます。非財務情報とは、製品・商品・サービスを提供する流れを記載し、どのような流れで顧客に提供される価値が生み出されるのかを見える化する「商流・業務フロー」やさまざまな視点から自社を検討する「4つの視点」があります。

「4つの視点」とは、

① 経営者(経営者自身の経営哲学・経営意欲・後継者の有無)

② 事業(企業又は事業の沿革・強み・弱み・IT化)

③ 企業を取り巻く環境・関係者(市場動向、既存・新規顧客、従業員、金融機関)

④ 内部管理体制(組織体制等・事業計画及び経営計画の有無及び社内での共有状況、研究開発体制・人材育成の取組み状況)

を指します。

このように、ロカベンでは、定量的な財務情報だけでは測ることのできない定性的な情報について、企業の経営者と金融機関・支援機関との間で対話を行いながら記載をしていくことによって、自社の現状を把握していきます。

そして、自社の現状の認識をしていく過程において、自社に思わぬ強みがあることや課題を克服すれば強みとなりうる要素を発見することができるのです。

 

ロカベンで自社の強みの発見を

知的資産経営ということばがあります。知的資産とは、人材、技術、組織力、顧客とのネットワーク、ブランド等の目に見えない資産を指すものです(したがって、知的資産は、特許権や著作権といった知的財産とはやや異なります)。目に見える資産という観点からすれば、中小企業は大企業に比して優位に立てないことも多いと思います。

しかし、知的資産という観点からすれば、中小企業でもキラリと光るものを持っているということも珍しいことではないでしょう。その意味において中小企業の新たな発見をもたらすロカベンは有用なツールといえるでしょう。

 

弁護士・中小企業診断士 武田 宗久

M&Aを想定して企業価値を高めよう

帝国データバンクのレポートによると2023年上半期(1月-6月)の倒産件数は、前年同期比31.6%増で、5年ぶり4,000件を超え14年ぶりに全業種で前年同期を上回ることになりました。
本件レポートでは注目の倒産動向として「業歴100年以上の老舗企業の倒産」「ゼロゼロ(コロナ)融資後倒産」「人手不足倒産」などが特徴としてあげられています。
ゼロゼロ融資の返済開始時期の本格化、物価高や電気代、円安等によるコストプッシュ圧力の高まりなど、外部環境の急激な変化により、本業の「収益力」が問われる局面へと突入しているようです。
こうした中、日ごろから企業価値向上に向けた取り組みをすることが、従来以上に重要となってきているといえるでしょう。

1.企業価値のブラッシュアップ

経営者は、自社を外部の第三者に承継するか、親族に承継するかに関わらず、日々、業績改善や、内部管理体制の整備などに取り組み、企業価値向上に努めています。
岸田内閣では「新しい資本主義」を掲げ、「スタートアップ育成5か年計画」を策定しスタートアップ企業の支援策を強化しています。スタートアップの多くは新規株式上場(IPO)を目指して、企業価値向上に取り組んでいます。これらのスタートアップの中には創業後、5~6年で株式上場できる企業規模まで事業拡大しているケースが多く、一般的な中小企業と比べて極めて高い成長性を有しています。その理由の一つは、IPOという出口をマイルストーンとして企業価値向上策を進めているからです。
今回は、IPOを目指していない企業であっても、社外の客観的視点で企業価値を可視化することにより、経営をブラッシュアップし、企業価値向上のスピードアップを図る方法について述べたいと思います。

 

2.企業価値の可視化

上場企業は、日々の株価推移により企業価値を時価で把握することが可能ですが、非上場企業の場合は、企業価値を適時適切に把握する方法がありません。しかし、非上場企業でも客観的に把握する方法はあります。
具体的には、M&Aが実施される際に企業価値を算定するために実施されるデュー・ディリジェンス(以下、DDという)という手法を通じて行うものです。DDは主にM&Aの買い手により実施されますが、経営者の主観に依存せず、企業のビジネスモデルや財務内容、知財の有無などをチェックし客観的に企業価値を算定できます。
視点を変えると、DDでの評価項目を活用することにより、経営者は自社の企業価値を自分自身で客観的に把握し、効果的にブラッシュアップを図ることができるといえます。

 

3.DDの評価項目からバックキャストした企業価値向上策

中小M&Aガイドラインによると、DDとは、対象企業である売り手に係る各種のリスクを精査するため、主に買い手がFAや士業などの専門家に依頼して実施する調査とされています。
DDの内容は事業、財務、税務、法務、人事労務、知財、環境、不動産、ITなど、多岐にわたりますが、ここでは、主要なDDとされる①資産・負債等に関する財務DD、②株式・契約内容等に関する法務DD、③ビジネスに関する事業DDの3つの視点についてみていきたいと思います。

(1)財務DDの評価ポイントから逆引きした財務対策
財務DDの調査項目や業務範囲は案件ごとに異なりますが、共通する一般的な調査要点として以下の項目があげられます。

①損益計算書分析
「正常収益力分析」
一般的にEBITDAを用いて分析します。EBITDAはEarnings Before Interest Taxes Depreciation and Amortization」の略で、税引前利益に支払利息および減価償却費を加えて算出します。キャッシュの出入りに注目し、設備投資額の大小やタイミングに左右されずに「会社が利益を上げているか」を正確に把握することができる指標です。業種により異なりますが、企業価値をEBITDAで除したEBITDA倍率が8倍を超えると割高と言われています。これは8年間で生み出すキャッシュフローが企業価値の目安となっているといえます。逆引きすると、このEBITDAを高める工夫が企業価値を高めるといえます。
「費用構造の把握」:費用を変動費と固定費に分解し、損益分岐点分析を行うものです。固定費の水準や変動費率(変動費÷売上高)を下げて損益分岐点売上高を引き下げることにより、儲ける力の高い財務体質を構築することができます。

②貸借対照表分析
「純資産調整」
在庫や有価証券、固定資産などの含み損失、および退職給与や貸倒引当金などの引当不足があれば純資産から控除し、実質的な純資産額を算出します。逆引きすると、評価損益や引当などの会計処理を適切に実施し、その上で純資産金額の向上を図ることにより企業価値を高めることができます。
「ネットデット/エクイティレシオ」
負債と自己資本のバランスから財務の健全性を見る指標です。ネットデットとは、純有利子負債とも呼ばれ、「有利子負債-非事業資産」として算出されます。非事業資産とは、事業価値の創造に貢献していない現預金、貸付金、有価証券や遊休不動産などのことをいいますが、簡便法として「有利子負債-現預金」で求められることが多いようです。当該比率は1倍以上あることが目安とされています。これは、返済義務のあるお金より返済義務がないお金のほうが多い状態であることを意味します。逆引きすると、このような財務状態を目指すことが企業価値向上に資するポイントといえるでしょう。

「偶発債務」
貸借対照表に記載されない簿外債務の一類型で、まだ発生していないが将来条件を満たした時に発生する債務のことです。具体的には、債務保証、訴訟による損害賠償債務、未払い賃金などがあげられます。中小企業は税務会計を採用していることが多いため、偶発債務が財務諸表に注記されることは少なく、M&Aの際に企業へのヒアリングを通じて明るみに出ることが少なくありません。偶発債務は、買い手にとってリスクとなるため、偶発債務を控除して企業価値を算定します。逆引きすると、経営者は偶発債務の内容や金額を正しく把握し、圧縮していくよう努力することで企業価値向上を図ることができます。

(2)法務DDの評価ポイントから逆引きした法務対策
法務DDの共通する一般的な調査ポイントとして以下のような項目があげられます。
M&A時の法務DDでは、買収に関する株式譲渡契約や合併契約などの内容も対象になりますが、ここでは企業価値向上のためのポイントであるため、除外します。

①法令等の遵守状況
法律や社会規範を遵守しているかどうかをチェックします。違反が発覚した場合、罰金や業務停止などの影響が出る可能性があるため、重大なリスクを防ぐために重要です。日ごろからコンプライアンス遵守体制の整備や周知徹底が企業価値向上に繋がります。

②知的財産権の確認
特許や商標などの知的財産権が適切に保護され、管理されているかを調査します。知的財産権は企業の価値を大きく左右するため、日ごろから企業の保有する知的財産の保全策を進めるとともに、第三者の知的財産の侵害がないよう適切な管理を行うことが重要です。

③訴訟・紛争の存在
企業が訴訟や紛争の当事者になっていないか、あるいは将来その可能性がないかを調査します。これは、将来的に発生する訴訟費用や賠償リスクが企業価値に影響するため重要なポイントです。顧問弁護士や法務担当者を活用した適切な法務管理や、組織規模に見合った内部統制など適切なガバナンスの強化、紛争が起こった場合に迅速な対応が可能となるようなルールや体制を事前に整備しておくことなどが重要です。

④労務問題
労働契約、労働条件や労働者の権利が法令や社会規範に則っているか確認します。労働問題は企業の評価やブランドに大きな影響を与え、罰金や訴訟につながる可能性があります。特に、近年は働き方改革に対応した労働法制の改正が実施されていることを踏まえて、未払残業代の発生や、ハラスメント問題などの発生を防止する体制・ルール作りが重要です。

(3)事業DDの評価ポイントから逆引きした対策
事業DDには様々な調査ポイントがありますが、中でも重要と思われる以下の4項目について示します。

①ビジネスモデルの評価
企業のビジネスモデルがどのように収益を生み出し、その持続性があるかを評価します。収益の源泉、コスト構造、価値提供の内容・方法を分析します。自社の事業が内外環境の変化に柔軟に対応できる持続可能なビジネスモデルになっているか継続的に見直しができる経営体制が必要とされます。

②市場環境の分析
市場環境の把握は、企業の将来的な成長と収益性の可能性を評価するために重要です。大きく成長する市場は、新たなビジネスチャンスを提供し、それに対応できる企業は高い価値を持つ可能性があります。ターゲット市場の規模、成長性、顧客行動の変化などについて社内外のリソースを活用して適切に行うことが必要です。

③競合分析
企業の競争優位性の維持・強化と市場での戦略的ポジショニングを決定するために重要です。マイケル・ポーターの「5フォース分析」などの手法を活用し、主要な競合企業、新規参入や代替品の脅威、顧客の交渉力、サプライヤーの交渉力などを分析することも有効な方法です。

④事業計画の評価
企業の現状分析だけでなく、将来の市場環境や競合状況を踏まえた中長期の計画の達成可能性とリスクを評価します。事業計画の評価は、企業が将来的に価値を生み出す可能性とリスクを評価する上で重要です。策定済の事業計画が現在の環境下でも達成可能なものになっているか、計画時に採用したKPIが有効な指標となっているかを継続的にモニタリングし見直していくことが重要です。

まとめ

今回は経営者目線で、企業価値向上のためにはM&Aにおける財務DDや法務DD、事業DDにおける評価ポイントを“逆引き”して活用することが有効であることについてお伝えしました。
直ちにM&Aがあるわけでもないなか、DDを実施するのはコスト負担やリソース配分の観点から現実的ではありません。しかし、第三者の客観的な評価軸を目標設定したりPDCAを回したりすることに活用することは、社員の目標や実績の可視化にもつながり、企業価値向上のみならず企業風土の活性化にもつながることでしょう。
DDの評価ポイントを経営に効果的に導入するため、M&Aや経営・財務・法務等に知見のある専門家を上手に活用することも、賢い経営者の選択肢かもしれません。

 

アナタの財務部長合同会社 代表社員 伊藤一彦(中小企業診断士)

交渉を有利に進めるコツ

M&Aの現場では、売り手も買い手も大きな意思決定を迫られ、”失敗できない”や”損をしたくない”という強いストレスに直面しています。そのため、手間や時間がかかることは当たり前としても、時には、合理的な判断ができなくなるほどの感情問題になってしまったり、交渉がこう着状態に陥ったり、最悪の場合、破談になってしまうことも珍しくありません。
一方で、積極的にM&Aを活用している担当者や経営者は、セオリーを押さえて交渉に臨んでおり、交渉の成功確率を上げています。交渉ごとには同じ状況が存在しないものの、一般的な交渉理論に基づいたコツを共有できればと思います。本日も最後までお付き合いください。

 

相手の交渉のパワーがどこから生まれるのか?を知っておく

交渉ごとには、立場があり、多くの場合、その立場に有利不利があります。
①期待度によるもの
交渉ごとを成立させたいという思いの強いほうが、残念ながら、交渉上の立場は弱くなってしまいます。つまり、初めての交渉にあたるケースや、自社サイドの締め切りが控えているケースなどがこれに当たります。
逆に言うと、交渉前の情報収集を入念に行い、相手側の期待度や焦り具合などを把握しておくことで交渉を有利に進められる可能性が大きく変わります。
一般的には、売り手企業のケースでは、業績が不振であるほど焦りが見られますし、金融機関から期限を設けられている場合はさらにその傾向が強まります。この場合の買い手側は圧倒的に有利に交渉を運ぶことが可能になるでしょう。一方で、独自の強みを持っていたり、業績好調な売り手企業のケースにで、複数の買い手による争奪戦が予想できます。
このように、相手先の背景や業況などの情報収集は、基本中の基本と言えるでしょう。

 

代替案の存在を確認する。

“後がない交渉相手”との交渉ごとは、おおむねこちらにとって有利に進められるでしょう。

では、相手に代替案があった場合はどうでしょうか?もし代替案を持っていれば、それほど交渉で弱腰になることはないでしょう。
例えば、「交渉ごとが決裂した場合、倒産するしかない」ともなればどんどん妥協してくるでしょうし、たとえ、高い金利であっても借り入れの目途がついており、倒産を免れる可能性があれば、それほど妥協して来ないのではないでしょうか?
つまり、相手の次の一手を知ることも交渉ごとを進める上で貴重な情報と言えそうです。

 

交渉タイプと交渉戦術

交渉には、ゼロサム交渉とプラスサム交渉の2つのタイプがあります。
ゼロサム交渉とは、一方が得をした同じ分だけ相手方が損をする場合です。交渉成立は難しくなりやすいでしょう。
一方で、プラス•サム交渉とは、交渉で得られるものを大きくしておいて、引き分けを狙う交渉術です。WIN-WIN交渉とも呼ばれます。例えば、現状価格で買い取る代わりに支払いを分割にするとか、取引先として継続的に付き合うなどです。
M&Aの場面では、1回限りの取引になりやすいのですが、なんらかの方法で、プラス•サム交渉とできないかの糸口を探すことが重要です。

それでもゼロサム交渉になることが多いわけですが、その場合に重要になるのは、先ほどお伝えした”情報”です。いかに相手のことを深く調べ、こちらの手の内を明かさないか、または、伝えるべき情報と伝えてはいけない情報を管理、区別するかです。特に重要な情報は、取引価格と言えるでしょう。
価格の決め方には、いろいろな方法がありますが、重要なことは、自社が買い手であれば、買値の下限値はいくらか?自社としての買値の上限値はいくらか?を自社内で分析・試算の上、設定しておくことです。
自社内での上限・下限を設定したら、相手方への伝えることになりますが、価格交渉においては、最初に提示する価格にもっとも影響を受けることがいろいろな実験で分かっています。
例えば、家電量販店で価格交渉をする場合、店頭価格から値切るのではなく、競合製品や自分の感じる価値によって試算した価格を伝えるべきです。相手側の譲歩枠をこちらで勝手に分析して1〜2割程度の値引きをお願いしていませんか?
もし、買い手として有利に交渉を進めたいのであれば、実現可能性があり、かつ自分たちにとって理想の価格を最初に提示し、根拠とともに伝え、価格交渉をします。この時に、法外に安い価格を示すと相手側から”問題外の交渉相手”と認識され、決裂するため注意が必要です。

ただし、先に希望価格を提示することは、交渉相手にプレッシャーをかけることになり、その後の交渉が有利になるだけではなく、最後に相手の希望価格を聞き入れて成立した際に、「こちらが譲歩した」形になります。これは、相手から見ると「譲歩を引き出した」となり、交渉ごとに勝った形になります。つまりwin-winの結果と言えるでしょう。

 

返報性の法則を利用しましょう

M&Aの場面では、交渉ごとの成立後も相手からの支援を必要としたり、こちらが支援するなど、できれば、円満な関係を持って取引を完了させたいものです。そのためにも、相手に勝たせたような交渉結果が得られことが望ましいです。少しずつ譲歩し、相手の譲歩を引き出したり、相手の譲歩に対してこちらも何らかの誠意を示したりするなど、譲り合いの関係性を築きましょう。
最初から自分たちのギリギリの条件を提示して、「不誠実なので駆け引きはしません」と言う担当者もよくいますが、相手からみると頑固で誠実さや柔軟性を欠いた態度と受け取られ、逆に交渉をこじらせる結果を招きやすいので注が必要です。

 

利益のミスマッチ

家電量販店の事例のように、交渉相手と同じ利益(お金)を追求することは「どちらが得したか?」という評価軸を生みだしてしまいます。では、もし、双方が別の利益を追求したらどうなるでしょう?

例えば、家電量販店であれば、「まとめ買いします!」との提案は、担当者の売上増加に繋がりますし、担当者が会員を増やしたいと考えているのであれば「会員になりましょう」という譲歩も交渉成立に有効でしょう。M&Aに置きかえてみると、売り手が売却価格重視ではなく、従業員の雇用確保や現金の入手スピードだとしたら、譲歩案は、従業員の雇用を確約し、即時現金支払いを約束することで、価格交渉を依頼することになります。

つまり、このような交渉結果を得るためには、お互いの追求する利益が何であるかを見極めることが重要です。

利益のミスマッチをうまく利用するためには、買収条件を提示する際に、できるだけ複数の課題を一度に提示することがポイントになります。例えば、合併交渉であれば、合併比率だけでなく、新会社の社名、本社所在地、トップ人事など、複数の主要な条件を一度に提示して交渉します。それによって、相手方が最も重視するポイント(利益)が浮き彫りになりやすく、それによって利益の交換を行う糸口をつかむことができます。
一方で、条件を一つずつ提示する形で交渉を進めていくと、それぞれがゼロサム交渉となり、立場の強い方にとって一方的に有利な展開となってしまいます。そうなると相手の不満が募り、いずれどこかで交渉が破談となるリスクが高まります。ご注意ください。

 

まとめ

今回は、交渉ごとをスムーズに、できれば、自分たちにとって好ましい結果を得るための交渉術について一緒に学んできました。私たちの日常生活には、このような大きな交渉ごとはないと思いますが、もしチャンスがあれば、少し試してみることで現場に活かせるスキルが身につくでしょう。

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。

次は、あなたのビジネスにご一緒させてください。

中小企業診断士 山本哲也

 

売り手の確保につながるか?―大阪産業局の挑戦

売り手が不足しているM&A市場

企業の後継者の確保ができない場合に、事業承継を行う一つの方法としてM&Aがあることはいうまでもありません。

しかし、実際に事業承継の場面でM&A市場を見てみるとあることに気づきます。それは、企業を買いたいという買い手は比較的多い一方で、企業を売りたいという売り手は必ずしも多くはないということです。

買い手にとっては、新規事業を開始するのはもちろんのこと、自社の既存事業の対象地域を拡大したり、上流に進出したりする場合であっても、「ゼロイチ」、すなわちゼロから事業を立ち上げるのはリスクがあるうえ、十分なノウハウや顧客などを獲得するのには時間や労力がかかります。このため、ある程度事業について実績のある企業をM&Aによって取得することは経営戦略としても合理的なものといえ、買い手のニーズは堅調である印象があります。

他方で、売り手の立場からすれば、そもそも自分がいままで手塩にかけて育ててきた企業を売却すること自体、相当に重い決断を強いられることになります。特に自分が起業したのではなく、代々続いてきた企業を売却することを決断する社長が苦悩することは十分に理解できるところではないでしょうか。また、仮に自社をM&Aによって売却してもよいという決断をしたとしても、M&Aで売却した後も自社の企業の経営を安定的に継続してもらいたいとの思いから買い手を慎重に選ぶ傾向もあるように思われます。

このように中小企業のM&Aでは、売り手は慎重な判断をする傾向があることから、売り手を確保することが課題となっているように思われます。

 

大阪産業局の取組み

このような課題に対し、大阪産業局が令和4年度から「インターネット《事業引継ぎ支援》プロジェクト」(以下「本施策」といいます。)という興味深い取り組みをしています。(大阪産業局とは、大阪市と大阪府による中小企業支援組織で、平成31年4月に大阪府の大阪産業振興機構と大阪市の大阪市都市型産業振興センターが統合してできた公益財団法人です。)

本施策は、大阪産業局が大阪府から委託を受けて行うもので、登録専門家のアドバイスを通して、M&Aや事業譲渡を検討している企業の経営者がM&Aプラットフォームへ登録できるようにサポートするものです。

ここにいうM&Aプラットフォームとは、大阪府が連携協定を締結した株式会社M&Aサクシード、株式会社トランビ、株式会社バトンズが行っているM&Aのマッチングサイトをいいます。

 

登録専門家が行う支援

登録専門家は、中小企業診断士や税理士といった士業のほか、商工会議所なども含まれます。M&Aで会社の売却を検討している企業の経営者に対し、登録専門家が、会社概要の作成方法や株価算定などによる妥当な資産価値、アピールポイントなどをアドバイスします。また、登録専門家が、M&Aプラットフォームに企業を登載した後、どのような流れで進めていくのかについての説明を行うことも本施策には含まれています(ただし、M&Aプラットフォームに登載後に具体的な案件として進めていく場合の助言などは本施策の対象外となっています。)。

登録専門家は、大阪産業局が実施する研修を受講し、所定の試験に合格することなどが要件となっており、一定の質の確保が企図されています。

そして、登録専門家の報酬は、大阪産業局にて負担し、企業が負担することはありません。また、相談したい登録専門家がいない場合は大阪産業局が登録専門家を紹介することも可能となっています。

なお、本事業の対象となる企業は、①事業譲渡を検討している中小企業者又は小規模事業者であることのほか、②大阪府内に本店または事業所があることが要件となっています。

 

売り手の確保につながりうる施策に

そもそも特定の企業が行っているインターネットのプラットフォームに登載することについて、公的な組織である大阪産業局が予算を確保して関与するということ自体、M&Aによる事業承継において売り手がまだまだ少ないことを強くうかがわせるものといえます。

施策によって、登録専門家が自社を売りに出すことに抵抗がある企業の経営者に事業承継の重要性について説明をしたり、そもそも自社について買い手がいるのだろうかと不安に思っている企業の経営者に自社の強みを発見してもらったりすることが可能になり、売り手の確保に一定の期待ができるものと思われます。

大阪産業局による新たな挑戦ともいうべき施策により、M&A市場に多くの売り手が登場して活性化することはもちろんですが、少しでも多くの企業が後継者がいないことによる廃業を回避するきっかけになることを願ってやみません。

 

弁護士・中小企業診断士 武田 宗久 

M&Aの本当の成否を決めるのは~顧客の引継ぎ~

M&A専門誌「マールオンライン」を運営する株式会社レコフデータの発表によると、コロナ禍にあっても2022年の日本企業のM&A件数は4304件と、2021年の4280件を24件、0.6%上回り、2年連続で最多を更新しました。コロナ禍の収束に伴い、中小M&Aの動きはさらに加速すると思われます。

M&Aにより事業を承継する際に、大切だとわかっているのに譲渡金額や譲渡方法などM&A自体に目を奪われて、買収後の事業展開面で最も重要になる「顧客」の承継対策がおろそかになっているケースが散見されます。今回は買い手目線で見た場合の「顧客の円滑な承継」にフォーカスしてご説明したいと思います。

 

1.「顧客」承継の重要性

M&Aにより事業承継する際、承継すべき要素は多岐にわたりますが、株式の承継、経営権の承継、資産の承継などは、M&Aを実施する上で、主要な部分を占めています。

確かに、株式や経営権、資産を承継できればM&Aという“儀式”自体は成立します。しかし、M&Aそれ自体が目的ではなく、M&A後の事業の発展があって初めて目的が達成されるものです。「顧客」は事業成長と存続のための生命線であり、M&A後の事業の発展に不可欠な要素です。特に、理美容業・クリニック・学習塾・高級レストランなどは固定客比率が高い業種といわれており、固定客をいかに承継できるかによって、M&A後の売上高が大きく左右されることになります。

 

 

2.顧客は企業価値の源泉

「顧客が企業価値の源泉である」との考え方は、マーケティングの分野では広く認識されており、さまざまな学者や専門家によって提唱されてきました。

例えば、マーケティングの権威であるフィリップ・コトラーは著書「Marketing Management」の中で、顧客満足度を最大化することが企業の成功につながると説いています。

また、マネジメントの神様といわれるであるピーター・ドラッカーも、その著書「The Practice of Management」には、顧客を満足させ、顧客の信頼を得ることが企業の持続的な成功につながると主張しています。

近年、株式上場を目指すスタートアップの企業価値評価方法として、「ライフタイムバリュー(LTV)」と「顧客獲得コスト(CAC)」を用いた手法が活用されることがあります。LTVは顧客一人当たりの生涯で企業にもたらす利益を予測したもので、CACは新たな顧客一人を獲得するためのコストです。LTVがCACを上回る場合、そのビジネスは成長可能性を持つと評価されます。顧客数×LTVにより顧客から生み出される将来収益の予測を行い、企業価値を評価することが、株式上場時の証券会社によるスタートアップのバリュエーションの算定や、スタートアップにベンチャーキャピタルが投資する場合の株価算定など投資活動の最前線で活用されているのです。

 

3.中小M&Aでよくある「顧客」承継にからむ落とし穴

中小M&Aでは、対象となる企業の経営者が創業社長であったり、ワンマンなオーナー社長であったりするケースが少なくありません。特に、エステや美容院などのサービス業の場合は、単なるオーナーではなく、自分自身がカリスマ店長としてナンバーワンプレイヤーであることが多いのも事実です。そうした場合、M&Aでオーナーチェンジしてしまうと、経営者目当てで来店していた顧客が離反してしまうことがあります。固定客比率が5割の事業を買ったつもりが、固定客の過半が経営者の顧客だったりすると収支計画の前提条件から見直す必要が生じてしまうのです。

同様に、M&Aの対象となることが多い業種としてクリニックやパーソナルトレーニングジムなどがあります。好立地や高機能な治療機器、トレーニングマシーンの豊富さなども魅力ではありますが、経営者との個人的な信頼関係が顧客維持のために重要な役割を担っているため、M&Aの際には、固定客のうち、経営者の固定客がどの程度を占めているのかを確認することは不可欠なポイントといえます。

 

4.DX化で広がる「顧客」承継の盲点、経営者個人によるSNSやサイト運営

近年は、経営者自身によるSNSやコミュニティサイトの運営など、多様なプロモーションが展開されています。特に、創業経営者の場合は、事業よりも、SNSやサイト運営がもとになって、事業が始められているケースすらあります。

株式譲渡によるM&Aでは、会社全体を買収するため、会社が運営するSNSやコミュニティサイトであれば引き継ぐことはできますが、運営者が変わることによりフォロアーが離反するリスクがあります。

さらに、事業譲渡による場合は、譲渡対象に運営サイトが含まれることを明確化しておく必要があります。会社資産の全体が自動的に承継されるわけではないためです。

また、オンライン学習事業などのEコマースの場合、会社とは別に経営者が個人的にコミュニティサイトを運営していて、プロモーション上重要な役割を果たしていることがあります。個人運営サイトの場合、M&Aで会社や事業を買収しても、買収対象にはならないため、M&A後の、新規会員獲得や既存客とのリレーション維持が困難になることもあります。

特に、アカウントの売買や譲渡を禁止するSNSもありますので注意が必要です。

M&A前に、会社が運営しているのか個人なのかヒアリングをしっかり行い、M&A後の一定期間は事業の引継ぎ期間を設けて、サイト運営についてもフォローしてもらうなどの工夫が必要かもしれません。

 

まとめ

今回は買い手目線で、「顧客」を承継することの重要性についてお伝え致しました。オーナー自身が固定客を持っているケースは従来からありましたが、近年、DX化が進展しSNSなどによるプロモーションやコミュニティサイトの運営など、オーナー個人が顧客の獲得・維持に重要な役割を担う機能が拡大しています。

複雑なM&Aの手続きに専念しているとうっかり忘れてしまう部分かもしれませんが、M&Aはあくまでも手段です。M&A後に事業を発展させる目的を達成するためには、「顧客」の承継は不可欠ですし、DX化を踏まえた変化に対応することも必要です。

手段としてのM&Aは知見のある専門家を上手に活用し、最も重要な事業の成功に専念するのも、賢い経営者の選択肢ではないでしょうか。

 

アナタの財務部長合同会社 代表社員 伊藤一彦(中小企業診断士)

税理士との打ち合わせで出てくる専門用語 パーチェス法とのれん

M&Aの現場では、いろいろな専門家の力を借りる場面が多くなると思いますが、専門家によっては、専門用語を多用するため、慣れない経営者やツナグのような新任担当者にとっては「???」となることが良くあります。「餅は餅屋」という、ことわざ通り「専門分野は、専門家に任せる」という考え方もあるとは思いますが、頻出の専門用語くらいは知っておいても損ではないですし、専門家との意思疎通も一層しっかりと取れるようになるのではないでしょうか?

本日は、税理士との打ち合わせでよく聞く専門用語として”パーチェス法”と”のれん”について、いつもの通り、M&A新任担当者のツナグと一緒に学んでいきたいと思います。

 

パーチェス法って教科書に出てくる偉人の名前?

ツナグ:パーチェス法ってなんだか理科の実験で習ったような名前ですけど、実験とM&Aに何の関係があるんですか?

”パーチェス法”と初めて聞くと、確かに、どこか外国の科学者の名前にも聞こえてきますね。でも理科の実験とはまったく関係がありません。
パーチェス法とは、合併など企業の結合に際して採用する会計処理方法の一つのことで、買収される企業の純資産と買収金額の差額をのれんとして計上する手法のことです。パーチェス法では、統合される会社の資産や債務を公正価値によって評価し、企業合併による継承を事業の一括購入と考える会計処理方法になっています。他には、持分プーリング法という考え方もあるのですが、アメリカの企業結合の会計基準もパーチェス法を採用しているため、日本でも国際会計基準に合わせるような形で原則的にパーチェス法を採用していて、持分プーリング法を制限する傾向にあります。

ツナグ:のれん?そういえば”のれん”っていう言葉もよく聞くと思っていたけど、パーチェス法と関係があるんだね!

 

のれんっておそば屋さんのアレのこと?

M&Aにおいて”のれん”とは、先ほど説明した通り、買収される会社の純資産と買収金額の間に生まれる差額のことです。計算式は「買収金額ー純資産=のれん」となります。この差額は、資産に計上され、ブランド力などの無形資産が持つ価値を表しています。

ツナグ:「のれん」って聞くとお寿司屋さんやおそば屋さんの入り口に下がっているアレしか思いつかないけど、会計用語なんだね・・・。

いえいえ。ツナグさんの意見が正解です。実は、のれんの由来は、お店の軒先に掲げられる暖簾(のれん)に由来していると言われているんですよ。お店や企業において過去から積み上げてきた信頼、ブランド力や収益力の高さなどを含む、超過収益力が、目に見えない無形資産として会計上の専門用語でも使われるようになったんです。最近ではのれんの価値ということに注目が集まるようになってきており、のれんの中身を見えるような形にするため、顧客との関係や商標権、技術などに分類をする無形資産の価値評価なども積極的に行われるようになってきています。
一方で、のれんには”負ののれん”というものも存在します。

 

負ののれんで業績アップ?!

ツナグ:”負ののれん”?つまり、買収した金額よりも純資産の方が大きいってこと?お得な買い物をしたよっていう”しるし”のことじゃないですか!?

いえいえ、そういう意味ではありませんが、日本の会計上は、負ののれんをその期の特別利益に計上することになります。
ツナグ:買収してお金は出て行ったのに利益になるんだね。それって、僕たちM&A担当者が営業でもないのに、業績アップに貢献できるってことじゃないですか?!いいですね!
そうなりますね、つまり、純資産よりも安価な金額でM&Aを繰り返している企業は、業績とは関係なく利益が多く見えることがあるため注意が必要です。企業分析の際に「利益の内容もよく確認してください」とお願いしている理由にはこのようなこともあるからです。

ツナグ:なるほど。まさにマジックだね。

 

のれんの会計処理

先述の取り、正ののれんは資産として計上しますので、減価償却の対象となり、資産の価値を適正に評価できるようになります。繰り返しになりますが、負ののれんは償却できませんので「負ののれん発生益」として連結損益計算書の特別利益に記載します。(いずれも日本の会計基準で会計処理を行うときに限ります)
のれんの償却期間は、20年以内に定額法などの規則的な方法で減価償却することが定められています。なお、20年以内のため、3年、5年などの短期間で減価償却しても問題ありません。しかし、のれんが高額な場合に短期間で減価償却すると、1年あたりの減価償却額が増え、利益が生じにくくなります。のれんの効果とも照らし合わせたうえで、適切な償却期間を決めるようにしましょう。また、のれんの償却方法は、毎年同額ずつ減価償却をさせる定額法が一般的です。例えば500万円ののれんを5年で償却する場合は、1年あたりの減価償却額は100万円になります。

ツナグ:なるほど。車両や生産設備を導入したときと同じ会計処理をするんだね。会社という設備を購入したと考えるとイメージがしやすいです。

 

まとめ

今回は、M&Aの専門家が打ち合わせで使う専門用語であるパーチェス法とのれんについてツナグと一緒に学びました。これによって少しでも専門家との意思疎通が進み、モヤモヤが解消されることを願っています。

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。次は、あなたのビジネスにご一緒させてください。
中小企業診断士 山本哲也

スモールビジネスでの活用が考えられる破産による事業再生②

破産手続開始決定後に事業譲渡を行う場合

前回は破産手続開始決定前に事業譲渡を行う場合について解説をしましたが、今回は、破産手続開始決定後に事業譲渡を行う場合について解説します。

破産手続は、清算手続ですので、破産者の事業は廃止されるのが原則です。しかし、事業を継続することについて特別の利益がある場合は、破産管財人は裁判所の許可を得て事業を継続することができます(破産法第36条)。ここにいう「特別の利益」とは、基本的には、事業の継続をした方が破産財団にとって利益となる場合を指します。したがって、事業譲渡をすることにより破産財団が増殖することが見込め、そのためには事業を継続することが必要であるといえることが必要となってきます。このほか、破産管財人が事業譲渡を行う場合も裁判所の許可が必要となります(破産法第78条第2項第3号)。

すなわち、破産管財人は、事業を継続することを第一に考えるのではなく、いかに破産した企業の財産を高額に換価するかということを最優先するのです。したがって、破産管財人が事業を継続したうえで事業譲渡を行うかどうかは例えば以下のような視点で検討をしていくことになります。

① 当該事業が黒字になるか。

事業を継続する目的が破産財団の増殖にある以上、当該事業が黒字であるかどうかは、事業継続の基本的な判断要素となります。

また、事業継続に伴う債務が財団債権となる(破産法第148条第1項第2号)となるため、当該事業が赤字になる場合は、その分破産財団を構成する財産が少なくなります。したがって、当該事業が赤字になる場合は、事業を継続しがたく、事業譲渡もしがたいでしょう。

② 当該事業が事業譲渡までのあいだ現金取引に耐えることができるか。

当然のことながら、破産手続中は信用取引ができないので、すべて現金取引で行うことになります。当該事業を継続する場合は現金取引に耐えることができるかどうかも事業継続の判断要素となります。

③ 当該事業の事業遂行上のリスクがあるか。

例えば、業務中に重大な労災事故が発生することが想定されるような事業であれば、その賠償により破産財団が減少してしまうおそれがあります。

④ 事業を行う人材が確保できるか。

破産した企業が事業を継続する場合、その主体は破産管財人となります。しかし、破産管財人が事業を実際に行うことは事実上不可能であるため、事業に専念できる信頼のおける者がいるかどうかも、事業譲渡を行う考慮要素となります。

 

どのような場合に破産手続開始決定後の事業譲渡を行うのか

これまでに述べてきたことからも明らかなように、破産手続開始決定後に破産管財人が自らの判断で事業を継続することを決めたうえで、事業譲渡をするというのは容易ではないと考えます。

他方で、破産手続開始決定後に破産管財人による事業譲渡を行うことができれば、当然のことながら否認権の行使のリスクはありません。その点で、破産手続開始決定後に事業譲渡を行うメリットがあるといえます。

破産管財人による事業譲渡を容易にするために、次のようなスキームが想定されます。

① 破産する企業が、自己破産申立てをする前の段階で、あらかじめ事業譲渡先を確保する。

② 事業譲渡先となるべき企業と譲渡対価、従業員の承継・その条件、税金・社会保険料および取引債務の承継等の諸条件について事業譲渡先から内諾を得ておき、あとは事業譲渡契約書を作成するだけの状態にしておく。

③ 自己破産申立てを行い、破産手続開始決定後のあとで破産管財人が事業譲渡先と契約を締結する。

このスキームを用いる場合、いかにして短期間で事業譲渡先を見つけ、条件面で内諾を得るかが重要になってくるといえます。また、譲渡先の企業が裁判所や破産管財人が納得できる(すなわち、適正な事業譲渡の対価を支払うだけの体力のある)ものであることを説明できるかどうかも重要なポイントといえるでしょう。

 

今後の活用が期待される破産による事業再生

これまで破産による事業再生はあまり活用されていなかったと思われます。確かに、破産による事業再生には、破産手続開始決定前の破産管財人による否認権行使のリスクや破産手続開始決定後の破産管財人が事業譲渡を行う判断をしないリスクなどがありますが、それよりもやはり破産した企業から事業を譲り受けるというマイナスのイメージが原因となっているようにも思われます。

しかし、民事再生と比較し、短時間で行うことができること、裁判所への予納金等の費用も安価にすることができること、どの事業を事業譲渡の対象とするかについて比較的融通が利くことからすれば、破産による事業再生は、条件さえ整えば検討すべき手法であるとも思います。今後の活用が期待されるところです。

 

弁護士・中小企業診断士 武田 宗久 

海外企業とのスモールM&Aで“うっかり法令違反”

M&A専門会社のレコフデータの発表によると、2022年の日本企業が関連したM&A件数は、21年の4,280件を24件上回る4,304件となり、2年連続で過去最多を更新しました。

事業承継ニーズは引き続き高いため、中小企業のM&Aを活用した第三者承継も当面は高水準で推移すると思われます。

今回は、国内企業同士のM&Aではなく、海外企業を買い手としたM&Aに着目し、“今どき”の国際情勢を反映した留意点についてご説明したいと思います。

1.円安で押し寄せる外資の波

 

2022年10月、円相場は一時1ドル=150円台まで値下がりし、1990年8月以来およそ32年ぶりの円安水準を更新しました。円安は輸入する原燃料や食料品等の値上がりの要因となりましたが、「外資の日本買い」を促進する要因にもなっています。

円安は、外国人観光客の購買意欲回復など、プラスの効果として捉えられる面もありますが、日本の都市部や観光地の不動産買占めなど、マイナス効果として捉えられる報道も少なくありません。

M&A Onlineによると2022年(1-12月期)の日本企業が関与するM&A公表案件は前年比19.5%減少ながら、海外企業が日本企業を買収するOUT-IN案件は17%増加と拡大しています。

2.経済安全保障と海外企業の国内企業向け投資

 

2023年3月経済産業省国際投資管理室は、「外国投資家から投資を受ける上での留意点について」を公表しました。これは、近年、国際情勢の複雑化する中、経済安全保障が国家として対応すべき課題となってきたことに対応したものです。

主な内容は、次のとおりです。

・海外企業による国内企業への投資(以下、対内直接投資といいます)は優れた技術やノウハウをもたらし、我が国経済の成長に資するもの

・政府としては投資活動の自由を確保したいが、安全保障に対処するため、政府が指定する業種に対して海外企業が投資する場合は、所管省庁による事前審査が必要

・審査のため事前届け出が義務付けられるが、海外企業が経営に関与しない場合かつ指定業種以外への投資の場合は事後報告でよい

これらの制度自体は2019年の外為法改正時にすでに構築済のものです。しかし、多くの中小企業は外為法等の知識や対応するリソースが不足しています。2022年12月に「安全保障貿易管理ガイダンス」をリリースし、輸出取引における注意喚起をしたのに続き、本件公表により海外企業からの投資を受ける際の注意喚起をしたようです。

3.改正外為法案に抗議したスタートアップ企業

 

財務省が公表した「対内直接投資等に関する事前届出件数等について」(2022年6月)によると、2021年度中に海外企業が日本企業に投資をするために政府に届け出た件数は、上場会社183件に対し、非上場会社は1,222件でした。前年度は上場会社164件に対し、非上場会社は1,117件であり上場・非上場企業とも増加しています。

また、非上場会社の届出件数のうち7割(851件)は経営関与のある投資内容であることが大きな特徴です。非上場会社の多くは中小企業であると推察されますが、相手が中小企業であっても海外企業の多くは“モノ言う株主”であるということです。

ところで、2019年に外為法が改正される際に、海外からの資金調達を進めていた日本のスタートアップ企業は、外為法の当初改正案に反対した経緯があります。

当初改正案が、規制に軸足を置いていたため、先端技術の開発や、新しいビジネスモデルの展開のために海外投資家から資金調達を拡大しようとしていたスタートアップ企業にとっては、足かせとなるものと受け止められたからです。

当時は、2018年に株式上場したメルカリやSansanなど、スタートアップ企業が株式上場前に海外企業から巨額の資金調達をして、成長を加速していた時代背景がありました。

しかし、当初改正案では事前届出が必要な指定業種には「受託開発ソフトウェア業」、②「組込みソフトウェア業」、「パッケージソフトウェア業」、「情報処理サービス業」、「インターネット利用サポート業」などが含められることになりスタートアップ企業が海外企業から投資を受ける際に、事前届出を求められるケースが大幅に増加し、機動的な資金調達が阻害される可能性があったのです。

日本ベンチャーキャピタル協会やスタートアップを支援する弁護士等が、パブリックコメントに際して規制緩和を訴えたことを受けて、以下の条件を前提として事前届け出が免除されるなど、規制が一部緩和されました。

①外国投資家自ら又はその密接関係者(※)が役員に就任しない

②指定業種に属する事業の譲渡・廃止を株主総会に自ら提案しない

③指定業種に属する事業に係る非公開の技術情報にアクセスしない

④コア業種に属する事業に関し、重要な意思決定権限を有する委員会に自ら参加しない

⑤コア業種に属する事業に関し、取締役会等に期限を付して回答・行動を求めて書面で提案を行わない

(※)外為法上の用語。過半数の議決権を有する法人や親族など

4.事前届出といっても「審査」がある~経済安全保障の壁

外為法の事前届出は、「届出」といっても所管官庁による「審査」が実施されます。

届出後30日以内に審査結果が出ますが、国の安全に問題がある場合は中止等の命令がなされ、M&A自体が成立しないことになります。

また、事前届出せずに出資やM&Aを実行した場合や命令に従わない場合は罰則が規定されています。

「外国投資家から投資を受ける上での留意点について」では、問題のある取引として次のようなケースを紹介しています。

①技術の軍事転用:A国が、軍事転用が可能な機械部品を製造する日本の工作機械メーカーB社を買収し、B社の有する機械部品の設計製造技術がA国に流出した。

②供給の途絶:A国のファンドが防衛装備品を製造している日本のB社を買収。A国のファンドはA国政府の支配下にあり、卸先を日本国内ではなく、A国への優先供給に切り替え、国内への供給が絶たれた。

③基盤技術の流出:A国が、日本の製造業の基盤となる半導体製造技術を保有するB社を買収し、当該技術が流出。A国は当該技術を使って、同等製品を安価に製造可能となり、日本の製品が売れなくなった。

 

事前審査の対象となる業種は、上記の軍事技術のように明らかに問題のある分野ばかりではありません。

「航空」「原子力」「宇宙」「医薬品・医療機器」など高度に専門性の高い分野の他、「電気業、ガス業、熱供給業」「水道業「通信事業、放送事業」「鉄道業、旅客運送業」などのインフラ関連、「集積回路製造業」「半導体メモリメディア製造業」「情報処理サービス業」「ソフトウェア業」などのサイバーセキュリティに関する業種など、実は幅広い業種・業界が対象となっており、うっかりすると「自分の会社は関係ないと思っていたのに」ということになりかねません。

 

まとめ

海外企業を買い手とするM&Aは、外為法や経済安全保障上の規制など、国内M&Aにはない規制があり、知らずに着手すると“うっかり”法令違反となってしまうこともあります。

また、今回ご説明したような、法令・規制上の課題はもちろんのこと、海外企業に買収された場合の、買収後の組織文化の融合など、様々な検討課題があります。

海外企業が買い手のM&Aについては、海外企業とのM&Aに知見のある専門家に相談し、海外企業特有のリスクを十分に加味した上で、慎重に検討しましょう。

アナタの財務部長合同会社 代表社員 伊藤一彦(中小企業診断士)