ブログ アーカイブ

ちょっと待って!M&Aに潜む労務リスク ~PMI編

今回は、前回2023年11月の「ちょっと待って!M&Aに潜む労務リスク」に続き、M&Aを成功に導くためのPMIにおける労務課題の留意点を取り上げていきます。

1.PMIプロセスと労務リスクの基本

(1)PMIとは

日本のスモールM&A市場は、事業承継やスタートアップのEXIT戦略として拡大しています。ところがM&A後のPMI(Post Merger Integration:経営統合プロセス)への対応が十分でないため、企業価値向上や事業シナジーの実現に至らないケースが多く見受けられます。中小企業におけるM&Aの歴史は浅く、PMIの重要性が十分に認識されていないのが現状です。2022年3月、中小企業庁では「中小PMIガイドライン」を公表しました。経営資源に制約のある比較的小規模な中小企業であってもPMIに対応できるよう基礎的な取組みから必要に応じてより高度な取組にも挑戦できるよう策定されたものです。

「中小PMIガイドライン」においても労務課題への対応は、重要なポイントとして取り上げられています。

(2)PMIにおける主な労務リスク

中小PMIガイドラインには、次のような失敗事例が取りあげられています。

① 人事・労務関係の重大な法令違反があったことが判明し、また社外に知れ渡ったことで、譲受側・譲渡側の評判が大きく下落した。

②譲渡側の従業員が不満を感じていた賃金体系や人事評価がM&A後もそのまま維持されたため、多くの従業員が期待を裏切られたと感じて一斉に離職した。

③これまで未払であった賃金や、未消化の有給休暇への対処がM&A後もうやむやにされたため、キーパーソンである従業員が離職した。

これらの失敗は、譲渡側が労働関連法規に違反していたり、内部規程類が未整備であったり、従業員と譲渡側が締結した雇用契約などが不適切であったりすることにより生じたものです。

2.労務リスク対策は「プレPMI」から開始する

本来、法令違反や未払賃金の有無などは、M&A実行前の労務DDで明らかにすべきものです。「中小PMIガイドライン」では、M&A実行前に行うPMIに関連する取組みを「プレPMI」と呼び、M&A成立後から一定期間(1年程度)におけるPMIの取組と区別しています。労務リスク対策は「プレPMI」から「PMI」にかけて実施することが有効とされています。

具体的にはどのような取組みがあるのか見ていきましょう。

(1)人事・労務関係の法令遵守の確認と是正

① 労働条件通知書や労使協定等に関する不備への対応

・労働条件通知書の未交付は労働基準法違反の懸念があり、速やかに交付する必要があります。時間外・休日労働に関する労使協定(36協定)に不備がある場合、労働基準法違反のおそれがあり、労働基準監督署への照会や適正な労使協定の締結を急ぐべきです。労働条件通知書や労使協定と労働実態の不一致があれば、労働時間の是正が必要です。

②社会保険や労働保険に関する不備への対応

・社会保険や労働保険の未加入は健康保険法や厚生年金保険法、労災法、雇用保険法違反のおそれがあり、新規加入を含め迅速な対応が必要です。譲渡側の従業員に対する被保険者資格取得届の未提出に対しても同様に速やかに対処すべきです。

③労働組合との事前協議等に関する不備への対応

・譲渡側に労働組合があり、人事異動や解雇等に協議が必要で未了の場合、速やかに労働組合と協調に向けて対応する必要があります。

④職場環境等に関する不備への対応

・譲渡側の安全衛生管理体制不備は労働安全衛生法違反の恐れがあり、労働災害やハラスメント、退職、労働紛争には迅速に対応する必要があります。

⑤人事・労務関係の法令遵守等に関する姿勢の徹底

・M&A後の人事・労務関係の法令遵守強化のため、担当者教育と社内でのノウハウ蓄積を進めます。

(2)人事・労務関係の内部規程類等の整備状況やその内容の適正性

①人事・労務関係 の内部規程類 等の見直し

・譲渡側の就業規則等の人事・労務関連規程を見直し、労働条件の不利益変更には慎重に対応します。M&A前の賃金体系や退職金を一定期間維持し統合の円滑化を図ことも選択肢となります。

②人事・労務関係の内部規程類等の徹底

・新人事・労務規程を譲渡側役職員に対し説明会や個別説明で周知徹底し、定期的な遵守確認と教育を実施します。

(3)従業員との個別の労働契約関係等の適正性

①残存する未払賃金や未消化の有休暇に関する不備への対応

・譲渡側の未払賃金は認識分を支払い、未消化有休は消化促進を図ります。なお、M&A成立に伴い未払賃金を清算する場合、労働基準法の趣旨に反しない範囲で未消化の有給休暇を買い取ることは可能です。

②長時間労働の改善

・譲渡側の従業員の長時間労働が常態化している場合には、業務の見直しや人員補充を早急に行い、経営陣が率先して改善に努めます。

③キーパーソンである従業員の離職リスクへの対応

・M&A後、キーパーソンの離職防止のため報酬・人事評価制度を見直し、モチベーション向上と知見共有を促進し、リスクシナリオも立案します。

(4)人材配置の最適化

①譲受側・譲渡側間での組織や人事配置の見直し等

・譲受側・譲渡側間での組織・人事配置を見直し、グループ一体性の強化と最適な人員配置を目指します。グループ全体の管理機能の譲受側への集約化や、譲受側・譲渡側間での柔軟な人事異動により、知見共有や人材交流を進めます。いずれの場合も、労働条件の不利益変更については慎重な対応が必要です。

3.労務リスクのマネジメントと専門家の重要性」

本コラム「ちょっと待って!M&Aに潜む労務リスク – PMI編」では、M&A後の経営統合プロセス(PMI)での労務課題に焦点を当てました。

中小企業におけるM&Aの成功には、PMIの適切な管理が不可欠です。これには、労務リスクの事前確認と対応が重要です。M&Aの際には、労働条件通知書や労使協定の不備、社会保険や労働保険への未加入、労働組合との事前協議の欠如など、様々な労務リスクが存在します。そして、長時間労働の是正、キーパーソンの離職防止、最適な人材配置など、人事・労務管理の各側面で迅速かつ適切な対応が求められます。

M&Aを成功させるためには、「プレPMI」からM&A後の「PMI」を通じて労務基盤を構築することが重要です。

M&Aプロセスにおける労務課題は複雑であり、専門的な知識が必要です。

適切なリスク評価と効果的な対策策定のため「プレPMI」の段階から円滑で効果的な経営統合に向けて専門家支援を活用することも一つの選択肢ではないでしょうか。

アナタの財務部長合同会社 代表社員 伊藤一彦(中小企業診断士)