ブログ カテゴリー: M&A

法務DDでの必須ポイント!②(ヒト・モノ編)

法務DDにおける経営資源別のチェックポイント

先日,契約に関する法務DDで確認すべき点についてコラムを書かせていただきました。今回は,いわゆる経営資源(ヒト・モノ・カネ・情報)の観点から法務DDの際に注意すべき点についてお伝えしたいと思います。(なお,以下に述べる点以外にも注意すべき点は多数存在しますので,ご了解ください)

 

「ヒト」に関する法務DD①:未払いの賃金債務など

売り手の従業員など「ヒト」に関する法務においては,まず,未払の賃金債務がないかが重要なポイントになります。

未払の賃金債務とは,本来支払われるべき残業代が支払われていないことが典型的事例です。意外と思われるかもしれませんが,法的には支払われるべき残業代が支払われていないことは,,一般の企業でもままあります。例えば,法的には管理監督者(労働基準法第41条第2号)にあたらないのにこれにあたるとして,残業代を一切支払っていないケースや,支払っていても,残業時間にかかわらず固定額であるため不当に安い額しか払っていないケースが想定されます。個々の従業員の未払いの残業代が少額であっても,適切に支払われていない従業員が多数に上る場合は,買い手にとって,簿外債務という形で大きなリスクとなります。

未払い残業代を把握するためには,まずタイムカード等から労働時間を確認することが必要になります。中小企業では,十分な労働時間の管理が行われていないこともしばしばあります。そのような場合,パソコンのログや個々の従業員への聞き取りにより労働時間を把握することになるのですが,あまりに厳格に調査をすると,売り手との関係が悪化するおそれれもあるため,どこまで調査するかは悩ましい問題です。労働時間を把握する期間は3か月を一応のめどとしますが,季節により繁閑があるような業種であれば,期間を長くします。

次に就業規則や賃金規程等を確認し,何が残業代の算定の基礎となっているのかについて把握します。その後,本来支払われるべき残業代の額を計算していきます。なお,これまでは,未払残業代の消滅時効は2年でしたが,法改正があったため,令和2年4月1日以降に生じた残業代については,3年となりますので注意が必要です。

なお,アルバイトやパートの多い中小企業では,実労働時間をもとに計算した時給が最低賃金を下回っていないかどうかも注意しておく必要があります。

このほか,賃金債務ではないですが,社会保険料を滞納していないかどうかも必ず確認しておく必要があります。

仮に,未払いの債務が明らかになった場合は,売り手に対し,当該従業員と交渉し,解決させることを求めたり,未払賃金債務の額を譲渡価格に反映させたりするなどの方法が考えられます。また,未払いの賃金債務が確認できなかった場合でも,表明保証条項を入れておく方が無難でしょう。

 

ヒトに関する法務DD②:コンプライアンス

コンプライアンスも,ヒトに関する法務DDで重要な事項となります。

36協定の作成・届出がない。適切な休憩時間を付与していない。変形労働時間制を採用しているのに必要な手続を行っていない。など,労働時間に関する基本的な規律違反がないかといった点や,期間の定めのある従業員についての更新・無期転換の可能性があるかといった点は必ず確認しておく必要があります。また,業務委託先となっている者が偽装請負になっていないかどうかも気になるところです。これらは就業規則や契約書だけではなく,少なくとも人事担当者からの聞き取りをすることで確認をしていきます。

加えて,労働組合(合同労組含む)との間で紛争となっている事案はないか,労働基準監督署から指摘を受けたことがないかといった点も確認しておくとよいでしょう。

 

モノに関する法務DD①:不動産

売り手は事業を営んでいる以上,多数の不動産や動産を保有しているのが通常です。これらの不動産や動産について法的なリスクがないかを把握するのがモノに関する法務DDです。

不動産について,まずは登記簿謄本,固定資産課税台帳,売買契約書等の書面を検討します。そして,当該不動産が売り手の単独所有なのか共有なのか。共有の場合は共有者との関係はどのようなものか。M&A実行の際に単独所有にする余地があるか。建物の場合は使用権原は何か。担保権の設定はないか。各種の法令上の制限はないかなどを確認していきます。書面による確認だけではなく,現地調査もする必要があります。土地の境界に争いはないか。近隣の住民との間でトラブルはないか。建物に重大な瑕疵はないかなどの書面だけでは発見が困難な法的リスクの発見につながるからです。

中小企業の場合,自社ビルを社長や社長が経営する関連会社に使用貸借している場合もあります。そのような場合は,M&Aに際しては,使用貸借を賃貸借に切り替えるなどの措置を講じる必要があります。

このほか,売り手が賃借をしている場合は,賃貸借契約の違反がないか,賃料の滞納などにより賃貸人とトラブルになっていないかなどを確認します。

 

モノに関する法務DD②:動産

動産については,数が多い一方,それぞれの価値が低廉な場合も多いのでどこまで法務DDを行うかは悩ましいところです。少なくともリースや賃借をしている動産についてはその権利関係を確認すること。自社の製品に譲渡担保等の設定(対抗要件の具備を含む)がないかなどは確認しておく必要があるでしょう。

 

次回の予告

本稿では,ヒトとモノに関する法務DDで注意すべき点についてご紹介いたしました。次回は,カネと情報に関する法務DDで注意すべき点についてご紹介しますのでご期待ください。

 

弁護士・中小企業診断士 武田宗久

M&Aを活用した事業承継も経営者保証が不要に

今回は、事業承継の大きな阻害要因となっている「経営者保証」を不要とする新たな信用保証制度である「事業承継特別保証制度」と活用メリットについて取り上げたいと思います。

 

過去の融資の9割は経営者保証付きのまま

経営者保証ガイドライン策定後、経営者保証のない新規融資は徐々に増加しています。しかし、依然として融資全体の約9割は引き続き経営者保証付きのままです。

一方、中小企業庁によると2025年には国内の中小企業経営者381万人のうち245万人が70歳以上となり、その約半数の127万人が後継者未定と推定しています。ところが、その22.7%は後継者候補がいるにも関わらず事業承継を拒否しているのです。その最大の理由は個人保証であり、全体の59.8%にものぼります。

 

事業承継時に経営者保証が不要となる制度をご存知ですか?

政府は事業承継を円滑化するため、既存の経営者保証付き融資の水準を適正化するため、更に踏み込んだ対策に乗り出しました。

2019年6月に閣議決定された「成長戦略実行計画」において経営者保証を不要とする新たな信用保証制度が創設されたのです。

この信用保証制度を「事業承継特別保証制度」といい2020年4月より運用が開始されています。

 

「事業承継特別保証制度」3つの特徴

この保証制度には次のような特徴があります。

①事業承継時に経営者保証が不要

②専門家による確認を受けた場合、信用保証料率が大幅に軽減される

③経営者保証付きの既存の借入金であっても、この制度を活用して経営者保証不要の借入に借換が可能

 

この保証制度は、全国の信用保証協会で取り扱われていますが、原則、金融機関からの事前相談が必要になっている場合が多いようです。

一見すると、良いこと尽くめの制度のようですが、利用するためには、①資産超過、②返済緩和債権なし、③一定の返済能力(EBITDA有利子負債倍率10倍以内※)等の一定の要件を満たす企業が対象になります。

 

※EBITDA有利子負債倍率 =(借入金・社債-現預金) ÷(営業利益+減価償却費)であらわされ、実質的な借入金をキャッシュフローにより何年で返済できるのかを表す指標です。

 

専門家「経営者保証コーディネーター」を活用しよう

3つの特徴で触れた専門家のことを「経営者保証コーディネーター」といいます。経済産業省の委託またはその再委託を受けて事業の承継に対する支援を行う機関である「事業承継ネットワーク地域事務局」が雇用する専門家です。東京都事業承継ネットワーク事務局の場合、「経営者保証コーディネーター」は、中小企業診断士あるいは公認会計士資格の保有者が担当しています。

「経営者保証コーディネーター」は、所定のチェックシートを使用した3つの要件を満たしているかどうかを所定のチェックや、金融機関との面談に同席してチェックシートの充足について説明を行う等の支援を行っています。

融資を受けようとする企業が「経営者保証コーディネーター」による確認を受けた場合、保証料が最大でゼロになるまで軽減されるという特典もあり、政府は積極的な利用を期待しているようです。

 

金融機関も積極的に取組みうる現実的な施策

事業承継特別保証制度では、原則禁止されている金融機関の既往の融資を信用保証協会の保証付き融資に借換へすることを例外的に認められており、経営者保証解除に伴う金融機関のリスクを保証協会が分担することになっています。金融機関にも配慮した設計となっており、金融機関の現場でも取り組みやすい制度になっているのではないでしょうか。

 

 

「中小企業成長促進法」の施行でスモールM&Aも促進される?

2020年10月に「中小企業成長促進法」(中小企業の事業承継の促進のための中小企業における経営の承継の円滑化に関する法律等の一部を改正する法律)が施行され、既に運用が始まっている「事業承継特別保証制度」(保証限度額2億8,000万円)ではカバーできない融資に対して、さらに特別枠が創設されました。

これを受けて、全国信用保証協会連合会のHPでは経営者等のニーズに応じてきめ細かく細分化されたメニューを公表しています。

 

例)

「経営承継準備関連保証」

⇒ M&Aによる事業承継に必要な株式等や事業用資産の取得資金に利用できる

「特定経営承継関連保証」

⇒ 従業員をはじめとした事業を営んでいない個人による買収(EBO等)による

事業承継に必要な資金に利用できる

「経営承継借換関連保証」

⇒ 経営者保証付きの金融機関からの借入債務を経営者保証が不要とする融資に借り換えるために利用できる

 

<むすび>

2020年12月8日、政府は「国民の命とくらしを守る安心と希望のための総合経済対策」を閣議決定しました。コロナ禍による環境変化に対応しようとする中堅・中小企業による新規事業進出や事業転換等の取組に対する「事業再構築補助金」「税制優遇措置」等の創設などの支援策の策定が予定されています。これらの大型のコロナ禍対策も相俟って、新年は中小企業の「事業承継」だけでなく「事業転換」も進展しそうです。様々な支援制度を賢く活用して「事業転換」を進めたいですね。

 

中小企業診断士 伊藤一彦

ぼくたちのM&A

みなさまこんにちは。例年なら、「インフルエンザが本格的に流行する季節ですね。気を付けましょう」なんて時候のあいさつをしていましたが、今年の冬は例年以上の警戒が必要な状況です。繰り返し言われていて耳にタコですが、とにかく手洗いとうがいには特に気を配りたいですね。

いつものように、M&Aで社長を目指す“ビジネスパーソン”ツナグの独り言からお聞きください。

 

ツナグ:
M&Aは、大まかにいうと会社を売買することになるわけだけど、そういえば会社の値段っていったいどうやって決まるんだろう?
普段僕らがお客さんに買ってもらう商品やサービスだと、かかったコストに利益を上乗せしたり、競合の値段と比較したり、お客さんの懐事情を想像したりして決めているけど、それが会社となると想像もつかないや。

会社の値段はどうやって決まるのか?

 

会社の売買代金の決め方にはたくさんの計算方法があり、売買する会社の規模や内容、売買する当事者同士で話し合って決めています。ここでは、中小企業のM&Aで使われている代表的なものを紹介します。

●コストアプローチ

コストアプローチは、売買する会社の現在の純資産から売買金額を求める方法です。メリットは、財務諸表をもとに算出できる、客観的に会社買収金額を求められる点が挙げられます。

一方で、デメリットもあります。それは、将来予想される利益が加味されていない点です。将来的成長が期待できるようなベンチャー企業では、コストアプローチは敬遠されます。そして、コストアプローチは、その計算根拠によって2種類に分かれます。一つは、時価純資産法、もう一つは、簿価純資産法です。

 

【時価純資産法】

時価純資産法は、時価総資産から時価負債を差し引いたものを根拠(時価純資産)として利用します。この方法では、時価をもとに再調達原価法を用いたり正味売却価格を求めたりして、各資産の時価総額を算出する仕組みです。

 

【簿価純資産法】

一方で、簿価純資産法は、貸借対照表上の純資産をそのまま根拠として売買金額を算出する方法です。この計算方法があまり利用されていない理由は、将来予想される利益が加味していない以外にも理由があります。中小企業の場合には、帳簿を粉飾していたり、負債隠しをしていたりするケースもちょくちょくあります。そのため、この手法を利用するのであればデューデリジェンスを徹底的に行い、簿価がどの程度正しいのかについて調べる必要があります。

 

ツナグ:
粉飾決算!?えーっ!そんなことちょくちょくあるんですかっ!?テレビの中だけの出来事だと思ってたよ。

 

●インカムアプローチ

インカムアプローチは、将来の収益性を基準に売買金額を算出する方法です。つまりその会社、事業が将来どれだけのお金を生み出すか?ということが論点になります。

メリットは、将来の収益を想定し、それを根拠に検討しますので、直接的に現在のデータを使うことはありません。ですから先ほどのコストアプローチのようにデューデリジェンスに神経を使う必要がないことです。

一方、デメリットは、買い手と売り手の間で事業の将来性に関する価値観にズレがあると、価格交渉が難航し、M&Aに至らないケースも多くみられます。

売り手側は、「御社の事業と当社の事業には、○○なシナジーがあるので、将来××の利益が得られますよ」と主張しますし、買い手側は、安く買いたいので「おっしゃられていることは一理あると思います。」「しかし、それを実現するには、今後も相当の追加投資が必要だとの認識ですね・・・簡単に回収できる投資案件であるとは経営層に説明ができないです。」などとお互いの利害が一致できる価格を探る交渉事になることは容易に想像できます。

インカムアプローチもその計算根拠に使う数値によって、DCF法(ディスカウントキャッシュフロー法)と配当還元法に分かれています。

 

ツナグ:
将来の収益性って・・・。買い手と売り手の意見が分かれそう。うちの課長なんて、僕の将来性をあきらかに低く見すぎてるっていつも感じるよ。

 

【DCF法]

DCF法は売買金額の算出方法として広く用いられている方法です。おおよそ5年間のフリーキャッシュフローを想定して計算根拠とします。フリーキャッシュフローにもいくつかの計算方法がありますが、ここでは省略します。

簡単に言うと、会社が経営のために自由に使えるお金。といったイメージです。この数値を現在価値に割り引き加味して売買価格とします。

 

【配当還元法】

配当還元法とは、将来の予想配当金を根拠に売買金額を算出する方法です。多くの会社が業績と配当金を連動させていることが多いため会社売買の根拠として利用することができます。

しかし、難点もあります。配当金金額は経営サイドが決められるため、会社売却に向けて現在のオーナーが、多くの配当金を支払う事例が数多く報告されており、現在はあまり利用されていない方法です。

 

ツナグ:
やっぱりなかなかいい方法ってないんだね。だから、なかなかM&Aって進まないのかな・・中古車やネットオークションみたいに相場なんかがあればいいんだろうけど。

 

特に小規模事業者の場合、オーナー社長の能力イコール会社そのものであることが多く、M&A後の業績低迷を心配して交渉が難航するというケースが少なくありません。社外から客観的な評価を受ける為には、普段から仕組みや組織力で会社を動かすことが重要と言われるのはこのためです。

本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

中小企業診断士 山本哲也

 

法務DDでの必須ポイント!①(契約編)

法務DDにより思わぬリスクが見つかることがある

M&Aの際に買い手が売り手の価値やリスクを知る方法としてデューデリジェンス(以下「DD」といいます。)があります。

DDといえば財務DDが思い浮かぶ方が多いと思いますが,法務DDによって発見された問題点によって,M&A自体が頓挫してしまうことがしばしばあります。

したがって,少なくともリスクの発見という意味では,法務DDは非常に重要といえます。そこで,法務DDの際に注意すべき点をピックアップして紹介したいと思います。

 

チェンジオブコントロール条項の有無

契約に関する法務DDを行う場合,まずは会社が保有しているすべての契約書を集め,一つ一つその内容を確認していきます。その際,まず気にしなければならないのがチェンジオブコントロール条項(以下「COC条項」といいます。)の有無です。

COC条項とは,株主構成や会社の支配権に変動等が生じた場合に,当該会社の期限の利益が喪失されたり,契約の相手方が当該契約を解除できたりする旨の条項をいいます。具体的には,以下のような条項です。

【条項例】

甲は,丙(注:乙の単独株主)が乙(注:売り手)の唯一の株主でなくなったときは,本契約を解除することができる。

COC条項によって,買い手が重視していた重要な契約が解除されてしまうのであれば,そもそもM&Aをした意味がなくなります。その意味で,COC条項があるかどうかは非常に重要になります。

ただし,COC条項があるとしても,契約の相手がCOC条項に基づく解除権を必ず行使するとは限りません。このため,仮に契約書にCOC条項があることが発見された場合でも,相手方が解除権を行使する可能性がどの程度かについて買い手が確認しなければなりません。また、相手方との交渉の余地があるかどうかについても確認する必要があります。

 

競業禁止条項の有無

COC条項のほか,競業禁止条項の有無も法務DDの際に気になる点です。

競業禁止条項とは,一定の期間,特定の地域において,契約相手が行っている特定の業務と競業する内容の業務等を行うことを禁止する条項を意味します。

【条項例】

乙(注:売り手)は,本契約有効期間中及び本契約が終了したときから3年間,日本国内において,甲と競合する事業を行ってはならない。

上記の条項によれば,例えば買い手が売り手(すなわち乙)を吸収合併する際に,既に甲と競業する事業を行っていたのであれば,吸収合併実施と同時に買い手はこの条項に違反し,契約を解除されたり債務不履行責任を追及されたりするリスクが生じることとなります。

また,買い手が,ある事業を展開させることを念頭に売り手の株式ないし支配権を取得した場合において,当該事業が甲の事業と競業してしまうと,上記の条項に違反することとなります。すなわち,買収後の売り手に当該事業を展開させることができなくなってしまい,M&Aをする意味がなくなってしまうのです。

そこで,仮に競業禁止条項が法務DDで発見された場合,COC条項と同様に,買い手としては,売り手と契約を締結している相手方に対して,事前に競業を行うことを承諾する余地があるか確認する必要があります。その結果を持って、M&Aを行うかどうかを判断する必要があります。

 

その他の契約書の注意点

上記のほかにも,法務DDにおいては,違約金・保証金条項や損害賠償額の制限条項等を確認し,売り手が契約上どのような責任を負うこととなっているのか,または契約の相手方にどのような責任を追及できるのかを確認します。

また,什器備品等の売買契約では,所有権留保に関する条項がないかどうかも見逃せないところです。売り手が所有する物のように見えても第三者に所有権がある場合もあり,売り手の企業価値の算定に影響が出るからです。

 

そもそも契約書がない場合

これまで,法務DDの際には契約書のどのような条項に注意すればよいかについて述べてきました。しかし,実際には,何らかの契約がされていることは分かるものの,そもそも契約書が存在しない場合も往々にしてあります(なお,民法第522条第2項では,「契約の成立には,法令に特別の定めがある場合を除き,書面の作成その他の方式を具備することを要しない。」と規定されており,口約束でも当事者間で合意があれば原則として契約は成立します。)。特に中小企業間の取引では契約書がなく,当事者である企業間ないし担当者間の信頼関係や慣習で取引が行われているという場合も散見されます。

だからといって、契約書がない取引について法務DDの際に検討の対象から外すことは非常にリスクがあります。なぜならば,契約書がない取引こそ取引の内容や規律が不明瞭なため,これまでは当事者間の信頼関係等で問題なく行われていたとしても,M&Aにより担当者が変わること等によって,トラブルが発生することが想定されるからです。

では,どのようにして契約書がない取引について法務DDを進めていくのでしょうか。基本的には,担当者からの聞き取りやメール,伝票などから取引の内容や規律を認定していくしかありません。そして,買い手としては,売り手に対し,遅くともM&Aを実施するまでには,契約書を作成することを求めるべきでしょう。

 

専門家によるDDを行うことが重要

契約に関する法務DDについては,まだまだ注意すべき点があります。費用がかかるからといって,十分な法務DDを行わないとM&A実施後に思わぬリスクと遭遇してしまうおそれがあります。

弁護士や中小企業診断士などの専門家に是非ご相談ください。

 

弁護士・中小企業診断士 武田宗久

スタートアップ起業家がM&Aで成功する処方箋

今回は、スタートアップ起業家の立場に立って、M&Aによる事業売却(=EXIT)を成功させるポイントについて考察していきたいと思います。

 

経営者の価値観の大転換 ― 連続起業家というステータス

「終身雇用」「社員は家族」という社会通念の中で育った昭和生まれの経営者は、「M&A」と聞けば「のっ取り」と感じ、「一国一城の主」である自分が追い出されるM&Aは選択肢ではありませんでした。

しかし、スタートアップの経営者は今や80年代後半(平成初期)生まれのいわゆるミレニアル世代や、その後の90年代後半から2000年頃に生まれたZ世代が主流です。ミレニアル世代は生まれたときからモバイル端末に囲まれて育ち、知らないことは検索エンジンで調べるのが当たり前の世代。Z世代はスマホやSNSが生活に欠かせない環境に生まれ育ったデジタルネイティブ世代です。IT系スタートアップはこうした世代の経営者に支えられています。

こうした世代の経営者にとって会社は「課題解決のための器」であり、会社が課題解決に有効に機能しなくなったら別の「器」を選択する、そんな素直で合理的な判断をする経営者も少なくないのです。

就職してもキャリアアップのための転職は当たり前であるように、起業しても自分の城を堅守するのではなく、著名な大企業にM&Aされてキャピタルゲイン(事業売却による利益)を得ることの方がステータスになることもあるのです。

こうした環境下で、連続起業家(=シリアルアントレプレナー)といって、M&Aで得たキャピタルゲインを元手に次の起業を行い、新たな価値創造に取組む経営者が脚光を浴びるようになったのです。

 

スタートアップの特性を踏まえた事前準備が成否を分ける

外部株主との意思疎通

スタートアップの特徴として株主構成をあげることができます。設立当初の会社は創業者(=経営者)と身内の株主だけであることが一般的です。しかし、スタートアップの場合は、成長していくにしたがって事業シナジーを目的として出資する大企業や投資収益を目的としたベンチャーキャピタルなどが外部株主として参画してきます。

外部株主の同意なしには、株式譲渡は不可能です。M&Aが俎上に上がる前から、外部株主の中で最も株式保有シェアが高くリーダーシップを発揮できる株主と意思疎通を密にして緊密な関係を築いておくことが、M&Aを成就させるポイントです。

 

従業員や金融機関などとの関係整理

スタートアップの従業員は、新卒採用が少なく、即戦力を期待されて採用された中途採用者がほとんどです。スタートアップの従業員は、一つの企業で長く勤務するという意識が強くないため、終身雇用型の企業の買収と比べ、業務内容や雇用条件で別の企業に留まるか別の会社に転職するかを合理的に判断する可能性が高いようです。注意すべきは従業員にインセンティブ目的でストックオプションや株式が付与されている場合です。従業員のなかには、自分の勤務先の会社がM&Aをするとの情報を得ると、自己が保有する株を高値で売りたいため、容易に株の売却に応じない方々が必ず出てくるものです。こうしたことが生じないよう、あらかじめインセンティブ付与の際に予約権の要綱や付与時に締結する契約に退職をトリガーとした売渡請求権を規定するなどの方法を用いて対策をしておくことが必要です。

金融機関対策も重要です。株主でもないのに関係があるのか疑問に思うかもしれませんが、スタートアップが金融機関から運転資金などを借入れる場合は、通常、経営者が銀行借入の連帯保証人となることがほとんどです。更に経営者の自宅に抵当権が設定されることもあります。M&Aの方法にもよりますが、経営者の連帯保証や自宅への抵当権が残ってしまわないよう、買手企業に保証を引き継いでもらったり、事業譲渡の代金で経営者が借入金を返済したりする等といった形であらかじめシナリオを練っておくことが必要なのです。

 

売却価格の算定の考え方

一般的に、事業承継に伴う株式譲渡の場合には、相続税が関係することが多いため類似業種比準方式や純資産価額方式などを中心にディスカウントキャッシュフロー法などとも折衷しながら算定することが少なくありません。しかし、スタートアップの場合はIPO等を目指して事業計画に基づいて資金調達するため、上場企業のPERなどを参照した類似会社比準法を採用していることが多いようです。一般的な非上場企業と異なり、第三者割当増資を頻繁に行っているため、直近の株式発行価格も有力な比較対象となります。

ただし、実際の株価は理論だけでなく売手(経営者)・買手間の綱引きにより決まります。オープンイノベーションのために新サービスを開発したい大企業など、事業を高く評価してくれる買手探しができるかどうかが成否を分けることになります。

外部株主は経営者同様に企業価値が高くなることを望んでいますから、経営者はネットワークを持っていて日頃より積極的に取引先紹介をしてくれるベンチャーキャピタルなどの外部株主と懇意にしておくことも高株価を実現するための1つの方策です。

 

M&Aシナリオを視野に入れた資本政策

スタートアップはIPOを目的に設立初期から明確な事業計画を策定しますが、事業計画だけでは、IPOは勿論、M&Aも成功させることはできません。資本政策が必要となります。

資本政策とはIPOやM&Aに向けて増資や株式譲渡を組合わせて狙いの株主構成を実現するシナリオ作りをすることです。

例えば、株主構成面については、M&Aをする際には株式譲渡により会社の支配権を手に入れる必要があります。しかし、経営者が過半数の株式を保有していなければ、全株式を経営者が譲渡しても買手は支配権を手に入れることはできないため、そもそも買収が成立しないのです。

そのため、M&Aをする時点で経営者が株式の過半数を保有しているように、事前に第三者割当増資や株式譲渡により経営者の株式保有比率が低下し過ぎないようにコントロールする必要があるわけです。

株価面では、一見、高い株価で第三者割当増資を行った方が少ない株式で多くの資金を調達できるので良いことばかりのような気がします。しかし、M&Aをする際に外部株主の保有株価を下回る株価で株式譲渡の提案をして株主の賛同を得ることができるでしょうか?高すぎる株価で増資をすると、経営者が株式売却益を得られるような譲渡株価でも外部株主にとっては売却損になってしまうため、株主間の対立を招いてしまい、M&Aをすることが困難になってしまうのです。。

したがって、高すぎず低すぎずの株価で増資を行う必要があるのです。

このようにM&Aを円滑に実行するためには事業計画に沿った資本政策の策定が不可欠なのです。

 

むすび

コロナ禍の影響でインバウンド関連や外食・アパレルなどの接触型サービスを展開するスタートアップは業績悪化で事業計画の変更のみならず、ビジネスモデルの転換を余儀なくされているところも少なくありません。これに伴い、成長性の高い新事業に乗り出すために業績の悪い既存事業を譲渡したり、経営資源を集中するために、本業と関係の薄い事業を会社分割で切り離したりするようなケースも増加しています。

バトンズには、取引先紹介のネットワークを持ち、M&Aを円滑に進めるための資本政策をご提案できる専門家が充実しています。事業譲渡が具体化する前に、専門家に自社の資本政策をチェックしてもらってはいかがでしょうか。

 

中小企業診断士 伊藤一彦

TOBについて考える

みなさんこんにちは!大阪府堺市でみなさまのちょっとした変化を応援しています。山本哲也です。今回は、スモールM&Aから少し外れて株式市場を騒がせたTOBの話題についてお話したいと思います。つい先日、コロワイドが仕掛けた敵対的TOBは、ゲーム終盤になって両社が手を打ち、大どんでん返しかと思われましたが、結果としては、コロワイドの敵対的TOBが成立しました。いったい何があったのでしょうか?

敵対的TOBとは、経営陣の賛同を得ずに行われる株式公開買付けを指します。経営陣は買収対抗策を講ずるとともに、株主に対して買付けに応じないように勧告します。現経営陣の買収対抗策としては、ホワイトナイトと呼ばれる第三の友好的な企業による合併や新株引受けにより、買収を避けることがあります。また、自社の重要資産を他企業に営業譲渡することで買収する側からみた「買付けする価値」自体を棄損し買収意欲を削ごうとするようなことまで行われるケースもあります。

 

TOB成立条件を引き下げ

大戸屋は、8月下旬にオイシックスと業務提携を発表しました。冷凍総菜やミールキットなどの共同開発を行うようです。オイシックスは、新型コロナウイルス感染拡大に伴う巣ごもり需要の影響で業績好調で、2020年4〜6月期決算は、売上高が前年同期比42.2%増の231億円、営業利益が約3.8倍の20億円と大幅な増収増益となっています。「このままホワイトナイトになるのか?!」とワクワクしましたが、単なる業務提携との発表のみで終わりました。当たり前ですね。

一方、コロワイド側は8月下旬、TOB成立条件の下限を45%から40%に引き下げた上にTOB期間を9月8日まで延長しました。大戸屋ファンである個人株主たちが、コロワイドの呼び掛けに乗らず、TOB成立に必要な株数が集まらなかったためです。しかし、これが、決勝弾となり、一気にTOB成立となりました。大戸屋ファン株主が一挙に心変わりしたのでしょうか?

 

コロワイド苦戦の理由

コロワイドのTOBが苦戦していた理由は、ファン株主によるTOB反対だけではなかったようです。

日経新聞などによると…
TOBの成立下限が40%に引き下げられたことで、「利にさとい最大14日間限定の株主が急増した」(証券会社関係者)。

つまり、利ザヤ稼ぎのために市場で株式を買い入れ、コロワイドのTOBに申込んだ、いわば、“にわか株主”が殺到したようです。目標の取得率を引き下げたことと、取得期間を伸ばしたことで、状況が大きく変わったようです。

 

どういうこと?

これにはTOBの仕組みを少し説明する必要があります。以前の条件だと、応募が殺到して取得上限の51.32%を超えてしまうと、応募した1,000株すべては買い取ってもらえず、その一部、例えば400株が手元に戻ってきてしまうかもしれません。

 

それによって何が起きるかというと…。

戻ってきた400株がTOB終了で暴落する可能性が相当高く、そうなると利ザヤを大きく下回りトータルすると損失となる可能性が高まっています。これらの株主は経営や大戸屋のポリシーに興味があるわけではなく、利ザヤにのみ興味があるのです。だからこのリスクを勘案することは、当然と言えば当然です。

 

ビッグチャンス?

コロワイドの条件変更の発表を受けて、TOBへの応募は下限にすら達しなかったことが明らかになりました。言い換えれば、「TOBに応募すればほぼ間違いなくすべて買い取ってもらえそう」(個人投資家)という見方が急速に広がりました。しかも大戸屋HDの株価は8月25日終値でTOB価格を400円近く下回る2700円。

そうです。これはおいしい!!稼げそうだ!! となったことは明らかです。実際に、26日の売買高は25日の9倍以上に膨れ上がった。9月3日までの7営業日の1日平均売買高を見ても、8月25日までの7営業日の2倍を超えている。こうした人たちにとっては、独立経営を訴える大戸屋や「大戸屋HDは我々が立て直せる!」と主張するコロワイドの戦略のどっちが正しいかになんて「そんなのカンケーねー」です。

テレビのニュースで女性株主が「みんなでがんばりましょう!と株主総会で話したのに・・・みんななんで裏切っちゃったのかしら。」と涙ながらに話していましたが。「たぶんみんなが裏切ったのではなく新しい登場人物が現れてドラマが急展開しただけですよ。」と彼女に伝えてあげたいです。このような急展開など起こらなければ、ホームドラマのようなハッピーエンドが待っていたのに。このようなマネーゲームに巻き込まれたことは本当に残念です。

 

狙い通り?

かくして最大14日間限定の新たな投資家の登場は、結果として大戸屋HDを苦しめることになりました。TOB期間延長を発表した後、コロワイド幹部がTOB成立に自信を見せていた裏には、このようなシナリオを描いていたとすれば「すごい。」と言わざるを得ないですが、もう少しスマートにできなかったのでしょうか。コロワイドの企業イメージにとってマイナスでしかないと思うのですが・・・

いよいよ最終回。
コロワイドが臨時株主総会の開催を迫り、経営陣が一新されるようです。役員人事、経営方針、反対派だった社員さん、顧客の動向。どれも目が離せませんね。

 

中小企業診断士 山本哲也

「経営者保証に関するガイドライン」を活用して事業承継をスムーズに!

株式会社は本当に有限責任?

「株主は,株式についての払込みまたは給付という形で会社に出資する義務を負うだけで,会社債権者に対して何ら責任を負わない〔有限責任〕」(神田秀樹『会社法第八版』8頁(弘文堂,平成18年)。会社法第104条)。私が学生時代に使っていた会社法の教科書にはこのような記載がありました。

確かに,法律上,株式会社の債務について株主が自分の財産で弁済する義務はありません。しかし,株主が社長でもある(以下「経営者」といいます。)株式会社たる中小企業においては,金融機関からの借入を自分の財産で弁済しなければならないことがしばしばあります。これは,金融機関から行った借入の債務について,経営者個人が保証債務を負担していること(すなわち,経営者が保証人となっていること。以下「経営者保証」といいます。)によるものです。

経営者保証が事業承継のネックに

中小企業は財務基盤が脆弱であることが多く,経営者保証によって信用を補完することができるため,経営者保証が中小企業の資金調達に寄与する面も少なくありません。事業が順調であれば経営者保証が何か問題を生じさせることは少ないでしょう。

しかし,事業承継を考えるとき,経営者保証がネックになることがあります。例えば,経営者がその地位を後継者に引き継がせたとしても,経営者保証を引き継がせるためには,金融機関の了解が必要となる場合などです。なぜならば,経営者保証とは,経営者と金融機関との間で締結される契約(保証契約。民法第446条第1項)であるためです。後継者の信用が不足するとして,金融機関が経営者保証を引き継がせることに難色を示すことも十分考えられます。

また,そもそも後継者が多額の責任を負う経営者保証を嫌がり事業承継を拒むこともありえます。そのような場合,事業承継自体を断念せざるを得なくなります。

経営者保証に関するガイドライン

事業承継に限らず,経営者保証にはさまざまな問題点があります。そこで,経営者保証における合理的な保証契約のありかた等の準則として,平成25年12月に『経営者保証に関するガイドライン』(以下「ガイドライン」といいます。)が策定され,平成26年2月から運用が開始されています。このガイドラインは,日本商工会議所と全国銀行協会が有識者とともに協議を重ねて策定したもので,法的な拘束力はありませんが,実務において参考とされているものです。

事業承継の場面におけるガイドラインの内容

ガイドラインでは,前経営者の負担する保証債務について,後継者に当然に引き継がせるのではなく,金融機関は,保証契約の必要性等について改めて検討し,適切な保証金額の設定に努めるものとされています。保証契約の必要性等の検討や適切な保証金額の設定の際は,以下の内容について,考慮するものとされています。

【保証契約の必要性等の検討について考慮するもの】
イ)法人と経営者個人の資産・経理が明確に分離されている。
ロ)法人と経営者の間の資金のやりとりが,社会通念上適切な範囲を超えない。
ハ)法人のみの資産・収益力で借入返済が可能と判断し得る。
ニ)法人から適時適切に財務情報等が提供されている。
ホ)経営者等から十分な物的担保の提供がある。
【適切な保証金額の設定の際に考慮するもの】
保証人の資産及び収入の状況,融資額,主たる債務者の信用状況,物的担保等の設定状況,主たる債務者及び保証人の適時適切な情報開示姿勢等

(出典:『ガイドライン』5頁・6頁)

いずれについても,中小企業が保有する財産だけで,債務の弁済がどの程度可能なのかがポイントとなります。そして,このことの前提として,中小企業や経営者個人が金融機関への十分な情報提供や説明をすることが重要になります。

ガイドラインの特則について

令和元年12月には『事業承継時に焦点を当てた「経営者保証に関するガイドライン」の特則』(以下「ガイドラインの特則」といいます。)が策定され,令和2年4月から運用が開始されています。ガイドラインの特則では,以下の内容が定められています。

① 事業承継時において,原則として前経営者,後継者の双方から二重に保証を求めないこと。

② 令和2年4月1日施行の改正民法により事業のために負担した債務の保証契約について制限が規定されたこと(※)や,経営者以外の第三者保証を求めないことを原則とする融資慣行の確立が求められていることを踏まえ,前経営者が実質的な経営権・支配権を保有しない場合は,保証契約の適切な見直しを行うこと。

※ 実質的な経営権・支配権を保有しない者が保証契約を締結する場合は,所定の要件のもとで保証債務を履行する意思を公正証書で表示していなければ効力が生じなくなりました(改正後民法第465条の6第1項)。

事業承継に備えた中小企業の財務基盤の確立を!

ガイドラインやその特則は,実は,中小企業に借入を返済できるだけの十分な財産があることが明確ならば,保証人を求める必要性はないというある意味当然のことを定めたものだと考えられます。

長期的な視点をもって,中小企業の明確な財務基盤を確立していくことが,結局は事業承継における経営者保証の問題を解決する一番の方法といえます。

なお,ガイドラインでは,中小企業が倒産した場合や事業再生を行った場合の経営者保証のありかたについても定めています。ガイドラインは,一般社団法人全国銀行協会のウェブサイト等で入手できますので,一読することをおすすめします。

弁護士・中小企業診断士(登録予定) 武田 宗久

スタートアップのM&Aの進め方(買手の立場で) ―株主間の利害をひも解こう―

M&Aを円滑に進めたい。買手も売手も互いにそう思ってはいても,利害の一致点を見い出すまではどうしても疑心暗鬼になりがちです。このような場合は,買手がM&Aの入口に立つ前に売手である創業オーナー(経営者)や外部株主が何を考えているのか、その一端を知ることによって売手に寄り添った提案が検討し易くなり交渉のスピードアップが図れるのではないでしょうか。

スタートアップのM&Aの特徴

通常の株式会社の場合、株主は創業オーナーやその一族、創業時のメンバーなどいわゆる「身内」株主がほとんどです。一方、スタートアップの場合は、投資リターンを狙った投資家株主やシナジーを狙った事業会社が株主となっているケースが少なくありません。スタートアップのM&Aにおいてもこの外部株主の存在が重要なファクターになります。

具体的に、あなたが買手としてスタートアップにM&Aを提案したケースを想定して会話形式でシミュレーションしてみました。創業オーナーや外部株主の反応をちょっと覗いてみましょう。会話の中には,初めて聞く専門用語もあるかもしれませんが,のちほどご説明しますので,まずはご一読ください。

(あなた)この度は、M&Aの提案をご検討いただきありがとうございます

(創業オーナー)M&A後も私の経営権を保証していただけるとのこと。有難いご提案です。しかし、ご提示いただいた買収価格が550万円では、私は創業時に出資した100万円が1銭も回収できないのです。

(あなた)どういうことですか?社長が増資により外部株主から資金調達した金額は

1,000万円ですよね。外部株主と社長でM&Aの買収対価を分け合えば社長も外部株主も投資回収率は550万円÷(1,000万円+100万円)=50%。5割は回収できるのではありませんか。

(創業オーナー)外部株主には全額種類株式で出資して貰っているのです。株主間の契約で約束した「みなし清算条項」により、M&Aがあった場合には種類株主である外部株主が普通株主である私に優先して買収対価の分配を受けることになるのです。

(外部株主)我々としてはM&Aのご提案に応じたいですね。会社は成長していますが、事業計画で想定するほどのスピードではなく,株式上場までにさらなる時間を要することから,M&AによるEXITをせざるを得ないからです。

(創業オーナー)外部株主の皆さんがそういうのでしたらやむをえません。私が反対してもDrag Along権(外部株主の強制売却権)を行使されたらM&Aに応じざるを得ませんから。私も今後も社長として続投できる条件を提示してもらっていますし、M&Aの提案を前向きに検討します。

どうやら、M&Aの提案が前向きに検討されるようです。勿論、実際にはこんなシンプルな形で話は進みませんが、株価と株主の権利が実際のM&Aの場でも重要な判断材料になっているのも事実です。

なぜ、こうした話になるのか、会話の用語解説もかねて読み解いてみましょう。

株主の保有株価と権利に注目

創業オーナーの保有株価と権利には特徴があります。株価面では創業オーナーは他の株主と比べて低い株価で株式を保有しており、権利面では創業オーナーは経営権を確保するために株主総会の決議に必要な議決権シェアを確保しているということです。

したがって,買い手が創業オーナーの保有株価を下回る額を提案しない限り,創業オーナーは,M&Aで保有株式を売却すれば利益を得ることができるため,創業オーナーはM&Aに応じるか否かの意思決定を主導的に行うことができます。

ところが、近年こうした状況に変化が見られます。シリコンバレーに見られる種類株式を活用した増資が行われるようになったためです。

外部株主の意向に留意しなければならない裏事情

近年の種類株式活用の広がりによりM&Aの際の外部株主の発言力が格段に強くなりました。要因は2つあります。1つめは優先的に財産の分配を受ける権利が設定されるため、2つめはDrag Along権という他の株主も巻き込んでM&Aに応じさせる権利が設定されるためです。

もう少し詳しくいうと、スタートアップの資金調達に活用される株式は,会社を清算した時に種類株主が優先的に残余財産の分配を受領できる種類株式とされています。しかし,実際には清算時には会社はほぼ無価値になってしまうことが多いため、「みなし清算条項」といってM&Aの時も同じように外部株主が優先的に分配を受けられるよう会社・創業オーナー・外部株主間の契約(以下、株主間契約)で合意します。これにより外部株主は回収可能性を高めることが可能となり、リスクの高いスタートアップ投資に応じやすくなっているのです。

さらに、この株主間契約には外部株主主導によるM&Aを容易にする仕組みが組み込まれています。株主間契約において,多数の外部株主がM&Aの提案に応じる場合には創業オーナーも含めた他の株主も同条件で買収に応じなければならないというDrag Along権が規定されているのです。

M&Aを円滑に進めるために―どうやったら知ることができるの?

孫子の「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という言葉はM&Aにおいても重要な視点です。すでに説明したように,特にスタートアップのM&Aの場合は,売手の創業オーナーだけでなく,外部株主もM&Aに応じるかどうかについて相応の影響力を持つため,検討の対象に含める必要があるという点に留意が必要です。

円滑にM&Aを実現するためには、株価水準に応じて各々の株主にどの程度の損益が発生するのかシミュレーションしておくことが重要なのです。

実は、公開情報だけでも、かなりの調査が可能なことはあまり知られていないようです。

履歴事項全部証明書(いわゆる登記簿謄本)は誰でも取得することができますが、株式の発行時期、種類株式の有・無や、種類株式の権利などの確認ができます。また、資金調達総額や外部株主の名称はスタートアップ業界でよく利用されているサイト(注1)で検索すれば容易に知ることができます。

ちょっとした知識は必要となりますが、サイトで入手した資金調達額の情報と登記簿謄本で入手できる情報があればどの株主がいくらで株式を保有しているか、会社の直近の株式時価総額がいくらか等は推定可能なのです。

むすび

スタートアップのM&A市場は拡大しつつあり、一歩踏み出せば最新の技術や成長性の高いビジネスモデルを短時間で獲得するチャンスが広がっています。しかし、株価の算定方法や株主構成など、事業承継系のM&Aと異なる点があるため参入しにくさを感じる方も少なくないと思います。

実はこんな方々も、専門家に相談することで、最初の一歩を踏み出すハードルを大幅に下げることができます。バトンズのようなM&Aプラットフォームの登場により専門家とM&Aニーズのある皆さんとの距離が近づきました。

コロナ禍でビジネスモデルの転換やデジタルトランスフォーメーション化の必要性がますます高まっています。シナジーの高い新規事業の検討の選択肢として、一度ドアをたたいてみてはいかがでしょうか。

中小企業診断士 伊藤一彦

(注1)
「テッククランチ」      : https://jp.techcrunch.com/
「SPEEDA」(有料サービス):http://www.uzabase.com/speeda 
「PRTIMES」       :https://prtimes.jp/

【ぼくたちのM&A】事業譲渡という手法

みなさまこんにちは。厳しい残暑が続きますので体調管理には特に気を配りたい季節ですね。大阪府堺市であなたのちょっとした変化を応援しています。堺なかもず経営支援センター山本哲也です。

いつものように、M&Aで社長を目指す“ビジネスパーソン”ツナグの独り言からお聞きください。

ツナグ:ぼくたちビジネスパーソンだからビジネスのことはわかるけど、簿外リスク?さっぱりわからないけどリスクは嫌だ。リスクを避ける方法として「事業譲渡がおススメ」だって聞いたことがあるけど・・。「そもそも事業譲渡の事業の定義ってなんだろう?」商品?顧客名簿?スタッフは?

事業譲渡って? 会社全体を売買する場合との違いは?

事業譲渡とは、その言葉の通り事業を売買する手法でM&Aの一手法です。
会社法では、単なる物質的な財産(商品、工場など)だけではなく、のれんや取引先などを含む、ある事業に必要な有形的・無形的な財産を一体とした上での譲渡を指す。とされています。

二つのスキームの違いを大雑把に言うと、その売買範囲の決め方にあります。
株式の移転を伴う売買(いわゆるM&A)の場合、法人が持つすべての権利債務が移転します。視点を変えると株主が変わるだけであとはなにも変わらないということです。一方、事業譲渡は、契約によって個別の財産・負債・権利関係等を移転させる手続きなので、会社が営んでいる全ての事業を譲渡することも、一部の事業のみを譲渡することも双方の話し合いで決定することができます。

またもう少し細かく言うと、 その事業に活用する有形財産はもとより、無形の財産である人材、事業組織、ノウハウ、ブランド、取引先との関係、債務などマイナスのものも含むあらゆる財産が取引されます。株式譲渡と違い、これらの取引財産の範囲を契約書で定めることになり、かなりの手間と時間のかかる作業となります。

ツナグ:なるほど・・すべて契約書で決めるんだ。なんだか大変そう。

事業譲渡方式のメリット

ツナグ:でも、その会社の欲しい部分だけを売買できるのは確かに便利な気がするなぁ。

そうですね。買手にとっては、契約の範囲を定めることで、帳簿外にある債務(簿外債務、偶発債務など)やリスクを遮断することができるのが大きな利点の一つです。例えば、未払い残業代や帳簿に載せていない借入金などが代表的な例ですが、デューデリジェンスですべてのリスクを調べつくすことは困難ですから。そのような場合にも事業譲渡方式はメリットがあると言えます。
また、買い手は、譲渡会社に対して、一定期間同じ事業を行うことによる競業禁止を求めることができます(競業避止義務)。 つまり、買い手からするとその地域で競争他社を一社減らしつつ、事業を継続して取り組むことができる。と言うことです。事業の譲り受けが完了して、「さぁスタート」と言うときになって取引先や顧客が、売り手の会社に仕事を依頼するなどのトラブルを防止する意味合いもあります。

デメリットは?

ツナグ:じゃぁみんな事業譲渡でやればいい気もするけど・・・。

当たり前のお話ですが、事業譲渡にはメリットと同じくらいデメリットも存在しています。先述した契約範囲の設定に相応の手間と時間が必要になります。それ以外にも・・
①行政からの許認可は改めての申請が必要になります。
②定款変更などの手続きが必要な場合があります。
③債権者、取引先や従業員との個別の交渉(契約)が必要になります。

株式の譲渡による売買であれば、デューデリジェンスの内容を加味した上で、譲渡の方法をどのようにするのか、時期、金額、などの折り合いがつけばすぐにでも引継ぎがスタートできます。そのあたりの違いを踏まえて譲渡スキームを検討する必要がありますが、事業規模が小さい場合、事業譲渡がより現実的な選択肢となると考えられています。

まとめ

ツナグ:やっぱり、どちらも一長一短なんだね。ぼくたちみたいな個人M&Aには親身になってくれる専門家に相談するところから始める必要がありそうだね。それにしても、まだまだ勉強しなきゃいけないことがたくさんありそうだ。

本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。
中小企業診断士 山本哲也

本当はこわい表明保証条項

M&Aの際,売り手の企業がどのような状態であるのかということは,買い手にとって最大の関心事となります。しかし,売り手の企業がどのような状態であるかを知ることは,買い手にとって容易なことではありません。当然のことながら,売り手の企業の情報は売り手に集中しているからです。

この点について,M&Aにおいては,売り手の企業の状態を知るために,財務・税務や法務等に関する調査であるDD(デューデリジェンス)を行うこととなります。しかし,時間や費用等の観点から調査には限界もあります。特に中小企業のM&Aでは,売り手の企業の規模がそれほど大きくないこと等から,多額の費用をかけたDDが困難な場合もあります。 このようなことから,基本合意や最終契約において表明保証条項が広く用いられています。

表明保証条項とは

表明保証条項とは,契約の一方当事者が他方当事者に対し,一定の時点における一定の事項が真実であり正確であることを「表明」し,かつその内容を「保証」する条項をいいます。

【表明保証条項の例】

第○条 乙(売り手)は,甲(買い手)に対し,本契約締結日及びクロージングにおいて,以下の各号が真実かつ正確であることを表明し,かつ保証する。

⑴ 乙は,日本の法律に基づき適法に設立され,有効に存続している株式会社であること。

⑵ 簿外債務等が存在しないこと。

⑶ 知的財産権(使用する商標等)について,権利侵害等の主張を受けたことがないこと。

⑷ 業員及び雇用関係に重大な問題が存していないこと。

⑸ 訴訟等の当事者になっていないこと。(以下省略)

このように,表明保証条項を用いることにより,売り手に一定の事項が真実かつ正確であることを保証させ,DDによる調査コストを軽減し,DDでは確認できないような事実関係の真実性・正確性を確保することができます。

売り手が表明保証条項に違反していた場合

では,売り手が表明保証条項に違反していた場合,すなわち,売り手が真実かつ正確であると表明し,保証した事項が,実は事実とは異なっていた場合は,買い手はどのような措置をとることができるのでしょうか。
この点について,基本合意や最終契約において,補償条項を規定すること等によって,買い手は表明保証条項違反を理由に売り手に対して補償請求・損害賠償請求をすることが考えられます。

【補償条項の例】

第○条 甲は,乙による第○条(注:表明保証条項)各号に定める表明及び保証の違反があったことにより損害を被った場合は,乙に対し補償又は損害賠償を請求することができる。

表明保証条項は万能ではない

ここまでこのコラムを読んでいただいた方のなかには,表明保証条項で多くの事項を売り手に表明保証させれば,DDのコストが削減できてよいのではないかと思われた方もいるかもしれません。しかし,裁判例では,表明保証条項に関する事実に相違があるとしても,買い手が売り手に責任を追及することを認めていないものがあります。

例えば,表明保証条項は,企業買収に応じるかどうか,あるいはその対価の額をどのように定めるかといった事柄に関する決定に影響を及ぼすような事項について,重大な相違や誤りがないことを保証したものに過ぎず,売り手に表明保証条項違反による責任を追及できるのは重大な相違や誤りがある場合に限るとしたものがあります(東京地判平成19年7月26日判タ1268号192頁)。これは,売り手に関する考え得るすべての事項を情報開示やその正確性を保証の対象とするというのは非現実的であるという考えによるものです。

また,売り手が表明保証を行った事項に関して違反していることを買い手が知っていたか,わずかの注意を払いさえすれば,知り得たにもかかわらず,漫然とこれに気付かないままに株式譲渡契約を締結した場合(すなわち,買い手が売り手の表明保証違反につき悪意・重過失である場合)は,売り手は表明保証責任を免れる余地があるとした裁判例があります(東京地判平成18年1月17日判タ1230号206頁)。これは,買い手が売り手の企業の実際の状態を知っていたか,容易に知りうるような場合まで売り手の責任を認めることは公平の見地からして相当ではないという考えが根底にあります。

このような裁判例を踏まえると,買い手が売り手に損害賠償を請求するためには,重大な相違や誤りがあることや,売り手の表明保証条項違反について買い手が重大な過失なく知らなかったこと(すなわち,善意無重過失であること。)などといった必ずしも契約書には書かれていない要件が求められることがあることに注意をする必要があります。

そうすると,やはり売り手の企業の状態を知るためには,まずはDDによることを検討すべきで,表明保証条項はあくまでもDDを補完するものとして位置づけ,安易に用いるのはリスクがあると考えておいた方がよいのかもしれません。

 

弁護士・中小企業診断士(登録予定) 武田 宗久