スモール M&A における悪質な取引と倫理基準の見直し
1.はじめに
スモールM&A(企業の合併・買収)は、中小企業の事業承継や成長戦略の一環として重要な手段です。特に後継者不足や経営改善を目的とする中小企業にとって、M&Aは新たな事業展望を開く可能性を秘めています。しかし、M&Aが普及するにつれて、悪質なM&A仲介業者や投資会社が関与するトラブルが増加しており、これが市場全体の健全性に対する懸念を引き起こしています。今回取り上げるルシアンホールディングス事件と市場の反応を通じて、スモールM&Aにおける倫理問題と、今後求められる倫理基準の見直しについて考察します。
2.ルシアンホールディングス事件の概要
東京都千代田区に本社を置くルシアンホールディングスは、2021年から2023年にかけて全国の中小企業37社に対して悪質なM&Aを行いました。同社の手口は、まず経営不振に陥った企業を対象に、M&A仲介業者を通じて買収を持ちかけることから始まります。彼らは「事業再生」を強みとする事業者であることをセールスポイントとして、企業経営者に対して安心感を与え、買収を持ちかけます。しかし、実際には買収後、役員報酬を過大に設定し、売り手企業の資金を吸い上げた上で連絡を絶つという手口を繰り返したそうです。
この事件で被害を受けた売り手企業の経営者たちは「被害者の会」を結成し、警視庁に相談する事態にまで発展しました。この事件は、スモールM&Aにおける悪質な手法の実態を明らかにし、企業とその経営者に対する深刻な被害をもたらしました。
3.市場の反応と倫理基準の問題
ルシアンホールディングス事件の報道が広がる中で、M&A仲介業界全体に対する信頼が揺らぎました。特に、2024年6月10日にはM&A仲介大手の株価が急落しました。これは、政府が発表した「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」の2024年改訂版案において、M&A仲介者の利益相反構造や高額な最低手数料に対する問題が指摘されたことが一因となったといわれています。M&A総研ホールディングス(HD)の株価は特に大きく下落し、17.9%の下落率を記録しました。
2024年改訂版案では、M&A仲介業者が売り手と買い手の双方から報酬を受け取る「両手取引」の問題が強調されています。この構造は、仲介業者が売り手・買い手どちらのクライアントの利益を優先するかという利益相反のリスクを内包しています。特に、買い手側の利益が優先されるケースが多く、売り手の企業価値が過小評価される危険性があります。例えば、M&A総研HD傘下のM&A総合研究所が行った「資本提携に関するご面談の依頼」というダイレクトメッセージが、実際には架空の資本提携先を斡旋していたとして問題視されています。これにより、仲介業者の信頼性がさらに低下し、業界全体に対する批判が高まりました。
4.今後の課題と倫理基準の見直し
スモールM&Aの健全な発展と市場の信頼回復には、仲介業者や買い手の倫理基準の見直しが不可欠です。中小企業庁は現在、「中小M&Aガイドライン見直し検討小委員会」を通じて、手数料体系の開示や最低手数料の透明化を検討しています。これにより、仲介業者がクライアントに対して公正な取引を提供することが求められます。また、自主規制の強化も重要な課題であり、特に利益相反のリスクを減少させるための具体的なガイドラインの策定が必要です。
一部の業界関係者は、新たな規制が業界全体の成長にマイナスの影響を及ぼすのではないかと懸念しているようです。しかし、長期的には透明性と公正性の向上が業界全体の信頼性を高め、持続可能な成長を支えると考えられます。特に、M&A仲介業者が提供するサービスの内容とその対価について明確に説明することが求められます。これにより、クライアントが自分たちの取引が適正なものであるかを判断できるようになります。
5.おわりに
スモールM&Aは中小企業の再編や成長において重要な手段ですが、悪質な取引が存在することも事実です。今後の市場の健全化と持続可能な成長を実現するためには、M&A仲介業者や買い手企業の倫理基準の向上が不可欠です。政府や業界団体が規制強化とガイドラインの見直しを進める中で、売り手企業とその従業員の保護が一層重要になります。倫理的な取引の実現に向けて、業界全体が協力して取り組むことが求められます。
【参考文献】
- 「M&A」名目で中小企業に入り込みカネを巻き上げ…悪質投資会社の手口とは 全国で相次ぐ被害. 東京新聞. 2024年5月3日. https://www.tokyo-np.co.jp/article/324892
- 6月10日にM&A仲介大手の株価が一斉に急落する事態が起きた. 東洋経済オンライン. https://toyokeizai.net/articles/-/762514