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M&A後の経営統合での失敗事例  その2

M&A後の経営統合は、意外と難しく、非常に重要なプロセスです。このテーマについて耳にしたことはありませんか?

これまで、多くの企業はM&Aという手法そのものに注目してきました。しかし、手続き完了後の統合について部外者が知る機会はほとんどありません。特に中小企業の場合、情報開示の義務がないこともその一因です。

 

さらに、経営統合は長期にわたる大きな労力を要するため、経営者仲間の関心が薄れる頃でも、作業が完了していないケースが多々あります。それでも、数年後に「あのM&Aは成功だった」と評価されるかどうかは、この経営統合(PMI)が成功するかにかかっています

 

しかしながら、売り手経営者との基本合意が取れた後の作業を軽視する買い手経営者が多いのではないでしょうか?具体的には、担当者任せにし、時折進捗報告を求めて叱咤激励や思いつきの助言をするケースが散見されます。

もちろん、経営者が本来の業務や他のM&A案件発掘に時間を費やしたいという考えは理解できます。しかし、M&Aの目的は経営課題の解決であり、統合によるシナジー効果の創出がその本質です。

 

本日は、私が実際に目にした失敗事例をご紹介します。

いずれも「そんなことが本当に?」と思えるような話ですが、実はよく耳にする事例です。ご自身の周りで同じようなことが起きていないか、ぜひアンテナを立ててお読みください。

 

失敗事例1:買収先経営陣や管理者との信頼関係構築ができず、ミスコミュニケーションによる問題が発生するケース

 

このケースでは、経営者が買収企業の経営方針を明確に示さず、被買収企業の管理者が、新たな経営者のニーズを想定しながら独自に経営改善を進めた結果、問題が発生しました。

具体的には、被買収企業側は、創業以来複数回にわたってオーナーが変更になるという歴史的な背景がありました。そのため、極端な短期的思考に陥ってしまいます。「短期的な成果を示すことでビジネスの可能性を新オーナーに見せつけなければ、また売りに出されたり、廃業に追い込まれる」といったいわば強迫観念ともいえる状態でした。

緊急ではないけれどビジネスの土台をコツコツと築くような長期施策をすべてストップしました。例えば、サービス品質向上や既存顧客のロイヤリティ向上施策、そして肝心の従業員教育などをすべてストップしました。逆に、新オーナーから業績改善のために提供された資金をフル活用し、WEB広告や短期成果に直結するようなカンフル剤的な施策を外注委託で実施しました。

 

これらの施策のすべてが成功し、成果に直結すれば、もちろん問題は大きくならなかったと言えますが、短期的施策はその効果も長くは持続しないものです。結局、各施策の結果分析するための時間を惜しんで、資金が続く限り思いつく施策を片っ端から打ち続けざるを得ませんでした。

どこかで大きな成果が出ていれば状況は変わったかもしれません。しかし、そのような幸運には恵まれず、長期施策への切り替え判断もなされなかったため、業績は下がり続け、新オーナーからの資金提供も次第に減少してしまいました。

 

「もっと早めに見直しを行って方針転換をすればよかっただけなのに、そんなバカなことがほんとに起きるのか?」とお感じになったでしょう。しかし、人間は追い詰められると極端に近視眼的なることは、いろいろな学者によって証明されている事実です。

 

繰り返しになりますがこの事例は、「事前準備を早めかつ入念に行う」という基本原則の重要性を再認識させるものです。

 

 

失敗事例2:さまざまな新しい取り組みで従業員が疲弊し、離職してしまうケース

このケースでは、経営統合を急ぐあまり、買収企業が被買収先企業の従業員の事情を考慮せず、会計制度や人事制度などを拙速に導入したため、社内混乱が生じたケースです。

 

買収企業(親会社)の担当者にとっては、自社の各制度がベストであり、被買収企業の仕組みは、前近代的で脆弱であるから早急に変更・統一すべきと考えるのはやむを得ないのかもしれません。一方で、被買収企業の従業員は、M&Aについて結果しか知らされず、驚き・戸惑いといった不安定な感情のなか、以前からの業務や顧客対応を継続しているのです。このことをしっかりと受け止め、双方が歩み寄れる計画を立案すべきでした。一部の社員の不安と不満は最高潮に達し、「これでは、これまで自分たちが大切にしてきた商品・サービスやお客さまとの信頼関係まで損なうことになる。それは、とても耐えられない」との思いから集団で離職するような事件に発展しました。

 

さらに、悪いことに、M&Aの交渉にあたってきた担当者は裏切り者扱いを受け、精神的なダメージから休職状態となってしまったのです。

 

コミュニケーションは、組織運営の基本です。誠意を持って、オープンかつ迅速に情報を共有することが重要。特にPMIの初期段階では、従業員の不安を取り除くために積極的な情報共有が不可欠です。自分たちが統合したいと考えた相手先企業や従業員の立場に立ち、まずは、信頼関係の構築に全力投球する意識を強く持ちましょう。

 

まとめ

今回は、前回に引き続き、M&A後の統合作業における失敗事例を交えて、重要なポイントを解説しました。

今回の事例から学べることは、経営統合を成功させるためには、以下のポイントを押さえる必要があるということです。

・信頼関係の構築を最優先にする

・従業員に寄り添い、不安を取り除く情報共有を徹底する

・長期的視点を忘れず、短期施策とのバランスを取る

 

M&Aはリスクを伴いますが、慎重かつ大胆な経営判断があれば、大きな成果を生み出す経営戦略です。ぜひ、本コラムを参考にしていただければ幸いです。

次は、あなたのビジネスにご一緒させてください。

 

中小企業診断士 山本哲也

失敗しないM&Aのデューデリジェンス入門(買い手の視点)

近年、M&Aを実施した後に、買収した会社の簿外債務がM&A後に発覚し巨額損失を被った事例や、法務リスクの見逃しによる訴訟問題が発生するケースも増加しています。これらの中にはデューデリジェンスの不備が原因となっているものが少なくありません。今回は、中小M&Aにおいて買い手が失敗しないためのデューデリジェンスのポイントについて考察します。

 

1.デューデリジェンスとは何か? – 基礎知識とその目的

デューデリジェンス(以下、DD)は、M&Aにおいて重要な役割を果たす調査プロセスです。売り手企業の詳細な情報を収集し、買収後のリスクを評価することが目的です。特に、中小M&Aでは、通常のM&Aと異なり、リソースが限られているため、効率的なDDが求められます。DDが不十分であると、後に予期せぬ問題が発生し、大きな損失を被る可能性があります。

DDは買い手が取引前に見落としがちなリスクを可視化し、最終的な意思決定をサポートする役割を持っています。M&Aを成功させるためには、リスクの評価と適切な対策が不可欠であり、DDはそのための重要な役割を担っています。

 

 

2.デューデリジェンスの主要な対象と役割

(1)法務DDによるリスク防止

法務DDは、売り手企業の法的なリスクを明確にするための調査です。具体的には、契約内容やコンプライアンス状況の確認、知的財産権の保護状況、訴訟リスクの有無などを調査します。例えば、契約書における不利な条件や隠れたCOC条項(注1)を見つけることで、取引後のリスクを未然に防ぐことが可能です。法務DDは、買収後の法令や権利義務に関するトラブルを防ぐための重要な役割を担っています。

 

(注1)COC条項:Change Of Control条項。M&Aなどで一方の当事者に経営権・支配権の変更・異動が発生した場合に、契約内容に制限を設けたり、もう一方の当事者によって契約解除を可能にしたりする条項を指します。

 

(2)財務DDによる企業価値の評価

財務DDは、売り手企業の財務状況を調査し、潜在的リスクを特定するための調査です。例えば、時価純資産や正常収益力の評価、簿外債務の有無などを調査します。財務DDで売り手企業の隠れた負債や資産の含み損が発覚し、取引価格の調整が必要となることがあります。さらに、企業の正常収益力やキャッシュフローの安定性を見極めることで、買収後の経営リスクを最小限に抑えることができます。財務DDは、企業の実質的な価値を見極めるための重要な役割を担っています。

 

 

3.法務DDと財務DDの評価と留意点

 

(1)法務DD評価書の基本構成とリスク管理

法務DD評価書は、契約内容や法的なリスクを正確に把握するための資料です。基本構成としては、既存の契約の有効性、知的財産の保護状況、規制への適合性、訴訟リスクなどが主要な評価項目となります。例えば、売り手企業が賃借しているオフィスの賃貸借契約にオーナーチェンジの場合の契約解除が規定されていることが法務DDで発見された場合、賃貸借契約の契約解除条項を見直すことがM&Aの前提条件として求められることになります。こうした既存の契約上のリスクを事前に明確にすることで、M&A実施後の法的なトラブルを防止することが可能になります。

 

(2)財務DD評価書の基本構成と注意点

財務DDの評価書は、買収判断を行う際の譲渡価格を決定するための重要な資料です。この評価書には、売り手企業の財務状況の分析、時価純資産や正常収益力の評価、キャッシュフローの安定性などが詳細に記載されます。例えば、財務DDにより、売り手企業の保有資産に含み損が発覚したり未払給与などの簿外債務が発覚したりした場合は、取引価格引き下げの交渉材料になります。財務DD評価書では、企業の収益性や負債のリスクを正確に把握し、企業価値評価の妥当性を検証することが求められます。財務DDによって、適切な譲渡価格の評価やM&A実施後の経営安定性を確保することができます。

 

 

4.デューデリジェンスの実施手順と譲渡契約、経営統合作業(PMI)への反映

 

(1)DDの実施手順

DDの成否は、適切な手順と進行管理にかかっています。まず、売り手企業からDDに必要となる徴求資料リストを作成し、必要な情報を事前に整理することが重要です。この段階での資料確認は、後の調査進行をスムーズにするための鍵となります。中小M&Aでは売り手企業の管理体制が不十分なため、DDに必要な資料を作成していないケースがあります。不足情報がどのようなリスクに関連しているのかを把握することが重要ですが、並行して不足資料の作成を依頼したり、作成できない場合は、現地の実査やヒアリングしたりにより補完することも選択肢となります。

 

(2)DD結果の譲渡契約への反映

また、DDにより把握したリスクを契約書の内容にも反映してコントロールすることも重要です。例えば、M&A実行時点で特定できない財務リスクがある場合には、譲渡契約にアーンアウト条項(注2)を規定して取引の安全性を確保すること方法があります。

法務リスクについては、表明保証条項(注3)の活用が有効です。特に、中小M&Aは譲渡価格が少額なため、弁護士などの専門家に法務DDを委託することが困難な場合もあります。売り手企業が、法令等に違反していないことや違反していた場合、売り手企業の経営者が買い手企業に損害賠償することなどを譲渡契約に規定してリスク対策をすることが有効な手段となります。

 

(注2)アーンアウト条項:M&A実行後、一定の期間において買収対象事業が特定の目標を達成した場合、買い手企業が売り手企業や売り手企業の株主に対して予め合意した算定方法に基づいて買収対価の一部を支払う規定である。M&A実行時に買収後の業績が不透明な場合などに買い手企業の事業リスクを抑える効果がある。

(注3)表明保証条項:譲渡契約締結時(またはM&A実行時)において、売り手企業が買い手企業に対して、事業内容が法令に違反していないことや、簿外債務・偶発債務の不存在などを表明し、かつ、その内容を保証する規定。違反した場合の損害賠償や契約の解除などが可能でリスクを抑えたり予防したりする効果がある。

 

(3)経営統合作業(PMI)への反映

さらに、DDの結果は、買収後のPMIにも影響を与えます。DDで発見されたリスクを、買収後の統合計画に反映させることで、スムーズなPMIを実現することができます。たとえば、次のようなケースが想定されます。

 

【1.製造業の事例】安全基準違反を発見し工場設備改善に反映」

売り手企業の保有する工場に、DDで安全基準の問題が発見され、買収後のPMI において最初の施策として、工場の設備改善プランを策定する

【2.IT企業の事例】データセキュリティの脆弱性を発見しセキュリティ対策強化に反映」

売り手企業のシステムに、DDでデータセキュリティの脆弱性が発見され、買収後のPMIにおいて、セキュリティ監査、脆弱性の修正、従業員向けのセキュリティトレーニングなどセキュリティ強化対策プランを策定する。

 

まとめ

DDは、M&Aの成功を左右する重要なプロセスであり、買収前にリスクを可視化し、取引後の安定した経営を実現するための手段です。適切な法務DDと財務DDの実施により、潜在的なリスクを事前に発見し、取引条件に反映させることで、買収の成功率を高めることができます。DDの結果を契約書やPMIに反映させることで、買収後のリスクを最小限に抑え、成功を確実にすることが可能です。買い手企業としては、DDに関する最小限の知見を備えた上で、外部の専門家のサポートを活用することで、より安心してM&Aに取組むことが可能になるといえるでしょう。

 

 

アナタの財務部長合同会社 代表社員 伊藤一彦(中小企業診断士)

 

 

 

 

 

M&A取引において売り手に説明義務はあるか

取引としてのM&Aに存在する買い手のリスク

M&Aにおいては、さまざまなリスクがあります。このうち、M&Aを取引としてみた場合は、「M&Aの対象となる事業(以下本稿において「対象事業」といいます。)が想定していた内容と違った」・「対象事業におけるそのような事情は聴いていなかった」というのが買い手にとってもっとも典型的なリスクではないでしょうか。

もちろん、買い手は、対象事業について、事業面、財務面、法務面等の各側面からデューディリジェンスを行うなどして対象事業の内容の把握に努めるのが一般的です。しかしながら、デューディリジェンスが極めて短期間で行われるものであることなどから、買い手が対象事業の内容を完全に把握することが容易でないことも少なくありません。

 

売り手が買主に対して負う説明義務の内容

この点について、しばしば「売り手から十分な説明がなかったために、想定外の不利益な内容が含まれる契約をしてしまった。」という相談を受けます。

例えば、不動産取引において、宅建業者が不動産を売却する際には、法律上説明義務を負っています(宅建業法第35条参照)。では、M&Aにおいて売り手は買い手に対して、対象事業に関する説明義務を負うのでしょうか。

この点について参考となるのが、売り手が真実は債務超過であったにもかかわらず、不当に高い価格で株式を買い取らせたとして買い手が売り手に対して株式購入代金に相当する額の損害賠償を請求した事案です(大阪地判平成20年7月11日判時2017号154頁)。

この判決の事案では、売り手に「売買契約において、売主が買主に対し、目的物の性状や価値について虚偽の説明をしてはならず、その意味における説明義務(消極的な説明義務)を負う」としました。

しかし、消極的な説明義務のほか、買い手の判断に影響を及ぼすと考えられる目的物についての情報を自ら積極的に開示すべき義務(積極的な説明義務)については、「購入の是非や条件を判断するのに必要な目的物に関する情報の内容や、買主が当該情報を自ら保有し又は調査によって獲得することが可能かなどの諸事情を考慮して、契約の類型ごとに判断すべきものと解される」として、常に負うわけではないとしました。

そして、買い手は「事前に、被買収企業の法的問題点、資産価値や収益力、将来性等を評価した上で、当該会社を買収することが自らにとって利益となるか否かや、買収のために拠出する資金の額等を判断することが必要であり、その交渉においては、買収企業による被買収企業についての調査が当然予定されている」としました。

そのうえで、買い手が「東証一部に上場する企業であり、…財務状況等の調査を行うだけの十分な能力を備えていた」ことを根拠に買い手が積極的な説明義務を負うことを否定し、損害賠償請求も認容されませんでした。

このほか企業買収において資本・業務提携契約が締結される場合、企業は相互に対等な当事者として契約を締結するのが通常であるから、特段の事情がない限り、相手方に情報提供義務や説明義務を負わせることはできないとした裁判例もあります(東京地判平成19年9月27日判タ1255号313頁)。

このように、裁判例では、原則として売り手には積極的な説明義務を負うことはないと考えられていることがうかがえます(なお、裁判例のなかには売り手に積極的な説明義務があり、当該義務に違反したとしたものがあります(東京地判平成15年1月17日判時1823号82頁)。これは、売り手の説明により買い手に事実と異なる認識を生じさせたにも関わらず、これを是正しなかったというもので、やや特殊な事案であるといえます。)。

 

買い手にはどのような対応が求められるか

裁判例で売り手に積極的な説明義務がないとされるのは、M&A取引が企業同士という、いわば対等な当事者間の取引であるというところにあると思われます。

具体的には、売り手は買い手の調査に誠実に対応し、求められた事項について正確な情報を開示するなど可能な限り買い手の調査に協力すべき義務を負い、かつそれで足りる一方で、買い手としても売り手が調査に協力しなかったり、調査の結果問題が判明したりする場合には、M&Aをやめるという選択肢があることです。要するにM&Aには、私的自治の原則が広く妥当するということなのでしょう。

買い手としては、売り手の説明を鵜呑みにするのではなく、常に「その説明の根拠は何か」、「その説明に矛盾点はないか」と多面的に検討することが求められるだけでなく、限られた時間であっても、丁寧なデューディリジェンスを行うことやデューディリジェンスでカバーできないところは表明保証を行うなどの対応をすることがリスクマネジメントとして望ましいのではないでしょうか(なお、表明保証が万能ではないことについては、拙稿「本当はこわい表明保証条項」(https://stella-consulting.jp/archives/577)もご参照ください。)。

また、訴訟となった場合、契約書に書いてあることと異なる内容の合意があったことや契約書に規定していないことについて合意があったことを立証することは、非常に困難であることが通例です。したがって、買い手と売り手の交渉の際に売り手から口頭で提示があった取引の条件についても、口頭で済ませるのではなく、契約書に特約として明確に規定しておくということも重要であると考えます。

 

弁護士・中小企業診断士 武田 宗久

M&A取引において売り手に説明義務はあるか

取引としてのM&Aに存在する買い手のリスク

M&Aにおいては、さまざまなリスクがあります。このうち、M&Aを取引としてみた場合は、「M&Aの対象となる事業(以下本稿において「対象事業」といいます。)が想定していた内容と違った」・「対象事業におけるそのような事情は聴いていなかった」というのが買い手にとってもっとも典型的なリスクではないでしょうか。

もちろん、買い手は、対象事業について、事業面、財務面、法務面等の各側面からデューディリジェンスを行うなどして対象事業の内容の把握に努めるのが一般的です。しかしながら、デューディリジェンスが極めて短期間で行われるものであることなどから、買い手が対象事業の内容を完全に把握することが容易でないことも少なくありません。

 

売り手が買主に対して負う説明義務の内容

この点について、しばしば「売り手から十分な説明がなかったために、想定外の不利益な内容が含まれる契約をしてしまった。」という相談を受けます。

例えば、不動産取引において、宅建業者が不動産を売却する際には、法律上説明義務を負っています(宅建業法第35条参照)。では、M&Aにおいて売り手は買い手に対して、対象事業に関する説明義務を負うのでしょうか。

この点について参考となるのが、売り手が真実は債務超過であったにもかかわらず、不当に高い価格で株式を買い取らせたとして買い手が売り手に対して株式購入代金に相当する額の損害賠償を請求した事案です(大阪地判平成20年7月11日判時2017号154頁)。

この判決の事案では、売り手に「売買契約において、売主が買主に対し、目的物の性状や価値について虚偽の説明をしてはならず、その意味における説明義務(消極的な説明義務)を負う」としました。

しかし、消極的な説明義務のほか、買い手の判断に影響を及ぼすと考えられる目的物についての情報を自ら積極的に開示すべき義務(積極的な説明義務)については、「購入の是非や条件を判断するのに必要な目的物に関する情報の内容や、買主が当該情報を自ら保有し又は調査によって獲得することが可能かなどの諸事情を考慮して、契約の類型ごとに判断すべきものと解される」として、常に負うわけではないとしました。

そのうえで、買い手は「事前に、被買収企業の法的問題点、資産価値や収益力、将来性等を評価した上で、当該会社を買収することが自らにとって利益となるか否かや、買収のために拠出する資金の額等を判断することが必要であり、その交渉においては、買収企業による被買収企業についての調査が当然予定されている」なかで、買い手が「東証一部に上場する企業であり、…財務状況等の調査を行うだけの十分な能力を備えていた」ことを根拠に買い手が積極的な説明義務を負うことを否定し、損害賠償請求も認容されませんでした。

このほか企業買収において資本・業務提携契約が締結される場合、企業は相互に対等な当事者として契約を締結するのが通常であるから、特段の事情がない限り、相手方に情報提供義務や説明義務を負わせることはできないとした裁判例もあります(東京地判平成19年9月27日判タ1255号313頁)。

このように、裁判例では、原則として売り手には積極的な説明義務を負うことはないと考えられていることがうかがえます(なお、裁判例のなかには売り手に積極的な説明義務があり、当該義務に違反したとしたものがあります(東京地判平成15年1月17日判時1823号82頁)。これは、売り手の説明により買い手に事実と異なる認識を生じさせたにも関わらず、これを是正しなかったというもので、やや特殊な事案であるといえます。)。

 

買い手にはどのような対応が求められるか

裁判例で売り手に積極的な説明義務がないとされるのは、M&A取引が企業同士という、いわば対等な当事者間の取引であるというところにあると思われます。

具体的には、売り手は買い手の調査に誠実に対応し、求められた事項について正確な情報を開示するなど可能な限り買い手の調査に協力すべき義務を負い、かつそれで足りる一方で、買い手としても売り手が調査に協力しなかったり、調査の結果問題が判明したりする場合には、M&Aをやめるという選択肢があることです。要するにM&Aには、私的自治の原則が広く妥当するということなのでしょう。

買い手としては、売り手の説明を鵜呑みにするのではなく、常に「その説明の根拠は何か」、「その説明に矛盾点はないか」と多面的に検討することが求められるだけでなく、限られた時間であっても、丁寧なデューディリジェンスを行うことやデューディリジェンスでカバーできないところは表明保証を行うなどの対応をすることがリスクマネジメントとして望ましいのではないでしょうか。

また、訴訟となった場合、契約書に書いてあることと異なる内容の合意があったことや契約書に規定していないことについて合意があったことを立証することは、非常に困難であることが通例です。したがって、買い手と売り手の交渉の際に売り手から口頭で提示があった取引の条件についても、口頭で済ませるのではなく、契約書に特約として明確に規定しておくということも重要であると考えます。

 

弁護士・中小企業診断士 武田 宗久

 

デューデリジェンスを成功させるポイント その6(人事DD)

デューデリジェンス(DD)は、M&A取引において非常に重要な手続きで、取引の成否を左右する要素です。今回は、M&Aの山場である”デューデリジェンス(DD)”について、それぞれの分野ごとの留意点について、いつものとおり、M&A新任担当者のツナグと一緒に学んでいきたいと思います。

ツナグ:今回は、人事DDのお話だけど。ここが一番やっかいというか、たいへんだなって感じているんだ。だって、「企業は人なり」っていう有名な格言があるくらいだから。慎重にしなきゃいけないでしょ?苦手なんだよね・・・。

 

人事DDの留意点

確かに、ツナグさんの言う通りですね。とても重大なフェーズであることは間違いありません。なぜなら、これまでの買収先の業績を支えてきた、大切な人材ですからね。そして、これから私たちと一緒に、これまで以上の力を発揮していただきたいわけですから。

ただ、一方で、人事DDは非常に広範なため、優先順位を設定して、範囲を限定しリスクをとる姿勢も大切になります。たとえば、他のDD結果の分析などから発生確率が高いと思われる分野かつハイリスクなテーマや合併の戦略的目標に直結するテーマに焦点を当てて、優先的に取り組むことが考えられます。逆に言うと、調査コストとリスクの大きさを比較検討した上で調査範囲を決定することも必要と言えます。
また、全ての情報を一度に集めようとするのではなく、段階を踏んで情報を収集します。初期段階での高レベルの分析から始め、必要に応じてさらに詳細な調査に進むという方法です。

 

人事DDの代表的な調査テーマ

人事DDの一般的な範囲は、以下の通りですが、特に、将来の業績見通しに直結するような賃金制度、残業代や社会保険料未払い分の支払いなど、臨時の支出発生など財務面には十分注意してください。また、労働関連法規や契約違反、契約不備など法的なリスクについては、法令違反、罰金、賠償、ブランド毀損などの恐れがありますので、見落とさないよう、優先度を上げた対応が必要です。

 

・人員構成や人件費

部門ごとの従業員の人数、年齢、性別、勤続年数、職務内容、労働条件を詳細に把握します。給与については、その内訳や水準、支給ルールについて調査します。退職金制度や福利厚生(健康保険組合、厚生年金基金を含む)などの給与以外についてももれなく行います。また、役員退職慰労金制度や役員の生命保険加入状況、残業代の未払いやパートの社会保険未加入問題などへの注意が必要です。
特に、労働条件については、経営統合後の調整業務が避けて通れないテーマになる可能性が大きいテーマですので、その違いの把握はしっかり行いましょう。

・組織構造と職務権限について

組織構造、各組織の職務権限、職務分掌について確認します。組織図と実際の業務運営が一致していないケースも見受けられますので、直接ヒアリングなども必要に応じて実施します。例えば、小さな組織では、指揮命令系統や職務分担があいまいなことも多く、改善作業が必要になることがあります。
さらに、統合作業や統合後のシナジーの実現にかかわるキーパーソンについては、特に把握しておきたいポイントです。売り手企業の従業員さんのモチベーションや退職意向など、本人はもとより、周辺からの聞き取りなども慎重に行うようにしましょう。

・労使関係

労働組合の有無や加入状況はもとより、過去の労使交渉の記録など。統合作業中、統合後の経営への影響を把握してください。また、労働協約や労使問協定についても漏らさず確認しましょう。

 

専門家やITの活用

人事DDについては、他のDDに比べて、いろいろな面で専門性が高く、繊細なテーマですので、専門家との連携は不可欠とお考え下さい。例えば、労働関連法規に関する内容については、労働分野を専門とする弁護士や社会保険労務士が適任でしょう。また、給与、退職金、年金などの計算については、社会保険労務士や会計士へ依頼することが検討できます。

加えて、従業員数が多いケースでは、クラウドサービスなどを活用することも検討してください。情報の一元化および、迅速な分析が可能になります。現状の把握だけではなく、今後の人件費推移などの予測にも非常に役立つサービスが提供されています。もし、自社で活用しているサービスがなければ、これを機会に導入することも検討すべきです。

 

まとめ

今回は、人事DDに絞ってツナグと一緒に学びました。人事DDでは、上述の通り、内容によっては、一定程度過去に遡ることも、未来を予測することも必要なため、その調査・分析範囲は膨大です。ポイントは、優先度の高いところから、順に調査すること、そして、許容できるリスクの大きさや種類について、あらかじめ、検討・設定しておくことです。
なんらかのリスクが見つかった場合の対応策については、次回、ツナグも交えて、一緒に学びたいと思います。引き続きよろしくお願いいたします。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。次は、あなたのビジネスにご一緒させてください。

中小企業診断士 山本哲也

M&Aの目的達成に不可欠なPMI

M&Aの成立はゴールではなくスタート

買い手にとって、M&Aが成立してもそれだけでは安心することはできません。なぜならば、仮に問題なくM&Aが成立したとしても、M&Aにあたって買い手が検討していた目的を達成するためには、自社と売り手とをどのようにして統合していくのかが問題となるからです。

そして、買い手が売り手の企業をどのようにして統合していくのかはM&Aが成立してから検討するのでは遅きに失し、むしろM&Aが成立するに至る過程において検討すべき課題であるともいえます。

この点に関し、今回はPMIを取り上げたいと思います。

 

PMIとは

PMI(POST MERGER INTEGRATION)とは、一般に、買収や合併といったM&Aの実行後に生じるシナジー効果により企業価値を最大限に向上させることを目的とする統合プロセス全体を意味します。

例えば、買い手が示した今後の経営の方向性が売り手のこれまでの事業の進め方をいたずらに否定するものであったため、従業員が不安に思い大量離職が生じてしまったり、取引先と取引条件について改善をしようと交渉を試みるものの、これまでの経緯を売り手経営者から十分に確認していなかったため交渉が難航したりするということが、往々にして起こりがちです。これらのような事態は、PMIが不適切であったことに起因するものと考えられます。

 

PMIはどのようにして進めていくのか

PMIの開始時期については、M&Aの成果を感じている買い手ほど、基本合意の締結やDDを実施している期間といった早期の段階でPMIを視野に入れた検討に着手している傾向があるとの指摘があります。M&Aをするかどうかの検討を買い手が行う際にM&A後の体制について検討を行うことはある意味自然なことともいえます。

PMIにあたって検討すべき要素としておおむね以下のようなものを挙げることができます。

 

① 経営統合

理念・戦略やマネジメントフレームを統合することです。そのためには、まず何のためにM&Aするのかを見える化し、関係者に対して具体的に説明できるようにすることが必要となってきます。

M&Aにより今後進めていきたい経営の方向性を売り手の関係者はもちろんのこと自社内外の関係者に伝えることができれば、信頼関係を構築することにつながっていきます。

② 信頼関係構築

売り手の現経営者や従業員のほか、取引先との信頼関係をいかにして構築していくのかということです。

売り手の現経営者に対しては、第一にこれまでの経営方針や取組等について否定するのではなく傾聴し、これまでの路線を踏襲・深化・発展させて行くことを表明するなど、これまでの努力や感情を損なわないようなコミュニケーションを心がけることが重要であるといえます。そのうえで、売り手経営者の処遇(引継期間における役職・役割、報酬、在籍期間等)について、引継期間などは柔軟な対応をする余地を残しつつも覚書などを作成して明確にします。

売り手の従業員に対しても、これまでを否定するのではなくM&Aによりさらに発展させることを伝えるとともに、売り手経営者と買い手経営者が同席した説明会を行い、M&Aに至った経緯や従業員に対する売り手経営者の感謝や買い手経営者による今後の経営の方向性や従業員の処遇などを丁寧に説明することなどが考えられます。

取引先についても、売り手が行っている取引について、取引先の信頼を得て取引を継続することが重要になるため、基本的には現経営者や従業員と同様のアプローチとなりますが、信用不安を生じさせることがないように、そのタイミングについては慎重を期す必要があります。具体的には、M&A成立前において継続する取引の取引条件等を正確に把握(特にチェンジオブコントロール条項などには注意が必要です。)したうえで、M&A成立直後に速やかに売り手と買い手経営者があいさつ回りを行うというイメージとなろうかと思います。

③ 業務統合

売り手からの業務の引継については、DDや現経営者からの聞き取りを通じて業務の現状を把握しM&A成立後に改善すべき点を明確にします。改善すべき点を把握するにあたっては、売り手経営者や一部の従業員のみに属人化している業務があることや、業務に関する規程や帳票等が存在か存在していても形骸化していることがあることにも留意する必要があります。

 

買い手経営者だけでなく支援専門家も意識すべきPMI

今回はPMIのごく基本的な内容について解説をしました。M&Aに関与する専門家からすると、これまではM&Aの成立後を具体的に意識するという場面は必ずしも多くはなかったのではないでしょうか。その意味では、PMIの視点は買い手経営者だけではなくM&Aを支援する専門家にとっても重要なものといえます。

 

弁護士・中小企業診断士 武田 宗久

スモールM&Aと「売り手」の情報管理上の留意点

M&Aを進める上で重要なポイントの1つに「情報管理」があります。特に、スモールM&Aの場合、売り手は中小企業や個人事業主であるため、大企業のような情報管理の体制整備がなされていないことが多いようです。情報漏洩は、順調に進捗していたM&Aの交渉が破談になるなどの影響が生じるばかりでなく、従業員の離職や顧客との取引停止など、日常業務における情報漏洩以上に事業に与える影響が甚大になるリスクがあります。

今回は、売り手が中小企業や個人事業主のケースM&Aにおける情報管理について、留意すべき点を考察していきましょう。

 

1.売り手情報はM&Aの成否を決める重要ファクター

スモールM&Aにおける情報の発信源は、基本的に売り手です。買い手も「こういう企業、事業を買いたい」という情報を発信していることもありますが、特定の会社・事業ではなく、買い手の事業展開に資するような事業内容であったり、その事業規模であったり、M&A対象先の「目線」を指示していることが多いようです。

ところが売り手のM&A情報は、“売り物”が自社であるため、自社の役員や従業員などの“身内”はもとより、株主や顧客などのステークホルダーにとっても、“売りたい”という情報自体が関係者に重要な意味を持ちます。適切なタイミングで適切な内容を伝えないと、関係者に重大な不安や動揺を生じさせることになるのです。役員・従業員の離職、顧客との取引見直しなどが生じると、M&Aの譲渡価格が下落したり、場合によっては売り手の信用が失われたりして、M&Aを断念せざるを得ないような事態が生じることもあります。

 

2.M&Aのプロセス毎に必要な情報管理

売り手はどのような場面で情報漏洩リスクを抱えているのでしょうか。M&Aの流れに沿ってみていきましょう。

(1)M&Aの意思決定

中小企業は、M&Aによる第三者承継をしたいと考えても身近な相談相手がおらず、経営者1人で意思決定しなければならないケースが少なくありません。しかし、自分1人では不安なため、付き合いのある税理士や商工会議所の相談員、取引銀行など、具体的にどのようなステップで対応すればよいのか相談します。士業や銀行などは守秘義務を負う相手のため、安心して相談できますが、その際、相談内容をうっかり、家族や近親者に話したり、電話やオンライン会議を社内の役職員に聞こえてしまうようなところで話したりするのはリスクがあります。

(2)M&Aの仲介者・FA等との契約

仲介契約・FA契約を締結する際に、秘密保持条項が設けられているか確認しましょう。秘密保持条項には、①何が秘密情報なのか、②秘密情報を開示してもよい相手先、③秘密保持義務を負う期間が記載されています。開示してもよい相手先については事業承継・引継ぎ支援センターなどの公的機関や弁護士・税理士・中小企業診断士などの士業に提供先が限定されていることが重要です。これらの守秘義務を負う専門家以外が記載されているような場合には、その経路で情報が漏洩するリスクがあるので、注意が必要です。

また、仲介会社やFAには営業時間中に会社に頻繁に来訪したりしないように促すことが必要です。M&Aの関係者がしきりに経営者宛に来社していると、M&Aを検討していることが役職員に漏れてしまうこともあるのです。

(3)M&Aプラットフォームの活用

近年はバトンズなどのM&Aプラットフォームの活用により、買い手の発掘が従来以上に効率的に行うことができるようになっています。しかし、プラットフォーム上に開示する情報の内容には十分注意しましょう。

ノンネームシートといって社名は開示されない状態で買い手にはM&Aの条件が見えるようになっていますが、商品・サービス名、顧客や仕入れ先の状況などから売り手が特定されてしまう可能性もあります。M&A情報を丁寧に入力することも必要ですが、ノンネームシート段階では興味を引くレベルにとどめるように工夫しましょう。経験豊富な仲介業者・FAであればこうした相談に応じてくれますし、商工会議所の無料相談などにアドバイスを求めてもよいでしょう。

(4)買い手との交渉

買い手の企業が、売り手のノンネームシートを見て関心を示し、具体的な交渉に入る際に秘密保持契約を締結します。この際には、仲介契約やFA契約を締結したときと同様に、秘密保持義務の条件について内容の確認が必要となります。特に、基本合意書などを売り手-買い手間で締結した場合、その後、事業内容や財務内容のデューデリジェンス(以下、DDという。)を行います。DDでは買い手の事業情報や財務情報を漏れなく開示することになるため、この時点での情報管理は非常に重要です。情報は電子データで渡すことが多いと思いますが、ファイルの誤送信の防止や万が一に備えたパスワードやアクセス権の設定など、第三者に拡散しないよう、念には念を入れた対策が必要です。

(5)クロージング

クロージングでは売り手-買い手間で譲渡契約を締結します。重要なのは、クロージング前に譲渡条件が漏洩してしまうことです。近年、契約書は電子署名による契約、従来ながらの紙媒体による締結いずれもありますが、それぞれ、異なる形での漏洩リスクをはらんでいます。

電子署名による契約の場合、締結前に譲渡金額や譲渡日など取引条件が記載された契約書のドラフトを売り手-買い手間で何度もメールや情報共有フォルダなどでやりとりします。この時に宛先相違があったり、共有フォルダにアクセス権設定が不十分であったりすると意図せぬ情報漏洩が発生してしまいます。一方、紙媒体の場合にも、郵送先が経営者でなく、会社の総務部あてに送って開封されてしまうと社内に漏洩してしまうことになりかねません。

基本合意書締結後に売り手の重大な過失による情報漏洩によりM&Aが破談になるような場合、買い手から損害賠償請求される可能性もあるので、この時点での情報漏洩については特に注意する必要があります。

 

3.売り手経営者の情報管理上の留意点

(1)M&Aの実務担当者を特定し情報遮断する

M&Aのプロセス毎の情報漏洩リスクについてみてきましたが、中小企業の経営者は常に人材不足の状態の中で日常業務をしつつ、並行してM&A準備に対応する必要があるため情報管理を1人で行うのは非常に困難です。M&Aの際にまず、M&Aの情報を共有してよい実務責任者を特定し、管理負担を抱え込まないようにすることが肝要です。

(2)M&Aプロセスの進捗度に応じた情報共有範囲の見直し

M&Aでは情報共有範囲を極力限定することが望ましいですが、検討状況や交渉状況の進捗度に応じて、情報共有すべき対象が拡大していきます。契約締結やDDの実施ということになれば、関連部署に資料やデータの指示をすることも必要になるからです。誰と情報を共有する必要があるのか優先順位を決めて、計画的に情報共有範囲を見直していくことが重要です。

(3)会社や自宅とは別の場所を物理的に確保する

M&A情報は外部の第三者だけでなく、自社の役職員や家族にも知らせることなく進めることが必要です。会社の応接や自宅で買い手や仲介者と面談をしていたのでは情報が漏洩しなくても、関係者の憶測によりM&Aが妨害されてしまうこともあるからです。マンションの一室など別の場所を確保して、面談やM&A関連資料の保管を行う企業もしばしば見受けられます。

 

4.公的機関や士業専門家を活用しよう

売り手経営者は、孤独な環境で意思決定をしなければなりません。情報管理面を考慮するとなおさら相談できる相手先は限られてきます。その点、公的機関や士業専門家は法令上の守秘義務を負っている上、低コストかつ中立的で客観的な立場から経営者をサポートしてくれることが期待されます。

M&Aによる第三者承継を検討している中小企業の経営者の方々は、早期の検討段階では先ずは、事業承継・引継ぎ支援センターのような公的機関や士業専門家などに相談するところから始めてみてはいかがでしょうか。

 

アナタの財務部長合同会社 代表社員 伊藤一彦(中小企業診断士)

LBOのメリット・デメリット

M&Aの資金をどのようにして調達するか

いうまでもなく、M&Aには多額の資金が必要となります。M&Aのための資金調達方法としては、さまざまなものがありますが、今回はLBOについて取り上げたいと思います。

LBOとは、買い手が売り手の資産などを担保として金融機関から融資を受けることによってM&Aを行う方法をいいます。売り手の資産を担保とするということは要するに、M&Aを行うために行う借り入れなどの債務の責任を買い手ではなく売り手に負担させるということを意味します。逆に言えば、買い手はわずかな手持ち資金でM&Aを行うことが可能な方法であるともいえます。

LBOとは、「Leveraged Buyout」の略語です。「Leveraged」とは、小さな力で大きな力を生み出すことができるという「てこの原理」を意味するのですが、買い手がわずかな資金でM&Aという大きな買い物ができることをよく表しているということができます。

 

具体的なLBOのスキーム

LBOは、具体的には以下のような流れで行われます。

まず、実質的な買い手は、当該M&Aの買い手となることのみを目的とする会社を設立します(このような特定の目的のためのみに設立する会社のことを特別目的会社(SPC)といいます。)。

このSPCはM&Aの買い手となることのみを目的としている以上、ある種ただの権利義務の「箱」に過ぎません。この「箱」に金融機関などから調達した資金を入れ、M&Aを実行します。M&Aの実行により買い手であるSPCは、売り手の100%親会社になる一方、金融機関から多額の債務を負っている状態になります。

そして、その後にSPCと売り手を合併するのです。そうすることで、SPCの株主である実質的な買い手が売り手の株主となるとともに、SPCが負っていた多額の債務は売り手に承継されます。このため、売り手はSPCが負っていた債務の返済を行うことになるのです。しかも、売り手の資産は担保に入っていますので、売り手としてはSPCが負っていた債務を優先的に弁済することが求められます。

 

LBOにはどのようなメリットがあるか

LBOの流れからも明らかなように、LBOにおいてはM&Aのために調達した資金について直接債務を負うのは、買い手ではなく、売り手となっています。この点で、買い手には負担が少ないというのがLBOのメリットであるといえるでしょう。

すなわち、LBOでは、買い手は少ない資金で自己よりも大きな企業のM&Aを行うことが可能ですし、返済リスクを負うことも基本的にはありません。

また、LBOでは売り手側にとってもメリットがないわけではありません。LBOの場合、SPCが株式を取得するため、適正レベルの株価よりも高い金額を提示します。したがって、売り手の株主は、保有している株式の売却により多くの売却益を獲得することが可能となるのです。

 

LBOのデメリット

LBOにもデメリットはありますが、デメリットはメリットの裏返しともいえるかもしれません。すなわち、一般的なM&Aでは買い手がM&Aのための債務を負いますが、LBOは売り手が多額の債務を負担してしまいます。本来は優良企業であるはずの売り手がLBOによって多額の債務を負担することになります(しかも、優良企業で企業価値が高い売り手ほどM&Aに多額の資金が必要となるため、売り手が負う債務が多額になるというパラドックスがあります。)。

そのうえ、当該債務を優先的に返済していかなければならないため、売り手の本来事業が相当に好調で、十分なキャッシュフローがある必要があるのです。

 

従業員による事業承継にも用いられるLBO

メリットもデメリットもあるLBOですが、従業員による事業承継の方法として用いられる場合もあります。従業員はサラリーマンですので、企業の株式を取得することができるだけの資金を調達することが難しいことが少なくありません。このような場合に、LBOを用いることで、従業員が企業のオーナーとなることができるのです(このようなものを、従業員による企業買収(EBO Employee Buyout)ともいいます。)

従業員が企業を引き継ぐと決心した場合は、LBOによって企業が負った債務を返済するという覚悟がある場合が多いでしょうし、そもそも、従来の経営方針や社風なども維持されるため、大きな混乱が生じる可能性も低いといえるでしょう。

このことからも、LBOは、従業員による事業承継の方法として、大いに検討の余地があるのかもしれません。

 

弁護士・中小企業診断士 武田 宗久

事業再生にも使える特定調停③

日弁連スキームによる特定調停を用いる場合の事前準備

今回は、実際に日弁連スキームによる特定調停がどのようにして進められていくのかについて解説します(日弁スキームのフローについてはhttps://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/activity/resolution/chusho/tokutei_chotei/tebiki_1-10.pdf をご参照ください。)。

特定調停にかかわらず、一般に調停とは、訴訟とは異なり当事者の合意を基本とする手続です。そして、特に、日弁連スキームの場合は、再生計画案に対する金融機関の同意が事前に見込まれている場合に用いられることが想定されています。

したがって、特定調停の申立ての前に各金融機関に対し、再生計画案を示して意見交換し、同意の見込みを得ておくことが必要になります(なお、ここにいう「同意の見込み」とは、金融機関の支店の担当者レベルの同意は得られており、最終決裁権者の同意が得られる見込みがある等の状況を言います。また、積極的に同意をするわけではないが、あえて反対もしないという消極的な同意もここにいう同意に含まれます。

 

金融機関との協議

再生計画案の作成とともに、メインバンクその他の金融機関に対し現状と方針を説明し、再生への協力、返済猶予などの申入れを行います。

金融機関に対しては、事業を廃業すれば従業員の雇用や取引先・得意先関係が失われてしまうこと、自社のみによる経営改善や資産売却で債務を解消することが困難であること、事業者の主たる債務(保証人が要る場合は保証債務も含む。)について、破産手続による配当よりも多くの回収を得られる見込みがある債権者にとっても経済的な合理性が期待できることなどを説明し、理解を求めます。そして、金融機関への説明の方法としては、場合によっては、すべての金融機関が一堂に会するバンクミーティングによることもありえます。

 

再生計画案の作成

金融機関との意見交換を経つつ、DDを実施したうえで、再生計画案を策定していきます。再生計画案を策定することは、弁護士だけでは困難であり、税理士、公認会計士、中小企業診断士と協力して策定していくことになります。

具体的に事業再生計画に記載すべき事項としては以下のようなものがあります。

① 事業者の概要

② 財産の状況

③ 経営が困難になった原因

④ 事業改善の具体的内容・方針

⑤ 財産状況及び資金繰りの見通し

⑥ 事業者の弁済計画

⑦ 対象債権者に対して要請する主たる債務の減免、期限の猶予その他の権利変更の内容

上記の内容のほか、金融機関に対して債権放棄等(実質的な債権放棄及び債務の株式化(DES)を含む。)を求める再生計画を策定する場合は、役員の退任のほか、役員報酬の削減、貸付金の放棄、株式割合の減少などの経営者責任を明確化することや株式の全部又は一部の消滅等の株主責任の明確化も記載することが必要になります。

 

信用保証協会が債権者である際に注意すべき点

ところで、債権者の中に信用保証協会が含まれていることがあります。信用保証協会とは、中小企業・小規模事業者の金金融円滑化のために設立された公的な機関です。公的な機関であるがゆえにほかの金融機関とは異なる注意点がいくつかあります。

まず、信用保証協会は、財産目録や弁済計画の策定に当たって、外部専門家の税理士や公認会計士の関与が求められているため、税理士や公認会計士などに協力を依頼する場合は、信用保証協会と事前の調整をしておかなければ、信用保証協会から外部専門家として認められないという事態になりかねません。

また、信用保証協会においては、実態債務超過を何年で解消する計画になるのかなど、求償権放棄の数値基準があるようですので、当該基準に適合する計画となっているのか、担当者との間で十分な事前調整を行うことが信用保証協会からの同意を得るためには重要になっているといえます。

このほか、信用保証協会においては、事業者と保証人との一体整理を原則としていること、求償権放棄には日本政策金融公庫との調整が必要であること、などの特徴もあります。

 

特定調停の申立て

金融機関の同意が見込める状況になると、裁判所に特定調停を申し立てます。日弁連スキームでは、主に中小企業を想定していますので、裁判所とは、地方裁判所ではなく、簡易裁判所(専門性を有する調停委員確保の観点から、本庁所在地に併設されている簡易裁判所)が想定されています。

既に金融機関の同意が見込める状態での申立てとなりますので、調停期日は基本的には1~2回で調停成立又は17条決定により終結することを想定しています(仮に、1~2回の期日で終結できないのであれば、そもそも日弁連スキームによる事業再生になじまないものであるともいえます。)。

 

簡易迅速に、しかし、公正かつ妥当な事業再生

日弁連スキームは法的再生手続に比べ簡易迅速であるうえ、裁判所を介する点で公正かつ妥当な事業再生の方法であるといえます。民事再生手続はハードルが高いが私的整理では公正性に問題が生じうるといった中小企業の次号再生においては日弁連スキームを活用するのも一つの方法であるかもしれません。

なお、日弁連スキームによる中小企業の再生計画策定については、経営改善計画策定支援事業(通常枠)の対象となります(補助対象の経費 ①DD・計画策定支援費用(上限200万円)、②伴走支援費用(上限100万円))。

 

弁護士・中小企業診断士 武田 宗久

 

ちょっと待って!M&Aに潜む労務リスク

1.M&A後に顕在化する労務問題

2023年8月、親会社であるセブン&アイ・ホールディングスによるそごう・西武の米国投資ファンドへの売却について、そごう・西武の労働組合が会社売却に反対してストライキを行ったのは記憶に新しいでしょう。M&Aの際の労務管理がいかに重要であるかがクローズアップされた事件でした。

しかし、M&Aにおける労務面の課題は労働組合対策ばかりではありません。

むしろ、中小M&Aでは、上場会社のように会計監査や情報開示が不徹底な分、M&A後に顕在化する課題が多くあるのです。

今回は、買い手企業の立場から、M&Aの際に留意すべき労務課題について考察していきたいと思います。

 

2.M&A手法によって異なる労務リスク

中小M&Aではどのような労務リスクが課題となっているのでしょうか。件数の多い株式譲渡と事業譲渡を中心に、会社法上の組織再編行為によるM&Aについて労務リスクの特徴を見ていきましょう。

 

(1)株式譲渡

株式譲渡によるM&Aの場合、売り手企業(労働契約の主体である使用者)と従業員の間の権利義務関係に変更はないため、M&A前の労働契約は、原則としてそのまま継続します。

そのため、雇用関係の視点では直ちに問題が発生することはありませんが、M&A前に、未払い賃金(含む残業代)などの偶発債務や、従業員からの訴訟による損害賠償請求などがあった場合には、買い手企業は買収した企業を経由して、その関係を承継してしまうことになるのです。

 

(2)事業譲渡

事業譲渡によるM&Aの場合、労働契約の承継に従業員の個別の「承諾」が必要になります。つまり、売り手企業の経営陣と合意したからといって従業員も自動的に承継できるわけではないのです。事業に従事してもらう必要がある従業員に対して、M&A後の労働条件について事前に十分に説明し納得してもらう必要があるのです。

また、一方、売り手企業との間で労働問題があったとしても、原則、売り手企業との間で処理してもらうことになるため、労務リスクについて、十分事前調査を行えない場合には、有力なM&A手法になります。

 

(3)会社分割・合併(組織再編)の場合

会社分割によるM&Aの場合、「労働契約承継法」が定める手続に従って対応する必要があります。同法により、売り手企業の事業に係る権利義務(全部または一部)が買い手企業に包括的に承継されるため、M&A前の労働条件もそのまま買い手企業に承継されます。

したがって、株式譲渡の場合と同様に、未払い賃金や訴訟による損害賠償などの偶発債務が買い手企業に承継されてしまうことに留意が必要です。また、M&A後に買い手企業が労働条件を変更しようとする場合、労働条件の不利益変更とならないよう注意することも必要です。(*厚労省の指針を参照ください)

*「分割会社及び承継会社等が講ずべき当該分割会社が締結している労働契約及び労働協約の承継に関する措置の適切な実施を図るための指針」

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/0000141999.pdf

 

合併によるM&Aの場合も、売り手企業の権利義務の全部が買い手企業に包括的に承継されるため、会社分割の場合と同様にM&A前の労働条件もそのまま買い手企業に承継されます。

偶発債務の問題や労働条件の不利益変更に該当するリスクなど留意することが必要です。

 

3.労務DD(Due Diligence)や表明保証条項等によるリスクヘッジの重要性

このように、M&Aの形態により留意すべき労務リスクは異なりますが、予防的な対策をとることが何より重要です。M&A後に、労務課題は発覚してからでは打てる対策が限られてしまいます。代表的なものとして、次のようなリスクヘッジ手法があります。

 

(1)労務DDによるリスクヘッジ

M&A前の交渉段階で、人事・労務に関する問題点がないかDDを実施します。内容としては以下のような観点での調査をします。

①人事・労務関係の法令遵守等

②人事・労務関係の内部規程類等の整備状況やその内容の適正性

③従業員との個別の労働契約関係等の適正性

ポイントは、労務DDは買い手企業側だけが実施するのではなく、最も社内の事情を把握しうる立場にある売り手企業自身にも実施してもらうことです。

時間外勤務時間の計算間違いなどは、売り手企業自身が把握していないこともあり、M&Aを実施することになってはじめて発覚するということが珍しくありません。

但し、中小企業の場合、人事・労務の専門家が社内にいることはまれですので、社会保険労務士や弁護士に調査を依頼することも選択肢です。DD費用の負担が難しい場合には、法務DDの一部として実施してもらったり、報告書面の作成は省略して報告会などを開催してもらったりする方法もあります。

 

(2)表明保証条項によるリスクヘッジ

M&Aが株式譲渡や事業譲渡の形態で実施される場合、売り手企業と買い手企業の間で株式譲渡契約や事業譲渡契約(以下、「M&A契約」という)を締結します。

M&A契約にはM&Aを実行する前提条件として「表明保証条項」が規定されます。

主な内容として、次の3つがあります。

①M&A実行前に表明保証違反があった場合のM&Aの不実行および契約の解除

②表明保証違反により買い手企業に損害が発生した場合の売り手企業等による補償

③M&A実行後に表明保証違反があった場合の譲渡した株式や譲渡資産の買取り

 

但し、表明保証条項があったからといって万全ではありません。売り手企業の表明保証違反があり、買い手企業が売り手企業に損害賠償請求したとしても、M&A後数か月経過しているような場合、既に売り手企業は、譲渡代金を使ってしまっており、損害賠償を負担する資力がない場合があります。

また、表明保証条項には「知りうる限り」とか「知る限り」といった表明保証をする売り手企業の義務を限定する文言があります。「知る限り、未払い賃金等がない」となっている場合、時間外勤務の賃金を正しく計算し直せば従業員に対する未払い賃金があったとしても、M&A実行時に売り手企業自身が知らなければ免責される可能性が高いことになります。

表明保証条項を設けることによりM&Aにおける労務DD負担を軽減することはできますが、カバーできないリスクもあることを理解しておく必要があります。

 

(3)表明保証保険によるリスクヘッジ

表明保証保険とは、表明保証違反により当事者が被る損害をカバーする保険です。上記(2)に記載した通り、万が一、表明保証条項違反が発覚しても、売り手企業の経済的状況によっては損害賠償が実施なされない可能性があります。こうしたリスクをヘッジするのが表明保証保険です。表明保証保険加入により、被った金銭的被害を補うことが可能です。

但し、買い手企業に保険料負担が生じるため、中小M&Aのように買収代金自体が少額の取引の場合、十分に採算性を考慮して検討する必要があります。

 

4.経営統合の鍵は労務管理

M&Aにおける、人事・労務課題は、M&A実行時においてのみ留意すべきことではありません。買い手企業の視点では、M&A後のPMI(Post Merger Integration:経営統合プロセス)の段階において、より重要性が高くなります。

次回では、PMIにおける労務リスクと対策について取り上げたいと思います。

 

 

アナタの財務部長合同会社 代表社員 伊藤一彦(中小企業診断士)