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事業再生にも使える特定調停③

日弁連スキームによる特定調停を用いる場合の事前準備

今回は、実際に日弁連スキームによる特定調停がどのようにして進められていくのかについて解説します(日弁スキームのフローについてはhttps://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/activity/resolution/chusho/tokutei_chotei/tebiki_1-10.pdf をご参照ください。)。

特定調停にかかわらず、一般に調停とは、訴訟とは異なり当事者の合意を基本とする手続です。そして、特に、日弁連スキームの場合は、再生計画案に対する金融機関の同意が事前に見込まれている場合に用いられることが想定されています。

したがって、特定調停の申立ての前に各金融機関に対し、再生計画案を示して意見交換し、同意の見込みを得ておくことが必要になります(なお、ここにいう「同意の見込み」とは、金融機関の支店の担当者レベルの同意は得られており、最終決裁権者の同意が得られる見込みがある等の状況を言います。また、積極的に同意をするわけではないが、あえて反対もしないという消極的な同意もここにいう同意に含まれます。

 

金融機関との協議

再生計画案の作成とともに、メインバンクその他の金融機関に対し現状と方針を説明し、再生への協力、返済猶予などの申入れを行います。

金融機関に対しては、事業を廃業すれば従業員の雇用や取引先・得意先関係が失われてしまうこと、自社のみによる経営改善や資産売却で債務を解消することが困難であること、事業者の主たる債務(保証人が要る場合は保証債務も含む。)について、破産手続による配当よりも多くの回収を得られる見込みがある債権者にとっても経済的な合理性が期待できることなどを説明し、理解を求めます。そして、金融機関への説明の方法としては、場合によっては、すべての金融機関が一堂に会するバンクミーティングによることもありえます。

 

再生計画案の作成

金融機関との意見交換を経つつ、DDを実施したうえで、再生計画案を策定していきます。再生計画案を策定することは、弁護士だけでは困難であり、税理士、公認会計士、中小企業診断士と協力して策定していくことになります。

具体的に事業再生計画に記載すべき事項としては以下のようなものがあります。

① 事業者の概要

② 財産の状況

③ 経営が困難になった原因

④ 事業改善の具体的内容・方針

⑤ 財産状況及び資金繰りの見通し

⑥ 事業者の弁済計画

⑦ 対象債権者に対して要請する主たる債務の減免、期限の猶予その他の権利変更の内容

上記の内容のほか、金融機関に対して債権放棄等(実質的な債権放棄及び債務の株式化(DES)を含む。)を求める再生計画を策定する場合は、役員の退任のほか、役員報酬の削減、貸付金の放棄、株式割合の減少などの経営者責任を明確化することや株式の全部又は一部の消滅等の株主責任の明確化も記載することが必要になります。

 

信用保証協会が債権者である際に注意すべき点

ところで、債権者の中に信用保証協会が含まれていることがあります。信用保証協会とは、中小企業・小規模事業者の金金融円滑化のために設立された公的な機関です。公的な機関であるがゆえにほかの金融機関とは異なる注意点がいくつかあります。

まず、信用保証協会は、財産目録や弁済計画の策定に当たって、外部専門家の税理士や公認会計士の関与が求められているため、税理士や公認会計士などに協力を依頼する場合は、信用保証協会と事前の調整をしておかなければ、信用保証協会から外部専門家として認められないという事態になりかねません。

また、信用保証協会においては、実態債務超過を何年で解消する計画になるのかなど、求償権放棄の数値基準があるようですので、当該基準に適合する計画となっているのか、担当者との間で十分な事前調整を行うことが信用保証協会からの同意を得るためには重要になっているといえます。

このほか、信用保証協会においては、事業者と保証人との一体整理を原則としていること、求償権放棄には日本政策金融公庫との調整が必要であること、などの特徴もあります。

 

特定調停の申立て

金融機関の同意が見込める状況になると、裁判所に特定調停を申し立てます。日弁連スキームでは、主に中小企業を想定していますので、裁判所とは、地方裁判所ではなく、簡易裁判所(専門性を有する調停委員確保の観点から、本庁所在地に併設されている簡易裁判所)が想定されています。

既に金融機関の同意が見込める状態での申立てとなりますので、調停期日は基本的には1~2回で調停成立又は17条決定により終結することを想定しています(仮に、1~2回の期日で終結できないのであれば、そもそも日弁連スキームによる事業再生になじまないものであるともいえます。)。

 

簡易迅速に、しかし、公正かつ妥当な事業再生

日弁連スキームは法的再生手続に比べ簡易迅速であるうえ、裁判所を介する点で公正かつ妥当な事業再生の方法であるといえます。民事再生手続はハードルが高いが私的整理では公正性に問題が生じうるといった中小企業の次号再生においては日弁連スキームを活用するのも一つの方法であるかもしれません。

なお、日弁連スキームによる中小企業の再生計画策定については、経営改善計画策定支援事業(通常枠)の対象となります(補助対象の経費 ①DD・計画策定支援費用(上限200万円)、②伴走支援費用(上限100万円))。

 

弁護士・中小企業診断士 武田 宗久

 

ちょっと待って!M&Aに潜む労務リスク

1.M&A後に顕在化する労務問題

2023年8月、親会社であるセブン&アイ・ホールディングスによるそごう・西武の米国投資ファンドへの売却について、そごう・西武の労働組合が会社売却に反対してストライキを行ったのは記憶に新しいでしょう。M&Aの際の労務管理がいかに重要であるかがクローズアップされた事件でした。

しかし、M&Aにおける労務面の課題は労働組合対策ばかりではありません。

むしろ、中小M&Aでは、上場会社のように会計監査や情報開示が不徹底な分、M&A後に顕在化する課題が多くあるのです。

今回は、買い手企業の立場から、M&Aの際に留意すべき労務課題について考察していきたいと思います。

 

2.M&A手法によって異なる労務リスク

中小M&Aではどのような労務リスクが課題となっているのでしょうか。件数の多い株式譲渡と事業譲渡を中心に、会社法上の組織再編行為によるM&Aについて労務リスクの特徴を見ていきましょう。

 

(1)株式譲渡

株式譲渡によるM&Aの場合、売り手企業(労働契約の主体である使用者)と従業員の間の権利義務関係に変更はないため、M&A前の労働契約は、原則としてそのまま継続します。

そのため、雇用関係の視点では直ちに問題が発生することはありませんが、M&A前に、未払い賃金(含む残業代)などの偶発債務や、従業員からの訴訟による損害賠償請求などがあった場合には、買い手企業は買収した企業を経由して、その関係を承継してしまうことになるのです。

 

(2)事業譲渡

事業譲渡によるM&Aの場合、労働契約の承継に従業員の個別の「承諾」が必要になります。つまり、売り手企業の経営陣と合意したからといって従業員も自動的に承継できるわけではないのです。事業に従事してもらう必要がある従業員に対して、M&A後の労働条件について事前に十分に説明し納得してもらう必要があるのです。

また、一方、売り手企業との間で労働問題があったとしても、原則、売り手企業との間で処理してもらうことになるため、労務リスクについて、十分事前調査を行えない場合には、有力なM&A手法になります。

 

(3)会社分割・合併(組織再編)の場合

会社分割によるM&Aの場合、「労働契約承継法」が定める手続に従って対応する必要があります。同法により、売り手企業の事業に係る権利義務(全部または一部)が買い手企業に包括的に承継されるため、M&A前の労働条件もそのまま買い手企業に承継されます。

したがって、株式譲渡の場合と同様に、未払い賃金や訴訟による損害賠償などの偶発債務が買い手企業に承継されてしまうことに留意が必要です。また、M&A後に買い手企業が労働条件を変更しようとする場合、労働条件の不利益変更とならないよう注意することも必要です。(*厚労省の指針を参照ください)

*「分割会社及び承継会社等が講ずべき当該分割会社が締結している労働契約及び労働協約の承継に関する措置の適切な実施を図るための指針」

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/0000141999.pdf

 

合併によるM&Aの場合も、売り手企業の権利義務の全部が買い手企業に包括的に承継されるため、会社分割の場合と同様にM&A前の労働条件もそのまま買い手企業に承継されます。

偶発債務の問題や労働条件の不利益変更に該当するリスクなど留意することが必要です。

 

3.労務DD(Due Diligence)や表明保証条項等によるリスクヘッジの重要性

このように、M&Aの形態により留意すべき労務リスクは異なりますが、予防的な対策をとることが何より重要です。M&A後に、労務課題は発覚してからでは打てる対策が限られてしまいます。代表的なものとして、次のようなリスクヘッジ手法があります。

 

(1)労務DDによるリスクヘッジ

M&A前の交渉段階で、人事・労務に関する問題点がないかDDを実施します。内容としては以下のような観点での調査をします。

①人事・労務関係の法令遵守等

②人事・労務関係の内部規程類等の整備状況やその内容の適正性

③従業員との個別の労働契約関係等の適正性

ポイントは、労務DDは買い手企業側だけが実施するのではなく、最も社内の事情を把握しうる立場にある売り手企業自身にも実施してもらうことです。

時間外勤務時間の計算間違いなどは、売り手企業自身が把握していないこともあり、M&Aを実施することになってはじめて発覚するということが珍しくありません。

但し、中小企業の場合、人事・労務の専門家が社内にいることはまれですので、社会保険労務士や弁護士に調査を依頼することも選択肢です。DD費用の負担が難しい場合には、法務DDの一部として実施してもらったり、報告書面の作成は省略して報告会などを開催してもらったりする方法もあります。

 

(2)表明保証条項によるリスクヘッジ

M&Aが株式譲渡や事業譲渡の形態で実施される場合、売り手企業と買い手企業の間で株式譲渡契約や事業譲渡契約(以下、「M&A契約」という)を締結します。

M&A契約にはM&Aを実行する前提条件として「表明保証条項」が規定されます。

主な内容として、次の3つがあります。

①M&A実行前に表明保証違反があった場合のM&Aの不実行および契約の解除

②表明保証違反により買い手企業に損害が発生した場合の売り手企業等による補償

③M&A実行後に表明保証違反があった場合の譲渡した株式や譲渡資産の買取り

 

但し、表明保証条項があったからといって万全ではありません。売り手企業の表明保証違反があり、買い手企業が売り手企業に損害賠償請求したとしても、M&A後数か月経過しているような場合、既に売り手企業は、譲渡代金を使ってしまっており、損害賠償を負担する資力がない場合があります。

また、表明保証条項には「知りうる限り」とか「知る限り」といった表明保証をする売り手企業の義務を限定する文言があります。「知る限り、未払い賃金等がない」となっている場合、時間外勤務の賃金を正しく計算し直せば従業員に対する未払い賃金があったとしても、M&A実行時に売り手企業自身が知らなければ免責される可能性が高いことになります。

表明保証条項を設けることによりM&Aにおける労務DD負担を軽減することはできますが、カバーできないリスクもあることを理解しておく必要があります。

 

(3)表明保証保険によるリスクヘッジ

表明保証保険とは、表明保証違反により当事者が被る損害をカバーする保険です。上記(2)に記載した通り、万が一、表明保証条項違反が発覚しても、売り手企業の経済的状況によっては損害賠償が実施なされない可能性があります。こうしたリスクをヘッジするのが表明保証保険です。表明保証保険加入により、被った金銭的被害を補うことが可能です。

但し、買い手企業に保険料負担が生じるため、中小M&Aのように買収代金自体が少額の取引の場合、十分に採算性を考慮して検討する必要があります。

 

4.経営統合の鍵は労務管理

M&Aにおける、人事・労務課題は、M&A実行時においてのみ留意すべきことではありません。買い手企業の視点では、M&A後のPMI(Post Merger Integration:経営統合プロセス)の段階において、より重要性が高くなります。

次回では、PMIにおける労務リスクと対策について取り上げたいと思います。

 

 

アナタの財務部長合同会社 代表社員 伊藤一彦(中小企業診断士)

 

デューデリジェンスへ進む前にやっておくべきこととは?

売り手と買い手の間で重要な論点について話がまとまったら、基本合意の締結へと進みます。基本合意とは、M&Aについて売り手と買い手とが基本的な合意をしたことを、最終契約の前に文書にしておくものです。つまり、「この先、大きな行き違いがない限り、これでM&Aを実行しましょう」と言う意味を持ちます。
本日は、M&Aの大きな節目となる”基本合意”について、いつものとおり、M&A新任担当者のツナグと一緒に学んでいきたいと思います。

 

基本合意とは?

ツナグ:基本合意?DD(デューデリジェンス)もまだだし、仮契約みたいな感じかな?
そうですね。仮契約とは違いますが「これから、M&Aの取引成立に向けて、売り手と買い手とでお互い誠実に、前向きに、交渉を進めていきましょうね。そのための前提条件はこれらですよね」という感じですね。

 

ツナグ:「ふーむ。一般的な営業現場ではあまりない交渉スタイルだね」

確かに、あまり頻繁にはないと思いますが、巨大建造物やビッグイベントなどの大きな案件でも同様に、仮契約を締結することはあると思います。おそらく、売り手側は準備や提案のコストの回収を確定させ、買い手側は、案件の実行に道筋をつけられる。という双方のメリットを実現することが目的ではないでしょうか?一方で、M&Aの基本合意は、特に買い手にとって大きな節目になり、いくつかのメリットが発生します。

ツナグ:M&Aでは、買い手側にメリットが大きいんだね。なんとなく、買い物する側は、いつでも交渉から降りられるから、常に強い立場にあるイメージだけど・・・どんなメリットがあるんだろう?

 

買い手側にとっての基本合意のメリット

まずは、大枠ながら合意形成を文書にするわけですので、それによって「この取引はおそらく成立する、成立させなくてはならない」といった心理的拘束力が双方に期待できます。そして、先述のとおり、基本合意書には、「何ごともなければこのまま進めましょう」と言う意味合いがありますので、買収価格や譲渡スキームなど重要な論点の合意を盛り込みます。
基本合意書締結後は、DDへと進むのですが、DD終了後に大きな問題がなければこの基本合意で仮約束された金額で取引することが一般的ですから、買い手側は、ここまでに知り得た情報に不確定要素や不安要素があるようであれば、買収価格ではなく価格レンジ幅を持ったものを提示して合意することでリスクを最小限にします。また、スケジュールを設定することになりますので、特に、売り手側の意思決定が遅いと感じている場合など、買い手にとっては大きなメリットとなるはずです。
そして、最大のメリットは、独占交渉権が得られることです。一般的には、買い手側に独占交渉権(排他的交渉権)が付与されます。これによって。買い手は競合の動きを気にせず交渉に専念できます。
補足になりますが、もし、双方いずれかが、上場企業の場合は、基本合意後に適時開示により公表されることが一般的です。つまり、もしこのM&Aが成立しなかった場合、「DDで何か大きな問題が発覚したのか?!」と言う様々な憶測が投資家の間に飛び交うことになります。そのため、双方ともに、なんとか交渉を進めて、無事に取引を成就させたいというインセンティブが働きます。

 

基本合意に盛り込まれる主な事項とは?

ツナグ:なるほど。基本合意ってすごい大きな意味があるんだね?!

基本合意では、大きく分けて二つのことについて合意します。一つは取引条件、そして、もう一つは当事者同士の義務など基本的な約束事です。

ツナグ:買い手としては、”金額”、”M&Aの形態”、”スケジュール”なんかが決まっていれば、動きやすそうだね。

そうですね。まず、もっとも大切なことは、買収スキームと取引価格についてです。取引価格については、これまでの交渉を通じておおむね合意していると思いますので、その金額を明示しておきます。一方で、スキームについては、株主などの同意が必要な場合も多いため、この段階で確定することはできませんが、少なくとも最低取得株式数あたりは明記しておきたいところです。また、先述のとおり買収金額に幅を持たせて合意する場合がありますが、売り手側は、どうしても上限金額に意識がいきがちです。安易に金額の幅を決定することはせず、しっかりと自社内のコンセンサスを得ている金額を上限金額とするようにしましょう。

そして、次に従業員や役員などの引き継ぎ条件についてです。具体的には、従業員の雇用条件の維持や、変更に関しては、重要な基本合意事項になります。一般的な労働者は、法律によって保護されていますが、それに加えて、通常1~2年程度は大きな変更をしないということを合意しておきましょう。一方で、役員については任期もあり、法的な保護はないため、退職慰労金などしっかりと合意しておくことが必要です。
また、M&A後の経営統合作業や、業績改善に集中したいため、許認可や重要な取引先との契約、人員整理や不採算事業からの撤退などは、クロージングの前提条件として売り手側の責任で対応を済ませてもらうことを基本合意にしておくことが重要です。

 

基本合意は守られてこそ

ツナグ:なるほど。買い手にとっては、大きな買い物だし、M&Aが成立してからが本番だっていうこともあるし、不確定要素はできるだけ排除しておきたいですよね!なんだかワクワクしてきた!

そうですね。そのためにも、具体的な基本合意の前提条件についても同意が必要です。
まずは、DDの実施日程や調査範囲などとともに基本合意後速やかに実施することへの合意を確認します。独占交渉権についても同様です。これは、売り手は買い手(当社)以外とM&Aについて交渉を行うことを禁止する条項です。ただし、売り手にとってさらに魅力的な買収提案を受けた場合のために別途協議すると言う項目を入れたり、反故にする場合の罰則規定等も決めることがあります。M&Aが盛んなアメリカでは、すでに違約金の相場もあるようです。
これら以外にも秘密保持や善管注意義務に関すること、有効期限、法的拘束力項目について明確にします。

 

▼まとめ

今回は、M&Aの大きな節目となる”基本合意”について、買い手側の視点に立ってツナグと一緒に学びました。しかしながら、売り手側にとっても「計画通りに譲渡を実現する」という点において、大きなメリットがあるフェーズです。一方で、このフェーズでもっとも大切なことは「対象企業を利用してくださっている顧客や、業務に従事している従業員・役員にとってのメリットをどのように実現するか?」でもあります。くれぐれも本来の目的を見失わないように留意ください。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。次は、あなたのビジネスにご一緒させてください。
中小企業診断士 山本哲也

売り手の確保につながるか?―大阪産業局の挑戦

売り手が不足しているM&A市場

企業の後継者の確保ができない場合に、事業承継を行う一つの方法としてM&Aがあることはいうまでもありません。

しかし、実際に事業承継の場面でM&A市場を見てみるとあることに気づきます。それは、企業を買いたいという買い手は比較的多い一方で、企業を売りたいという売り手は必ずしも多くはないということです。

買い手にとっては、新規事業を開始するのはもちろんのこと、自社の既存事業の対象地域を拡大したり、上流に進出したりする場合であっても、「ゼロイチ」、すなわちゼロから事業を立ち上げるのはリスクがあるうえ、十分なノウハウや顧客などを獲得するのには時間や労力がかかります。このため、ある程度事業について実績のある企業をM&Aによって取得することは経営戦略としても合理的なものといえ、買い手のニーズは堅調である印象があります。

他方で、売り手の立場からすれば、そもそも自分がいままで手塩にかけて育ててきた企業を売却すること自体、相当に重い決断を強いられることになります。特に自分が起業したのではなく、代々続いてきた企業を売却することを決断する社長が苦悩することは十分に理解できるところではないでしょうか。また、仮に自社をM&Aによって売却してもよいという決断をしたとしても、M&Aで売却した後も自社の企業の経営を安定的に継続してもらいたいとの思いから買い手を慎重に選ぶ傾向もあるように思われます。

このように中小企業のM&Aでは、売り手は慎重な判断をする傾向があることから、売り手を確保することが課題となっているように思われます。

 

大阪産業局の取組み

このような課題に対し、大阪産業局が令和4年度から「インターネット《事業引継ぎ支援》プロジェクト」(以下「本施策」といいます。)という興味深い取り組みをしています。(大阪産業局とは、大阪市と大阪府による中小企業支援組織で、平成31年4月に大阪府の大阪産業振興機構と大阪市の大阪市都市型産業振興センターが統合してできた公益財団法人です。)

本施策は、大阪産業局が大阪府から委託を受けて行うもので、登録専門家のアドバイスを通して、M&Aや事業譲渡を検討している企業の経営者がM&Aプラットフォームへ登録できるようにサポートするものです。

ここにいうM&Aプラットフォームとは、大阪府が連携協定を締結した株式会社M&Aサクシード、株式会社トランビ、株式会社バトンズが行っているM&Aのマッチングサイトをいいます。

 

登録専門家が行う支援

登録専門家は、中小企業診断士や税理士といった士業のほか、商工会議所なども含まれます。M&Aで会社の売却を検討している企業の経営者に対し、登録専門家が、会社概要の作成方法や株価算定などによる妥当な資産価値、アピールポイントなどをアドバイスします。また、登録専門家が、M&Aプラットフォームに企業を登載した後、どのような流れで進めていくのかについての説明を行うことも本施策には含まれています(ただし、M&Aプラットフォームに登載後に具体的な案件として進めていく場合の助言などは本施策の対象外となっています。)。

登録専門家は、大阪産業局が実施する研修を受講し、所定の試験に合格することなどが要件となっており、一定の質の確保が企図されています。

そして、登録専門家の報酬は、大阪産業局にて負担し、企業が負担することはありません。また、相談したい登録専門家がいない場合は大阪産業局が登録専門家を紹介することも可能となっています。

なお、本事業の対象となる企業は、①事業譲渡を検討している中小企業者又は小規模事業者であることのほか、②大阪府内に本店または事業所があることが要件となっています。

 

売り手の確保につながりうる施策に

そもそも特定の企業が行っているインターネットのプラットフォームに登載することについて、公的な組織である大阪産業局が予算を確保して関与するということ自体、M&Aによる事業承継において売り手がまだまだ少ないことを強くうかがわせるものといえます。

施策によって、登録専門家が自社を売りに出すことに抵抗がある企業の経営者に事業承継の重要性について説明をしたり、そもそも自社について買い手がいるのだろうかと不安に思っている企業の経営者に自社の強みを発見してもらったりすることが可能になり、売り手の確保に一定の期待ができるものと思われます。

大阪産業局による新たな挑戦ともいうべき施策により、M&A市場に多くの売り手が登場して活性化することはもちろんですが、少しでも多くの企業が後継者がいないことによる廃業を回避するきっかけになることを願ってやみません。

 

弁護士・中小企業診断士 武田 宗久 

M&Aの本当の成否を決めるのは~顧客の引継ぎ~

M&A専門誌「マールオンライン」を運営する株式会社レコフデータの発表によると、コロナ禍にあっても2022年の日本企業のM&A件数は4304件と、2021年の4280件を24件、0.6%上回り、2年連続で最多を更新しました。コロナ禍の収束に伴い、中小M&Aの動きはさらに加速すると思われます。

M&Aにより事業を承継する際に、大切だとわかっているのに譲渡金額や譲渡方法などM&A自体に目を奪われて、買収後の事業展開面で最も重要になる「顧客」の承継対策がおろそかになっているケースが散見されます。今回は買い手目線で見た場合の「顧客の円滑な承継」にフォーカスしてご説明したいと思います。

 

1.「顧客」承継の重要性

M&Aにより事業承継する際、承継すべき要素は多岐にわたりますが、株式の承継、経営権の承継、資産の承継などは、M&Aを実施する上で、主要な部分を占めています。

確かに、株式や経営権、資産を承継できればM&Aという“儀式”自体は成立します。しかし、M&Aそれ自体が目的ではなく、M&A後の事業の発展があって初めて目的が達成されるものです。「顧客」は事業成長と存続のための生命線であり、M&A後の事業の発展に不可欠な要素です。特に、理美容業・クリニック・学習塾・高級レストランなどは固定客比率が高い業種といわれており、固定客をいかに承継できるかによって、M&A後の売上高が大きく左右されることになります。

 

 

2.顧客は企業価値の源泉

「顧客が企業価値の源泉である」との考え方は、マーケティングの分野では広く認識されており、さまざまな学者や専門家によって提唱されてきました。

例えば、マーケティングの権威であるフィリップ・コトラーは著書「Marketing Management」の中で、顧客満足度を最大化することが企業の成功につながると説いています。

また、マネジメントの神様といわれるであるピーター・ドラッカーも、その著書「The Practice of Management」には、顧客を満足させ、顧客の信頼を得ることが企業の持続的な成功につながると主張しています。

近年、株式上場を目指すスタートアップの企業価値評価方法として、「ライフタイムバリュー(LTV)」と「顧客獲得コスト(CAC)」を用いた手法が活用されることがあります。LTVは顧客一人当たりの生涯で企業にもたらす利益を予測したもので、CACは新たな顧客一人を獲得するためのコストです。LTVがCACを上回る場合、そのビジネスは成長可能性を持つと評価されます。顧客数×LTVにより顧客から生み出される将来収益の予測を行い、企業価値を評価することが、株式上場時の証券会社によるスタートアップのバリュエーションの算定や、スタートアップにベンチャーキャピタルが投資する場合の株価算定など投資活動の最前線で活用されているのです。

 

3.中小M&Aでよくある「顧客」承継にからむ落とし穴

中小M&Aでは、対象となる企業の経営者が創業社長であったり、ワンマンなオーナー社長であったりするケースが少なくありません。特に、エステや美容院などのサービス業の場合は、単なるオーナーではなく、自分自身がカリスマ店長としてナンバーワンプレイヤーであることが多いのも事実です。そうした場合、M&Aでオーナーチェンジしてしまうと、経営者目当てで来店していた顧客が離反してしまうことがあります。固定客比率が5割の事業を買ったつもりが、固定客の過半が経営者の顧客だったりすると収支計画の前提条件から見直す必要が生じてしまうのです。

同様に、M&Aの対象となることが多い業種としてクリニックやパーソナルトレーニングジムなどがあります。好立地や高機能な治療機器、トレーニングマシーンの豊富さなども魅力ではありますが、経営者との個人的な信頼関係が顧客維持のために重要な役割を担っているため、M&Aの際には、固定客のうち、経営者の固定客がどの程度を占めているのかを確認することは不可欠なポイントといえます。

 

4.DX化で広がる「顧客」承継の盲点、経営者個人によるSNSやサイト運営

近年は、経営者自身によるSNSやコミュニティサイトの運営など、多様なプロモーションが展開されています。特に、創業経営者の場合は、事業よりも、SNSやサイト運営がもとになって、事業が始められているケースすらあります。

株式譲渡によるM&Aでは、会社全体を買収するため、会社が運営するSNSやコミュニティサイトであれば引き継ぐことはできますが、運営者が変わることによりフォロアーが離反するリスクがあります。

さらに、事業譲渡による場合は、譲渡対象に運営サイトが含まれることを明確化しておく必要があります。会社資産の全体が自動的に承継されるわけではないためです。

また、オンライン学習事業などのEコマースの場合、会社とは別に経営者が個人的にコミュニティサイトを運営していて、プロモーション上重要な役割を果たしていることがあります。個人運営サイトの場合、M&Aで会社や事業を買収しても、買収対象にはならないため、M&A後の、新規会員獲得や既存客とのリレーション維持が困難になることもあります。

特に、アカウントの売買や譲渡を禁止するSNSもありますので注意が必要です。

M&A前に、会社が運営しているのか個人なのかヒアリングをしっかり行い、M&A後の一定期間は事業の引継ぎ期間を設けて、サイト運営についてもフォローしてもらうなどの工夫が必要かもしれません。

 

まとめ

今回は買い手目線で、「顧客」を承継することの重要性についてお伝え致しました。オーナー自身が固定客を持っているケースは従来からありましたが、近年、DX化が進展しSNSなどによるプロモーションやコミュニティサイトの運営など、オーナー個人が顧客の獲得・維持に重要な役割を担う機能が拡大しています。

複雑なM&Aの手続きに専念しているとうっかり忘れてしまう部分かもしれませんが、M&Aはあくまでも手段です。M&A後に事業を発展させる目的を達成するためには、「顧客」の承継は不可欠ですし、DX化を踏まえた変化に対応することも必要です。

手段としてのM&Aは知見のある専門家を上手に活用し、最も重要な事業の成功に専念するのも、賢い経営者の選択肢ではないでしょうか。

 

アナタの財務部長合同会社 代表社員 伊藤一彦(中小企業診断士)

個人M&Aを後押しする資金調達方法

1.「スモールM&A」の普及と「個人M&A」の増加

中小企業が第三者承継の方法として活用するM&Aや、小規模なスタートアップの創業株主(経営者)がEXIT手段のために実施するM&Aなどを総称して「スモールM&A」ということが多いようですが、明確な定義があるわけではありません。

一方で、M&Aプラットフォームの普及によって「スモールM&A」が増加するなか、個人が買い手として、事業承継ニーズのある中小企業の事業譲渡を受けたり、創業間もないスタートアップを買収したりするなど、M&Aに参画する機会が拡大し、いわゆる「個人M&A」のすそ野は広がりつつあります。

しかし、個人がM&Aを行う際にネックになるのは資金調達です。一定以上の規模になると自己資金で買収コストを賄うのは困難であり、また、自己資金のみで買収するとなればM&Aの対象先は限定されてしまいます。

今般は、個人がM&Aをする際になぜ資金調達が必要なのか、また、どの様な資金調達方法があるのかについて、新たな動きを探ってみたいと思います。

 

2.M&Aに必要な資金調達

M&Aで必要になる買収資金にはどのようなものがあるでしょうか。主なものは、株式譲受資金(事業譲受資金)などの直接的な買収代金、M&A仲介者への手数料、買収調査(デュー・デリジェンス)の費用、譲渡に伴う各種税金などがあげられます。

これらの資金はM&A実施時にほぼ同時期に支払うことが必要となるため、数百万円から数千万円の買収金額であったとしても、個人が自己資金で賄うのは負担が大きいでしょう。

さらに、買収した企業の在庫や売掛金見合いの運転資金、買収先の店内内装のリニューアルやサーバーの増設などの設備投資資金など、買収以降に発生する出費も想定する必要があります。

M&Aプラットフォームの譲渡価額に記載されている金額だけなら自己資金のみで対応できたとしても、M&A時のトータルの買収資金、買収後の運転資金や設備資金などの事業運営資金など、実は想定以上に所要資金が必要になることが多いのです。

こうしたケースに対応するため、通常は、間接金融といって融資などの金融機関借入を活用する方法や、直接金融といって投資家などからの出資を活用する方法などが採用されています。

 

3.個人型のスモールM&Aで活用したい公庫融資

間接金融の代表的なケースは金融機関からの借入金です。個人が大手金融機関から資金調達するのはハードルが高いことが少なくありません。日本政策金融公庫(以下、「日本公庫」という)の融資を活用することがお薦めです。

具体的には、日本公庫(国民生活事業)の「事業承継・集約・活性化支援資金」(※)により、事業承継に必要な運転資金・設備資金について長期間、有利な利率での借入申込をすることが可能です。

主な融資の条件は次の通りです。

【対象者】事業承継を受ける経営者や事業の承継・集約を契機に、経営多角化・事業転換などにより新規事業に取組む方など

【融資限度額】7,200万円(うち運転資金4,800万円)

【返済期間】設備資金:20年以内、(うち据置期間2年以内)、運転資金:7年以内(うち据置期間2年以内)

【利率】基準利率(2.15~3.15%)。条件により特別利率の優遇あり。

日本公庫(国民生活事業)のHPによると、M&Aを行う場合は、株式・事業譲渡の対価の支払いだけでなく、M&Aによって受け継いだ事業の円滑なスタートやM&Aを契機とした新たな挑戦などでの資金需要に対応した融資が行われています。ちなみに2019年度の事業承継・集約・活性化支援資金(第三者承継に係る融資)707件のうち個人企業向け融資件数は全体の53%を占めています。

 

※公庫融資の活用については拙著「スモールM&Aに必要な資金調達とは~賢い融資制度の活用法」(https://batonz.jp/adviser/articles/2459)をご参照ください。

 

 

4.個人型の大型M&A~国内でもサーチファンド活用が選択肢に

個人が投資家から出資を受けるのは、金融機関から借入をする以上に難易度が高いと思われます。しかし、2022年8月、新たな動きがありました。公的機関である中小企業基盤整備機構(以下、中小機構という)が、国内のサーチファンドに出資を決めたことです。

サーチファンドとは、米国で1980年代に生まれた仕組みです。起業家(サーチャー)が買収候補の企業を探索し、投資家がファンドを通じて買収資金を提供する仕組みです。通常は、ファンド自身が買収先を探索するのですが、サーチファンドは、起業家自身が買収先を探索し、ファンドの資金を活用して企業を買収し経営者として事業を行う点に特徴があります。

企業経営を目指す意欲のある経営者候補「サーチャー」と、事業承継に課題を抱え、適切な承継先を探す中小企業を繋ぐビジネスモデルといえ、新たな事業承継の手段の一つとして注目されています。そうした背景から、経産省は取り組みを推進する方針です。

具体的には、サーチファンドの活用推進策として、中小機構が出資するファンドが運用で得た組合財産について、中小機構より民間出資者に優先分配する仕組みを創設予定です。これにより、民間投資家の資金をサーチファンドに呼び込むことが期待されます。

サーチファンドの規模にもよりますが、1社あたりの投資額は数千万円から数億円が想定され、M&Aにより起業を目指す個人=経営者(サーチャー)に対する資金調達の選択肢は拡充されつつあるといえます。

 

5.まとめ

M&Aにおいて資金調達の成否は、買収の実行はもとより買収後の運転資金や設備資金の確保による事業運営にも影響をおよぼす重要な要素です。

融資にせよファンドの活用にせよ、M&Aの仲介とは異なった専門的知見が必要になります。事業承継・新規事業参画など、本来の目的を円滑に進められるよう、資金調達分野に通じた専門家の活用も必要に応じて検討するとよいでしょう。

 

アナタの財務部長合同会社 代表社員 伊藤一彦(中小企業診断士)

 

 

トップから「少し進めてみようか?」と指示を受けたらまずやるべきこと 続編

今年は、例年になく毎週のように大きな台風が日本列島にやってきていますが、みなさまご無事でしょうか?

前回に引き続き、トップから「この案件、よさそうじゃないか?少し進めてみようか?」と、指示を受けた買い手側のM&A推進担当者が、まずは何から、どのように進めればよいのか?について一緒に考えてみましょう。

 

資料の提供を受けたら、さっそく分析を始めましょう。

依頼した資料が揃い次第、内容の確認及び分析をスタートさせましょう。

分析の切り口は、3つです。まずは、財務面からこれまでの事業運営状態や将来性を明らかにする財務分析。続いて、当社とのシナジーや経営統合によって得られるリソースについて明らかにする事業分析。最後に経営統合後に当社が引き受けることになるリスクの種類や、大きさ、発生可能性などについて明らかにするリスク分析があります。

資料は、クラウドサービスを利用して受け渡しします。アクセス制限を行い、アクセス者リストの作成、パスワード設定など必要なセキュリティを行います。

 

財務分析は、損益計算書と貸借対照表をもとにして、過去を紐解く。

損益計算書は、複数年分をエクセルなどに置き換えることから始めます。勘定科目ごとに数年間の平均値と比較したイレギュラーに着目し、その要因を質問項目としてピックアップします。

具体的には、売上や原価については、件数と単価に分解して確認します。単に、増えた・減ったでは、事実確認の論点がぼやけてしまいます。

続いて、費用に関する勘定科目について、変動費と固定費とに分類します。変動費は、売上に連動して増減するものですから、その対売上比率に異常値がないかどうかを確認します。また、固定費は、経年での変化に着目し、増減があれば、その理由を質問項目とします。減価償却費や給与などは、台帳や貸借対照表と突き合わせることで、その要因や背景を明らかにします。

 

貸借対照表も同様に数年分をチェックすることで、イレギュラーを発見するようにします。流動資産や流動負債に大きな変動があるようなら、台帳を確認し、取引先ごとの推移を把握します。決算書の調整に使われやすい以下の項目も同じように台帳を確認します。棚卸資産、仮勘定、貸付金、投資有価証券、関係会社株式、借入金、未収金、未払金など。場合によっては、固定資産の実物も確認するようにします。

 

加えて財務指標分析も行います。それによって、マクロの視点も取り入れることができ、多面的なチェックができるようになります。主なものとしては、収益面や事業性という観点では、売上高営業利益率、ROE(自己資本利益率)やROA(総資本利益率)。安全性の観点では、自己資本利益率や流動比率、効率性の面では、固定比率や有形固定資産回転率などです。過去からの推移だけでなく、同規模の同業者や自社との比較から始めてみましょう。

 

事業分析は、仮説の検証の視点で行います。

事業分析では、3つの切り口で行います。

まず、事業全体を把握するために、原材料仕入れから売上計上に至るまで、どのような取引先とどのような商材をやり取りしているのか?について売上カテゴリごとに整理します。

続いて、SWOT分析です。強み、弱み、機会、脅威といった観点で、自社の内部環境と外部環境の将来変化を加味した上で、作成します。

最後に、この2つの分析結果に自社の内容を書き加えることによって、どのようなシナジーが期待できそうか整理します。例えば、相手先の強みを自社の顧客に提供することによる売上機会の発見や、自社工場や物流などを相手先に提供することによる、コスト削減策の発見などが考えられます。

 

おそらく、資本提携の話題が持ち上がる時点で大まかなシナジーは描いているはずですので、ここでは、さらに定量的に明らかにしたり、あらたなシナジー効果を発見したりすることができればなおよしです。

 

リスク分析は、客観的視点を意識して行いましょう。

ここまでの分析で、手応えを感じて経営統合に対する期待感が高まってしまうと、リスクを過小評価しがちです。その点に留意して、あくまでも客観的に、少しでもリスク要因があれば、いったん洗い出して評価することが重要です。主な観点は以下のとおりです。

 

・業績の先行き見通しはどうなっているか?

・資金繰りの状態はどうか?:経営統合後にすぐに大きな資金需要があるならば、事前に準備しておくことが必要ですし、価値評価(バリュエーション)にその金額も加味する必要があります。

・過去の組織再編について:過去にも経営統合や分社化などの組織変更を行っているか?行っていれば、組織変更に至った背景や結果評価について明らかにします。

・取引先との関係性:今後も継続取引が可能な相手先か?当社との関係性に問題はないか?現状通りの内容で継続取引が可能な契約か?

・在庫に異常値がないか?:急な増減がないか?そもそも実在庫の有無や商品価値があるかなどの観点で状態確認を行ってください。このあたりは、財務分析と併せて行います。

・固定資産の確認:不動産や設備が実在するか?固定資産台帳の評価と齟齬がないか?更新投資の時期の見通しなどについて確認します。

・顧客からのクレーム:訴訟に至っているような重大案件の有無や、日常的な発生頻度などを明らかにします。

・訴訟リスク:未払い残業代やセクハラ・パワハラといった労働者とのトラブルがないか?未払いや前払い、簿外債務など取引先との金銭トラブルの可能性がないか?

・売手に親会社があれば、そちらが担当している業務がないか?親会社との関係がなくなれば、その業務は当社か対象会社で行う必要があり、コストアップの要因になります。

これら以外にもまだまだ、業種や業態、企業規模によって分析すべきテーマは多くあります。大型の案件や対象会社が自社と離れた領域にある場合は、各方面の専門家も交えた分析を行うことも検討してください。

 

初期分析が終わったら次にすること

社内での初期分析では、相手先への追加確認リストと経営層へのレポートの作成をゴールとします。分析が完了したら、さっそく経営層に対して現状段階での提案と追加確認リスト及びその確認結果が提案にどのように影響を与えるのか?について報告をします。そして、次のステップに進むかどうかの決裁を仰ぎます。

 

判断軸は2つあります。まず、資本業務提携の魅力度(メリット、デメリット)とリスク(発生可能性と重大性、未知のリスクの潜在可能性)でマトリックスを作成し、結論付けます。

1.積極的に進めるケース:提携魅力度が高く、リスクが低いと見立てたケース

2.徹底したデューデリジェンスと慎重な意思決定を要するケース:提携魅力度が高いが、リスクの重要度または、発生可能性が高い、潜在リスクが不透明などと見立てたケース

3.必要性を十分に検討した上での意思決定を要するケース:提携魅力度は高くはないが、リスクも顕在化しており、重要度も低いと見立てたケース

4.提携を断念するケース:提携魅力度が高くはなく、リスクが高い、または不透明と見立てたケース

 

M&Aに限らず、事業活動の評価は、企業、経営者、成長ステップなどによってケースバイケースです。しかし、事業成長のチャンスは、私たちの判断をじっくり待ってはくれません。スピードある判断を下すために、私たちにできることは、チームメンバーや経営層とともに自社の判断基準を事前にリスト化しておくことです。

どんなシナジーを求めているのか?どのようなリスクを避けたいのか?安定性か成長性か?など案件発生前にリスト化しておくことで各案件を定量的に分析し、結論付けることが可能になります。これは、提携先候補の洗い出しにも必要になる考え方です。社内の意思統一にも役立ちますので、早めに取り組むことをお勧めします。

 

まとめ

前回と今回では、M&A推進担当者の初動における留意点について、一緒に考えてみました。案件が商談に進む前から費用をかけて専門家に依頼することは難しいでしょうから、M&A推進担当には、M&Aに関する専門知識の他にも、経営全般にかかわる広範な知識が求められます。

そのためにも、経営全般に関する知見を獲得するよう、地道な学習に取り組んでください。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。次は、あなたのビジネスにご一緒させてください。

中小企業診断士 山本哲也

中小企業の私的整理に関する新しいガイドラインができました②

有事における中小企業者と金融機関の役割

今回も、前回に引き続き『中小企業版私的整理ガイドライン』について解説します。前回はガイドラインにおいて平時における中小企業者と金融機関の役割がどのようなものとされているかについて説明しました。

これに対し、収益力の低下、過剰債務等による財務内容の悪化、資金繰りの悪化等が生じたため、経営に支障が生じ、又は生じるおそれがある状況である有事の場合には中小企業者と金融機関とはどのような役割を期待されているのでしょうか。

 

【有事における中小企業者の役割】

1 経営状況と財務状況の適時適切な開示等

事業再生等を図るために必要な、正確かつ丁寧に信頼性の高い経営情報等を金融機関に対し開示・説明します。これは、金融機関が事業再生等のための金融支援などを検討するうえでも極めて重要なものといえます。

2 本源的な収益力の回復に向けた取組み

金融機関による金融支援もさることながら、事業再生を行うにあたっては、中小企業者は自律的・持続的な成長に向け、本源的な収益力の回復のための取組みを進めていくことが求められます。

3 事業再生計画の策定

中小企業者は、必要に応じて、専門家等に相談し、その支援・助言を得つつ、自力で事業再生計画を策定することが望ましいとされています。

そして、金融支援を求める場合においては、事業再生計画には、①実行可能性がある内容であること、②金融支援の必要性・合理性があること、③金融債権者間の衡平や金融機関にとっての経済合理性が確保されていること、④

経営責任や株主責任が明確化されていることが必要であるとされています。

 

【有事における金融機関の役割】

1 事業再生計画の策定支援

金融機関は、中小企業者が作成する事業再生計画の合理性や実現可能性等について、必要に応じて支援をしながら確認をしていきます。

2 専門家を活用した支援

金融機関単独では事業再生計画の策定支援が困難であると見込まれる場合や、支援にあたり債権者間の複雑な利害調整を必要とする場合には、専門家等による専門的な知見・機能を積極的に活用します。

 

有事にも段階がある

有事における中小企業者及び金融機関の役割について解説しましたが、ガイドラインにおいては以下のように有事の段階を分けています。

 

① 返済猶予等の条件緩和が必要な段階

② 債務減免等の抜本的な金融支援が必要な段階

③ ①・②の措置を講じてもなお事業再生が困難な場合

 

①の段階であれば、まず中小企業者は経営改善計画策定等により、収益性の回復や遊休資産の売却など自らの力による事業再生を目指し、必要に応じて元本・利息の猶予など金融機関による支援を求めていきます。

それでもなお、事業再生が円滑に進まない場合は、DESや債務の減免などの抜本的な支援を求めるのが②の段階です。この場合は企業においても経営者(場合により株主)の責任のあり方などが問われることになります。

さらに、もはや自力では事業再生が困難であり、スポンサーによる支援や経営の共同化など他の企業に支援を求めるのが③の段階です。

①ないし③の段階を経てもなお事業継続が困難である場合は、スポンサーへの事業譲渡等や事業の清算なども視野に入れざるを得ないということになります。

 

中小企業版私的整理手続の概要

ガイドラインでは、再生型私的整理手続と廃業型私的整理手続が定められています。

再生型私的整理手続とは、収益力の低下、過剰債務等による財務内容の悪化、資金繰りの悪化等が生じることで経営困難な状況に陥っており、自助努力のみによる事業再生が困難である場合に利用されることが想定されています。

また、廃業型私的整理手続とは、過大な債務を負い、既存債務を弁済することができないことや近い将来において弁済が困難になることが 確実である一方で、円滑かつ計画的な廃業を行うことにより、中小企業者の従業員に転職の機会を確保できる可能性があり、経営者等においても創業や就業等の再スタートの可能性があるなど、早期廃業の合理性が認められる場合に利用されることが想定されています。

手続の流れとしては、中小企業者が債権者たる金融機関の承諾を得て事業再生計画又は弁済計画を策定し、実行していきます(計画策定の際、必要に応じて債務の支払いの一時停止などを行うこともあります。)。計画の策定や実行の状況のモニタリングには主要債権者や外部の専門家の主導的な役割が期待されています(詳細については次回解説いたします。)。

 

次回の予告

次回は、再生型私的整理手続と廃業型私的整理手続の詳しい流れ、それぞれの手続の具体的な違い、経営者保証ガイドラインとの関係、私的整理ガイドラインとの相違等について解説いたします。

 

弁護士・中小企業診断士 武田 宗久

事業再構築におけるサイトM&Aの活用法~買手の立場から

 2年以上にわたるコロナ禍の影響で、中小企業の多くが事業の在り方を見直すことを余儀なくされています。こうした中、小売業や飲食業が非接触・非対面のEC事業参入により事業再構築を図ろうという動きが加速しています。今回は、EC事業参入を検討する際に、選択肢の一つとしたい「サイトM&A」の活用にスポットを当てたいと思います。

 

1.事業再構築に欠かせないDX化

事業再構築補助金では、「先端的なデジタル技術の活用」が、審査上の加点項目となっています。それを受けて、小売業や飲食業など店舗型ビジネスでは、新型コロナ対策を目的として、サービスの非対面・非接触化を図る予約システムやキャッシュレス決済システムの導入をはじめ、SNS等によるネットプロモーションの推進やECサイトの活用による販路拡大など、積極的にデジタル技術の活用が進められています。

特に、販売拡大に直結するECサイトの活用については数百万円から数千万円を投じてゼロからサイトの立上げを行う事例も少なくありません。しかし、既存事業と提供する製品やサービスが同じでも、販売手法やプロモーション手法が異なり、接客力や好立地など既存事業の強みを活かせないため、回収には長期の取り組みが必要となります。

 

2.「サイトM&A」の活用可能性

スモールM&Aというと主に、事業承継における第三者承継やスタートアップのEXIT戦略として活用されることが多いようですが、実は、事業再構築目的での活用についても、大きな可能性が秘められています。

もともと、買手にとってのM&Aの最大のメリットは「時間を買う」ことです。固定客を持ち、認知度の高い企業を買収することで、迅速に事業を拡大することが可能になります。これはM&Aの対象が企業ではなく「サイト」であっても同じことです。

ECサイトの中には、既に知名度を持ち、固定ユーザーを抱えているものもあります。こうしたサイトをM&Aにより買収すれば、自社でサイトを構築するより迅速に顧客獲得に繋げることが期待できます。

ECサイトやウェブサイト運営会社について、大手M&Aマッチングサイト2社で検索したところ、分類基準は異なるもののECサイト等が200~300件、WEBサイト・アプリ等が300件前後の登録があり活発なM&Aが行われているようです。

また、国内には10社前後のサイト売買専門業者があり、それぞれ特色のある取引が行われています。例えば、アフィリエイトサイト、ブログ、ECサイト、ポータルサイト、などに加えてAmazon、eBay、YouTube、Twitter、Instagramなどのアカウントを数万円から数十万円という比較的低価格で取引が行われるものから、キュレーションサイト、マッチングサイト、ポータルサイト、ECサイト、SaaS系サービスサイトなどを数千万円から数億円という高価格帯で取引されるものまで様々です。これらのサイト売買専門業者が運営する仲介サイトの多くはマッチングの場を提供するだけでなく、手数料を取って売買の仲介や譲渡金額の算定をしているものもあります。

 

3.「サイトM&A」の特徴

(1)「サイトM&A」は事業譲渡

「サイトM&A」といっても特殊なM&Aではありません。M&Aの対象がECサイトやポータルサイトなど、会社が運営するサイトビジネスという事業が譲渡対象となっているということです。もちろん、会社の事業内容が1つのサイトに特化している場合には「会社譲渡」(株式譲渡)という形でM&Aが実施されることもありますが、主に「事業譲渡」の形でM&Aが実施されています。

 

(2)「サイトM&A」の譲渡価格の算定方法

事業譲渡の譲渡価格は、一般的に譲渡資産の時価の合計にのれん代(営業権)を加えた形で算出されます。ところが「サイトM&A」の場合は、通常、個々の譲渡資産の内訳にかかわらず直近半年程度の「月間平均営業利益の10か月分から24か月分程度」を譲渡価格としていることが多いようです。

ウェブサイトの寿命は短く、また、業界の動きが速いため、会社のように1年単位で業績の評価をせず、月単位の業績をもとにして価格を決定することが業界慣行となっているといわれています。

 

(3)「サイトM&A」の譲渡プロセス

「サイトM&A」には、会社のM&Aとは異なる慣行やプロセスがあります。

例えば、M&Aのプロセスです。通常のM&Aでは、売手・買手間でのNDA締結、意向表明の実施、基本合意書の締結等の後に、デューデリジェンスを実施。売手・買手双方が合意に至ったところで譲渡契約を締結しクロージングするといった流れがあります。

一方、「サイトM&A」では、NDA、意向表明、基本合意書締結といったプロセスを経ずに、ネット上で売手・買手がチャット等を活用して売買交渉を行った後、譲渡契約を締結し、サイトの引き渡しを行っていることが多いようです。デューデリジェンスや譲渡価格の算定について、売買専門業者のサービスを活用して実施するケースが多いため、専門家依存度が高い取引となっているようです。

 

(4)「サイトM&A」の引き渡しと「エスクローサービス」の利用

ウェブサイトの引き渡しは、サイト売買の関係者の間では「ウェブサイトの引っ越し」といわれることが多いようです。引き渡しの際には専門業者が提供する「エスクローサービス」を利用して契約不履行リスクをヘッジします。具体的には、譲渡契約締結後に、まず、買手が専用業者の指定口座に譲渡代金を入金し、専門業者からウェブサイト引っ越しの要請を受けた売手がウェブサイト引っ越しを行い、買手の検収が完了したところで、専門業者が売手の口座に資金を入金するというものです。

「ウェブサイトの引っ越し」の際に重要な作業は、「サーバー移行」と「検収」です。

「サーバー移行」とは、売手から買手にドメイン移管やサイトデータの引き渡しを行った後、買手が指定するサーバーへデータ移行を行い、買手は動作確認後にドメインの紐付けを移行先サーバーへ切替えるという一連の作業です。失敗するとサイトが表示されなくなったり、最悪の場合データが消えてしまったりするため、専門業者に委託してリスクを回避することも重要な選択肢となります。

「検収」とは、買手により譲渡されたウェブサイトの内容が事前説明と相違ないかを確認する作業です。通常、数日から数週間かけてチェックが行われます。収益面ではアクセス数やコンバージョン比率、安全面では動作の安定度やバグ、セキュリティの高さなど、引き渡しを受けた後でないとわからない点を検証するのです。

 

4.まとめ

毎月の収支が安定しているウェブサイトのM&Aを行った結果、事業再構築後の収支改善の見通しが立てやすくなるなど、「サイトM&A」の活用により大きなメリットを獲得できる可能性がありますが、中小企業ではウェブサイトの運営に必要な人材やノウハウが不足しているため、「サイトM&A」に踏み切ることに躊躇せざるを得ないという方も少なくないのではないでしょうか。

次回は、どの様な点に留意すればリスクを抑えつつ、「サイトM&A」を進められるのか、売買取引の前後に気を付けておきたいポイントについて、ご説明したいと思います。

 

中小企業診断士 伊藤一彦

 

 

 

「事業再構築」とM&A ~事業再編による再構築に注目

1.長期化するコロナ禍の影響と「事業再構築」の取組み

(1)長期化するコロナ禍の影響

2年以上にわたる新型コロナウイルス感染の影響により、多くの企業は活動の停滞を余儀なくされています。2022年4月20日に東京商工リサーチが公表した調査結果「第21回『新型コロナウイルスに関するアンケート』調査」によると大企業・中小企業ともに約70%の企業が「影響が継続している」と回答しています。依然として企業がコロナ禍の影響を受けていることが浮き彫りとなったわけですが、手をこまねいているばかりではありません。政府や金融機関の支援を受けながら、激変する環境変化に対応する動きが広がっています。

 

(2)中小企業の「事業再構築」の取組み状況

同調査によると、ウィズコロナ、ポストコロナを見据えて政府が取り組みを支援する「事業再構築」について「既に行っている」と回答した企業は14.0%。前年同期の調査結果対比3.2ポイント増加しています。また、今後の「事業再構築」(新分野展開、業態転換、事業・業種転換、事業再編など)の意向については、「今後1、 2年で事業再構築を行うことを考えている」と回答した企業が44.4%を占めています。

特に、映画館や劇場、フィットネスクラブなどの「娯楽業」の84.6%を筆頭に、2位は「飲食店」の69.6%と、コロナ禍の影響を大きく受けている業種ほど「事業再構築」にかける意欲が高いようです。

一方、これらの「既に行っている」「今後1、 2年で事業再構築を行うことを考えている」と回答した企業に対して、「事業再構築」をどのように行ったか(含む、行う予定か)という問いに対しては、①「コロナ禍の状況にとらわれず、新たなビジネス領域への進出」49.2%、②「ウィズコロナに対応できる事業形態への転換」28.8%、③「危機的状況でも企業が存続できるよう事業の多角化」28.1%など、新事業分野への進出や事業多角化が多数を占めています。

 

2.今後の中小企業による「事業再構築」の取組み

(1)「事業再構築」にM&Aは活用できるの?

従来、M&Aは新事業分野への進出や事業多角化の手法として幅広く活用されていますが、「事業再構築」の手段としてM&Aを活用することは認められているのでしょうか。

 

中小企業庁の事業再構築補助金のサイトには、「活用イメージ集」という形でモデルケースが例示されています。「新分野展開編」「事業転換編」「業種転換編」「業態転換編」「事業再編編」「グリーン成長枠の想定事例」の6分野あり、そのうち「事業再編編」はM&Aによる事業再構築を想定したものとなっています。

 

具体的には、次のような事例が示されています。

 

①【新分野展開】のため会社法上の組織再編行為「吸収分割」を活用

⇒コロナの影響に伴うテレワークの増加により売上が低迷しているオフィス街で営業する弁当屋が「吸収分割」を行い、新たに病院向けの給食などの施設給食業に着手する事例

 

②【事業転換】のため会社法上の組織再編行為「新設合併」を活用

⇒コロナの影響により需要が低迷しているパルプ装置・製紙機械製造事業者が「新設合併」を行い、新たにマスクなどの衛生製品の製造業を開始する事例

 

③【業種転換】のため会社法上の組織再編行為「事業譲渡」を活用

⇒コロナの影響で地域催事等の中止が相次ぎ業績が悪化している食料品製造会社が、食料品製造事業を他社に「事業譲渡」し、新たに化粧品販売事業を開始する事例

 

④【業態転換】のため会社法上の組織再編行為「株式交換」を活用

⇒コロナ禍で観客数が大幅に減少している演劇公演等のイベントを行っていた芸能プロダクション会社が「株式交換」を行い、新たにオンライン演劇部門を構築する事例

 

このように「事業再構築」における事業再編とは、会社法上の組織再編行為(合併、会社分割、株式交換、株式移転、事業譲渡)等を補助事業開始後に行い、新たな事業形態のもとに、新分野展開、事業転換、業種転換又は業態転換のいずれかを行うことを想定しています。

つまり、事業再構築補助金の支援の対象となる「事業再構築」は、「新分野展開」、「事業転換」、「業種転換」、「業態転換」、「事業再編」のいずれかに該当するものであると同時に、会社法上の組織再編行為に該当するものであることを事業計画において示す必要があるのです。

 

(2)会社法上の組織再編行為とは

一般的には、会社法第五編に規定されている「組織変更、合併、会社分割、株式交換、株式移転及び株式交付」を指し、広義には、事業譲渡を加えたものを指すこともあります。これら組織再編はM&Aの重要な手段となっています。

ただし、組織再編行為は、株主に重大な影響を与えるため株主総会の特別決議が必要であり、組織再編当事会社が債権者の利害に影響を及ぼす可能性のある場合には、事前に官報に公告、個別に催告し、債権者が異議を述べることができる一定の期間を確保するなどの債権者保護手続きが必要とされます。従って、組織再編行為によるM&Aを活用して「事業再構築」を実施する場合には、新事業の計画に加えて、組織再編に係る綿密な計画も必要となります。

 

3.「事業再構築」にM&Aを活用する上での課題

(1)補助対象経費

M&A実施後については、新事業に係る経費は、他の類型の「事業再構築」と同様に、補助事業に要する経費を補助対象として計上することが可能です。

しかし、M&Aを実施するには様々な費用が必要となります。仲介手数料、専門家によって行われる法務・財務等のデューデリジェンスなどの調査費用をはじめ、登記費用などがかかります。しかしながら、補助対象経費の専門家経費とは「本事業遂行のために依頼した専門家に支払われる経費」、つまり、新事業の遂行に関わる専門家経費である必要があるため、補助対象経費として認められる可能性は低いでしょう。従って、これらのコストは自社負担として織り込んだ計画を立てることが必要です。

 

(2)組織再編要件の範囲

中小M&Aでは事業譲渡と共に重要な手段として活用されている「株式譲渡」は、会社法上の組織再編行為ではありません。事業再構築補助金の組織再編要件を充足しないだけでなく、「株式の購入費」は補助対象経費でない旨、明記されています。M&Aの選択肢として「株式譲渡」を除外しなければならない点は留意が必要です。

 

3.まとめ

「事業再構築」の手段としてM&Aは大きな可能性を秘めていますが、法務・会計などの専門的人材が不足する中小企業がM&Aを活用するためには、乗り越えるべき課題が少なくありません。

しかし、M&Aは、新事業に必要となる買収対象先の顧客基盤、技術・ノウハウ、優秀な人材などの経営資源をスピーディに獲得できる点で大きなメリットがあります。また、売上向上・コストダウンなどの効果だけでなく、場合によっては、従業員の士気向上・企業の認知度向上などの副次効果を狙ったM&Aを実行することも可能です。

専門家を上手に活用し、「事業再構築」に向けてM&Aの活用も選択肢として検討してはいかがでしょうか。

 

【ご参考】

□東京商工リサーチ 第21回「新型コロナウイルスに関するアンケート」調査
https://www.tsr-net.co.jp/news/analysis/20220420_01.html

□活用イメージ集 事業再編
https://jigyou-saikouchiku.go.jp/pdf/cases/jigyousaihen.pdf

□採択事例にみる業態転換
https://jigyou-saikouchiku.go.jp/pdf/cases/01_jireishiryou.pdf

 

中小企業診断士 伊藤一彦