事業譲渡の隠れたリスク|偶発債務とリストラ問題の見抜き方

事業譲渡は「必要な資産と契約だけを選んで引き継げる」点が最大の利点です。

しかし実務では、契約書に書かれていないものが後から出てくることがあります。

なかでも厄介なのが、決算書に金額として載っていない「偶発債務」と、譲渡前後の「人員整理」の問題です。この2つは、買い手にとっては想定外の損失、売り手にとっては契約解除や紛争の火種になります。

この記事では、この2つのリスクの正体と、見抜き方を解説します。

偶発債務とは「今はまだ数字になっていない借金」

偶発債務とは、現時点では確定していないものの、将来一定の事態が起きれば支払い義務が生じるものです。

決算書の負債欄には載りません。だから見落とされます。

中小企業のM&Aでよく出てくるのは、次のようなものです。

種類 内容 表面化するきっかけ
未払い残業代 労働時間管理が不十分で、実際には未払いが生じている 退職した従業員からの請求
保証債務 他社の借入や取引の保証人になっている 主債務者の支払い不能
係争・クレーム 顧客・取引先とのトラブルが未解決 訴訟提起、損害賠償請求
社会保険の未加入・未納 加入すべき従業員が未加入 年金事務所の調査
リース・割賦の残債 契約が継続している 引き継ぎ後の請求
原状回復義務 賃貸物件の退去時費用 退去時

特に多いのが未払い残業代です。 中小企業では労働時間の記録自体が曖昧なことが多く、「請求されて初めて金額が判明する」という性質を持ちます。

事業譲渡なら引き継がない——とは限らない

「事業譲渡は特定承継だから、契約に書いていない債務は移らない」

原則としてそのとおりです。しかし例外があります。

  • 商号(屋号)をそのまま使う場合:会社法22条により、買い手も売り手の事業上の債務について責任を負うことがあります
  • 引き継いだ契約に付随する義務:賃貸借契約を引き継げば原状回復義務も付いてきます
  • 引き継いだ従業員に関する労務問題:転籍後に発生した問題は当然、買い手の責任になります

詳しくは事業譲渡で債務はどうなる?引き継がれるケースと引き継がれないケースをご覧ください。

つまり、「事業譲渡だから安心」ではありません。

買い手:偶発債務を見抜く5つの確認

① 労働時間の記録を見る

タイムカード、シフト表、給与明細を突き合わせます。

  • 残業時間が不自然に少なくないか(毎月きっちり同じ、ゼロが並ぶ等)
  • 固定残業代を採用している場合、実態と乖離していないか
  • 管理監督者として扱われている人が、実質的に管理監督者か

「記録がない」こと自体がリスクです。 記録がなければ、従業員側の主張が通りやすくなります。

② 社会保険の加入状況を確認する

従業員名簿と社会保険の被保険者数が合っているか。パート・アルバイトで加入要件を満たしているのに未加入の人がいないか。

③ 契約書をすべて出してもらう

賃貸借、リース、取引基本契約、保証契約。「口約束でやっている」ものがないかも必ず聞きます。

④ 係争・クレームの有無を直接質問する

「現在、係争中の案件や、クレームが継続している取引先はありますか」と明確に聞き、その回答を契約書の表明保証に落とし込みます。

⑤ 表明保証条項を入れる

「開示した以外に債務は存在しない」ことを売り手に保証させ、違反時の補償を定めます。万一の際の拠り所になります。

デューデリジェンスの進め方はデューデリジェンスを成功させるポイント法務DDもご参照ください。

もう一つの落とし穴:譲渡前の人員整理

買い手から「人件費が重いので、譲渡前に人員を整理してほしい」と求められることがあります。

これは非常に危険です。

日本では解雇に客観的に合理的な理由と社会通念上の相当性が必要とされ(労働契約法16条)、これを欠く解雇は無効です。「M&Aのため」は、それ自体では解雇の理由になりません。

もし不当解雇として争いになれば、

  • 売り手:解雇無効・バックペイの支払い義務。M&A自体が破談に
  • 買い手:引き継いだ後に紛争が持ち込まれる。労務リスクを抱えたまま経営することに

つまり双方にとって損です。

正しい進め方

  • 事業譲渡は転籍であり、従業員一人ひとりの同意が必要(民法625条1項)。強制はできません
  • 人件費が重いなら、解雇ではなく譲渡価格や引き継ぐ範囲の交渉で調整する
  • 従業員の処遇は、譲渡条件として明確に合意しておく

従業員まわりの扱いはM&Aで従業員はどうなる?にまとめています。

売り手が備えておくべきこと

買い手からの指摘を待つのではなく、自ら整えておくほうが結果的に高く売れます。

  • 労働時間の記録を残す、就業規則を整備する
  • 社会保険の加入漏れを解消する
  • 保証債務・係争があれば、隠さず早めに開示する
  • 契約書を整理し、一覧化しておく

隠して発覚するのが最悪です。 価格を下げられるどころか、信頼を失って破談になります。開示したうえで価格に織り込むほうが、着地は良くなります。

売却前の準備はスモールM&Aで売る前に整える事業承継の6つの準備ポイントでも解説しています。

よくある質問

偶発債務が後から出てきたら、誰が負担しますか?

契約でどう定めたかによります。表明保証条項と補償条項があれば、売り手に請求できる場合があります。何も定めていなければ、争いになりやすいのが実情です。

小さな事業でもデューデリジェンスは必要ですか?

必要です。規模に応じた簡易なもので構いません。費用を惜しんで省略した結果、買収額を超える負担が発生した例もあります。

未払い残業代はどのくらい遡って請求されますか?

賃金請求権には時効があり、法改正により従来より長い期間が対象となっています。具体的な年数や適用範囲は事案により異なるため、社会保険労務士や弁護士にご確認ください。

まとめ

  • 偶発債務=決算書に載らないが、将来支払い義務が生じうるもの。未払い残業代・保証債務・係争が代表格
  • 事業譲渡でも、商号続用や引き継いだ契約を通じて買い手に及ぶことがある
  • 買い手は労働時間の記録・社保加入・契約書・係争の有無を確認し、表明保証で守りを固める
  • 譲渡前の人員整理は双方にとって危険。解雇ではなく条件交渉で調整する
  • 売り手は先に整えて、隠さず開示するほうが高く売れる

見えないリスクは、見えるようにすれば管理できます。

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※本記事は一般的な情報提供を目的としたものです。個別の事案については弁護士・社会保険労務士等の専門家にご確認ください。


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木下 綾子

中小企業診断士/株式会社ステラコンサルティング 代表取締役
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