M&Aで従業員はどうなる?雇用・待遇・説明のタイミングを診断士が解説

「会社が売られると聞いたが、自分の仕事はどうなるのか」

「従業員にいつ、どう伝えればいいのか」

「買った後、スタッフが辞めてしまわないだろうか」

M&Aの相談で、最も多く、そして最も切実に語られるのが従業員の問題です。

数字の交渉はいずれまとまります。しかし人の問題は、こじれると取り返しがつきません。実際、M&A後に事業がうまくいかなくなる原因の多くは、価格ではなく「人が離れたこと」にあります。

この記事では、M&Aで従業員がどうなるのかを、従業員本人・売り手経営者・買い手という3つの立場から整理して解説します。

結論:原則として雇用は守られる。ただし手法によって扱いが違う

先に結論をお伝えします。

M&Aによって従業員が自動的に解雇されることは、原則としてありません。

日本の法律では、M&Aを理由に従業員を辞めさせることは簡単ではなく、買い手にとっても「働いてくれる人」が最大の資産です。むしろ人材の確保こそが買収の目的であるケースが多くあります。

ただし、M&Aの手法によって雇用契約の扱いが大きく変わります。ここを理解していないと、思わぬトラブルになります。

手法によって何が変わるのか

中小企業のM&Aで使われる代表的な手法は3つです。

① 株式譲渡:従業員から見て「何も変わらない」

会社の株主(オーナー)が交代するだけで、会社そのものは存続します

従業員は「会社」と雇用契約を結んでいるため、契約はそのまま継続します。

  • 雇用契約はそのまま(結び直しは不要)
  • 勤続年数も引き継がれる(退職金の計算に影響しません)
  • 有給休暇の残日数もそのまま

株主が変わったこと自体で、給与や役職が自動的に変わることはありません。中小企業のM&Aで最も多く使われる手法です。

② 事業譲渡:転籍になるため「本人の同意」が必要

事業の一部または全部を、別の会社に売買する形です。

この場合、従業員は元の会社を退職し、買い手の会社に入社する(転籍)という扱いになります。

ここが重要なポイントです。

転籍には、従業員一人ひとりの同意が必要です(民法625条1項)。会社が勝手に「あなたは明日から別会社の所属です」と決めることはできません。

つまり、従業員が「行きたくない」と言えば、その人は移らない選択もできます。

  • 退職金や有給休暇の扱いは、当事者間の取り決め次第(引き継ぐ設計にすることも可能)
  • 勤続年数を通算するかどうかも、契約でどう定めるかによる
  • 同意を得られなければ、その従業員は売り手に残ることになる

小規模な店舗や事業の売買では、この事業譲渡が使われることも多く、「人が付いてこない」リスクが最も大きい手法でもあります。

③ 合併・会社分割:包括的に引き継がれる

合併では、権利義務がまとめて引き継がれるため、雇用契約も包括的に承継されます。

会社分割の場合は「労働契約承継法」という専用の法律があり、対象となる従業員への事前通知や、異議を申し出る手続きが定められています。

このあたりの法律面の詳細は、M&Aによる従業員の承継のポイント①でより詳しく解説しています。

給与・待遇はどうなるのか

従業員が最も気にする部分です。

株式譲渡の場合:労働条件は原則そのまま引き継がれます。就業規則も、変更手続きを踏まない限り有効なままです。

なお、買い手が労働条件を一方的に不利益に変更することは、法律上厳しく制限されています(労働契約法)。「新しいオーナーになったから給与を下げる」は簡単にはできません。

事業譲渡の場合:転籍にあたって、新しい会社との間で労働条件を決めることになります。実務上は「現状の条件を維持する」ことを前提に交渉するのが一般的です。条件が下がるなら、従業員が同意しない可能性が高いためです。

社会保険や福利厚生は、加入先の会社が変われば切り替えが必要になります。手続き漏れがないよう、事前の準備が欠かせません。

「M&Aだから」という理由で解雇できるのか

できません。

日本では、解雇には客観的に合理的な理由と社会通念上の相当性が必要とされ(労働契約法16条)、これを欠く解雇は無効になります。

「経営者が変わったから」「買収したから」は、それ自体では解雇の理由になりません。

もし売り手が「M&Aの前に人員を整理してほしい」と買い手から求められた場合も、安易に応じるのは危険です。不当解雇として争いになれば、M&A自体が頓挫することもあります。

買い手の立場でも、この点は重要です。買収前の解雇トラブルや未払い残業代は、引き継いだ後に自社の問題として降りかかってきます。デューデリジェンスで労務を確認すべき理由がここにあります。

労務リスクの詳細はちょっと待って!M&Aに潜む労務リスクもあわせてご覧ください。

【売り手向け】従業員にいつ、どう伝えるか

これがM&A実務で最も神経を使う場面です。

原則:正式に決まるまでは公表しない

検討段階や交渉中に情報が漏れると、何が起きるか。

不安から優秀な人材が辞めてしまう。取引先に伝わり取引を打ち切られる。噂が広がり現場が混乱する——。

そして破談になった場合、社内には不信感だけが残ります

そのため、正式契約が固まるまでは限られた関係者のみで進めるのが原則です。

伝える順番を設計する

一斉にメールで通知、は最悪の伝え方です。おすすめは次の順序です。

1. キーパーソン(幹部・現場の要)に個別に、契約直前または直後:この人たちが動揺すると全体が崩れます。誠実に、経緯と今後を直接伝える
2. 全従業員へ説明(クロージング前後):経営者自身の言葉で。「なぜ売るのか」「雇用と条件はどうなるのか」「これから誰が経営するのか」を明確に
3. 買い手との顔合わせ:早い段階で新オーナーの人柄が見えると、不安は大きく減ります

伝えるべき3つのこと

従業員が知りたいのは、実はシンプルです。

  • 私の仕事と給料はどうなるのか(雇用と条件)
  • なぜ売るのか(納得できる理由。特に「見捨てられた」と感じさせないこと)
  • 誰が新しい経営者なのか(信頼できる相手か)

この3つに誠実に答えられるかどうかで、その後の定着率が決まります。

【買い手向け】買収後100日でやるべきこと

買収初日から、あなたが経営者です。

まずやるべきは「変えないこと」を伝えること。 従業員の最大の不安は「変えられてしまう」ことです。当面は現状維持を明言し、信頼を得てから改善に着手するのが定石です。

そのうえで、次を進めます。

  • 早期の個別面談:全員と1対1で話す。この場で得られる現場情報は、デューデリジェンスの資料よりはるかに価値があります
  • キーパーソンの慰留:待遇や役割を含めて、残ってもらう理由をつくる
  • 前オーナーの引き継ぎ期間を確保:契約段階で協力期間を定めておく
  • 就業規則・労働条件の整備:中小企業では未整備なことも多く、統合のタイミングは見直しの好機です

買収後の統合(PMI)についてはM&Aに潜む労務リスク〜PMI編でも詳しく触れています。

よくある質問

契約社員やパート・アルバイトはどうなりますか?

正社員と考え方は同じです。株式譲渡なら契約はそのまま継続し、事業譲渡なら転籍への同意が必要です。契約期間の途中で一方的に打ち切ることは、正社員の解雇と同様に厳しく制限されます。

有給休暇の残日数は消えますか?

株式譲渡では会社が存続するため、そのまま残ります。事業譲渡では、引き継ぐかどうかを当事者間で取り決めます。実務では引き継ぐ設計にすることが多く、交渉の際に必ず確認すべき項目です。

従業員が反対したらM&Aはできませんか?

株式譲渡は株主の判断で成立するため、法的に従業員の同意は必要ありません。ただし、大量の離職が起きれば事業価値そのものが失われます。「法的に可能か」と「実際にうまくいくか」は別問題だとお考えください。

買い手として、従業員の離職リスクはどう見極めますか?

面談の機会を求める、勤続年数や離職率の推移を確認する、給与水準が相場と乖離していないか調べる——この3点が基本です。特定の人に業務が集中していないか(属人性)も必ず確認しましょう。

まとめ

M&Aにおける従業員対応のポイントを整理します。

  • 原則として雇用は守られる。M&Aを理由とした解雇はできない
  • 株式譲渡なら雇用契約はそのまま事業譲渡は転籍のため一人ひとりの同意が必要
  • 労働条件の不利益な変更は法律上厳しく制限される
  • 売り手は伝える順番とタイミングの設計が最重要。キーパーソンには個別に、誠実に
  • 買い手はまず「変えない」と伝え、全員との個別面談から始める

会社を譲るということは、事業だけでなくそこで働く人の人生を引き継いでもらうことでもあります。数字の条件が良くても、人が離れてしまえばその事業の価値は失われます。

当社では、実際に事業を買収し従業員の承継を経験した中小企業診断士が、売り手・買い手それぞれの立場でM&Aを支援しています。従業員への伝え方や労務面の確認について、お気軽にご相談ください。

※本記事は一般的な情報提供を目的としたものです。個別の事案については、労働法の専門家を含めた確認をおすすめします。


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執筆・監修

木下 綾子

中小企業診断士/株式会社ステラコンサルティング 代表取締役
『個人でできるスモールM&A実践録―銀座のネイルサロンを買収した中小企業診断士』著者。東京都中小企業診断士協会 城南支部 副支部長。M&A・事業承継・経営改善の実務支援を行う。


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